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2011年11月

2011年11月30日 (水)

ありがとう

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変なところで、「ありがとう」の文字が石に彫ってありました。

変なところと言うと、語弊があるのですが、墓石に彫ってありました。

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墓石に、霊らしい人物が写っていますが、私ですから、気にされないように。

しかし、なぜこんな墓を作ったのでしょう。はじめは、家族の人に対しての心かなと思った

のですが、それにしては先祖からの銘板がありません。個人墓なのでしょう。花が飾った

跡もありませんでした。かみさんに聞くとどうも名前からして町内の人ではなさそう。

そうすると、老人ホームか何かに入っていた独居老人の方で、自分の死後の墓を誰かに

託されのでしょうか?

「ありがとう」は誰に対して、どんな意味で書かれたのか、一日考えていました。皆さんも、

知りたくありませんか。どんな方なのでしょう?文字の書体は、PCのポップ体なのですが、

意外と良く似合っていますね。


日本では墓碑銘というのはあまりありませんが、外国にはいろいろあるみたいですね。

スタンダールは良いですよ

■ミラノの人書いた恋した生きた

ビリー・ザ・キッド

■真実と経歴。21人殺害。ごろつきの少年王。彼は彼らしく死んだ

アル・カポネ

■神よ、哀れみ給え

ディーン・マーチン

■誰かが誰かを愛してる

お医者さんの墓碑銘でしょう

■ここに医者リチャードが眠る この霊園に眠る死者の半分は彼の患者だった


日本にも良いのがあります。正岡子規は、生きているときに墓石に合わせて自筆で墨書し

たそうです。


■正岡子規又ノ名ハ処之助又ノ名ハ升

又ノ名ハ子規又ノ名ハ獺齋書店主人

又ノ名は竹ノ里人伊予松山ニ生レ東

京根岸ニ住ス父集太松山藩御

馬廻リ加番タリ卒ス母大原氏ニ養

ハル日本新聞社員タリ明治三十□年

□月□日没ス享年三十□月給四十円


子規の死後、この墓碑銘が使われることはなかったそうですが、33回忌のとき、自筆の

まま銅板に刻まれ、墓のそばに建てられたそうですが、盗難に遭い、現在は石に刻まれて

いるそうです。月給四十円は良いですね。

詳細は、「壺齋閑話」をご覧ください。


さて、世界一好きな墓碑銘はこれです。まだ、生きているのですが、テレビで明言していま

した。この人が亡くなったら是非確かめにお参りしたいと思います。


その人は、所ジョージ。墓碑銘は

■「また、来てね」



2011年11月29日 (火)

橘神社(雲仙市・千々石町)~大門松づくり始まる

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ギネスブックにも載っている、有名な、千々石町は橘神社の大門松作りがはじまりました。

いつものように散歩していると、鳥居の下で、なんか変な人たちが。

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よく見ると、NBCの取材車がとまっていました。

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取材だったのですね。

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真ん中の方が、橘中佐のお孫さん。いま、橘神社の宮司さんをされている、橘周次郎さん

です。ついでに、橘中佐の銅像について調べているので、2~3質問をさせてもらいました

が、気さくに応えていただきました。時代が時代であれば私など気楽に近づけないのでしょ

うが。銅像については興味ある話があるのでまた後日。

(やっぱりリポーターの方はかわいいですね。私の娘も・・・だったら良いのですがゴメン)

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皆さん無事放送(実況中継)が終わってご苦労様でした。

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さて、放送は終わりましたが、これから、飾り付け、竹の上の方をクレーン車で上がって

斜めに切ったりと、大変な作業が待っています。

まして、皆さんボランティアで、平日は自分の仕事。作業日は土曜、日曜日ということで、

土曜、日曜が晴れてくれるといいのですが。

皆さんも、作業見に来ませんか。とにかく、大変な作業をしていますから。是非、どうぞ。


あ!門松で思い出しました年賀状そろそろ書かなくっちゃ。


2011年11月28日 (月)

三十路苑(雲仙市・小浜町)~紅葉速報

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「三十路苑」です。ライトアップを見て、今帰ってきたところです。

先日も書きましたが、雲仙道路(小浜~雲仙)の小浜口から中腹あたりのところです。

目印は「六兵衛茶屋」か「看板」です。「看板」は夜は明かりがついていますから、分かると

思います。

昼は駐車代300円ですが、ライトアップのとき(日没~21時)はどんなわけか、ただでし

た。

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良い雰囲気ですね。こんな所を「三十路」(勿論、和服で美人)の女性と手でもつないで

いければ・・・

三十路女性の貸し出しがないか受付で聞いて見ようと思ったのですが、受付にはだれもい

ませんでした。残念。

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先週土曜日にも行ってみたのですが、まだ十分紅葉していなく、今日は大丈夫だろうと思

いましたが、今年は暖かいせいか、7分くらいの色好き(ではなく、色付き)でした。全部色

付くまではもう少しでしょう。

11月28日夜の速報でした。


2011年11月27日 (日)

この一曲~眠れる夜

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日曜日は「この一曲」ということで、私の好きな曲を紹介していますが、このCDはたして曲

というか、音楽と言えるかどうか・・・


さて、CDのスイッチを入れると汽車の走る「ガッタン・ゴットン」という音が柔らかくバックグラ

ンドとして入ります。そして、ナレーションが入りますが・・・


「羊が一匹。羊が二匹。羊が三匹。羊が四匹。羊が五匹。羊が六匹。羊が七匹。羊が八

匹。羊が十匹。羊が十一匹。羊が十二匹。羊が十三匹。羊が十四匹。羊が十五匹。羊が

十六匹。羊が十七匹。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」


とにかく、この調子でずっと続きます。たぶん千匹まであるのでしょうが、最後まで聞いたこ

とはありません。途中で寝てしまうからです。

最後がどうなっているか、昨日昼、確かめようと、聞いていたのですが、八百匹までは意識

がありましたが、また寝てしまいました。


確か、筒井康隆の昔の短編かレコードの朗読に、眠れぬ人が羊を数える話があったような

気がします。

こちらのほうは、羊が柵に引っかかってズッコケたり、逆立ちした羊がでてきたり、スキップ

して羊がでてきたりで、とうとう寝られなかったという話のような記憶があります。

さて、寝られない方はこのレコードを、とお勧めしたいのですが、多分もう廃盤でしょうね。

と思っていたらまだ出ていましたよ。マイリストに入れています。興味ある方はぞうぞ。







2011年11月26日 (土)

諫早市郷土館~諫早市

素晴らしい庭ですね。

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もみじが丁度紅葉してきれいでした。

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ここは、諫早市郷土館の庭です。聞いたところによればこの郷土館の建物は諫早家が諫

早市に寄贈したものとか。税金対策もあるのかな?(こう言うのをゲスの勘繰りと言います

市の資料館にしては立派な庭です。

場所は、昨日までブログに書いていた天祐寺のすぐ前にあります。

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右が入り口と、庭があるところです。左の方にもいろいろ展示がしてあります。

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左が道しるべ「従来(これより) 右 たらみち  左 むらみち」 と書いてあるそうです。

文字ははっきりと読めます。

右は、天祐寺改修の折、寄贈してもらった鬼瓦です。背丈ほどもありました。他にもいろい

ろおいてありました。


さて、中をご案内したいのですが、撮影禁止とか、パンフレットの写真で我慢してください。

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だだ、お土産を一つ。諫早には現川焼(うつつがわやき)という有名な焼き物があります

が、一時、廃窯して、明治になって復活しました。その、廃窯の折の事が諫早日記に書

いてあり、その写しが置いてありましたので、張っておきます。なお、読み下し文も書いて

ありますので、今日は古文書の勉強だと思って、読んでみてください。よく見てくると、だん

だん判る所も出てきて面白いですよ。

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ここで終ろうと思ってたのですが、こっそりと写真を一枚。

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右側の方にもまだありました。これも諫早家からの寄贈だそうです。さすが、殿様のご子孫

は違いますね。

他に、兜、鎧、なんと諫早で作られた銃までありました。諫早でなぜ鉄砲が作られたのか、

この経過については「諫江百話」の「諫早の鉄砲鍛冶」に詳しく書いてありますのでお読み

ください。


島原の殿様、鍋島家、松平家のご子孫はこちらには住んでなく、時々帰ってきているみ

たいですが、諫早家も転居されているみたいです。

さて、諫早家の「明珍のよろい」は初代諫早家竜造寺家晴公が着用されていたそうです

が、慶厳寺に納められ、永代供養の志として祀られているそうでうが、なぜ、慶厳時に?


諫早家の菩提寺は天祐寺なのですが・・・

歴史の疑問を考え、調べるのは楽しいですね。




2011年11月25日 (金)

天祐寺~諫早・諫早家墓所②

昨日諫早家墓所のことで忘れていました。

この墓所の一段高いところに、4代目茂真公(しげざねこう)夫妻と2代目直公(なおのりこ

う)の後室の墓があり、この二つは県内で最も立派な石造御霊屋(みたまや)になっていま

す。隣り合って建ててあります。

4代目、茂真公夫妻の墓です。

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2代目直孝公の後室の墓です。

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4代目茂真公の墓が一段高いところになぜ祀られたのかは、いくら調べても分かりません

でした。なにか功績があったのでしょうか?

さて、2代目直孝公の後室の墓がここにあるのか?夫婦で祀ってあるのは御覧のとおりい

くらでもあるのですが。

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こちらが、2代目直孝公の墓です。なにか後室の墓と比べると・・・しかも妻の墓は一段高

いところ。

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これは、20年前くらいに聞いた話で、記憶が曖昧としていますが、2代目の後室は偉いと

ころから来たとか。それで、一緒の所の墓地ではいやだというと事で一段高いところに立派

な墓所を作ったとか。本当のことかどうかよくわかりませんが・・・

でも、何となく身につまされますね。現代、女友達、気のあった同士で墓を作って、一緒に

入って、旦那には「あんたは自分の先祖の墓があるんだから、そっちへ入れば」ということ

があるそうな。


整然と並んだ墓ですが、ここのお寺の歴代住職のお墓です。なお、ここの住職さんはかな

り地位が高い方がなられるとか伺ったことがあります。

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島原の乱戦没者追悼碑です。島原の乱で、勿論幕府軍としてですが、92名の戦死者を出

しています。33回忌、寛文12(1672)年に作られています。

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石造五重塔です。寛文5年四代目の茂真が鍋島勝茂の菩提を弔うために、建てられたも

のです。諫早幼稚園の小高い竹林のあったものを昭和28年移管したものだそうです。

高さ6メートル。びっくりするほど立派なものです。


さて、六地蔵です。

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説明するのが面倒なので説明板ををクリックすると拡大します。お読みください。

背くらべ地蔵です。子どもたちが岩の上の地蔵と背くらべをしていたのでこう呼ばれたそう

です。でも、まあ子どもはよじ登るのが好きなもんですね。

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こちらのほうの道を行くと大門があります。たぶん、こちらが旧参道だったのでしょうか?

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四脚門と呼ばれる形だそうです。

大門の掲額があり、「鎮海勝境」と書いてあります。意味は、「法の海も波を納めて、静か

に和らいだ姿を現し、禅の行をするためのすばらしい環境をもつところ」(諫江百話)だそう

です。

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黄檗宗僧侶独立性易(どくりゅうせいえき)が書いた額だそうです。中国から来たそうで、

文化面でも活躍をいたそうです。


さて、墓所近くの舗装道路を上がっていくと。一番上に。

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虚空堂です。説明はクリックをしてください。

観光地ではなく、お寺様ですから、見学の際は一声かけてゆっくり見学してください。


見るものはたくさんあります。特に私は中庭の佇まいが好きですね。しばしの間ぼんやりと

時間を過ごしていました。おしまい。                                      

                           (参考 「諫江百話」・境内説明板)


2011年11月24日 (木)

天祐寺~諫早・諫早家墓所①

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天祐寺の中庭は銀杏の落ち葉で敷き詰められ、とても落ち着いた佇まいでした。

中庭を囲む回廊の一角に鐘楼が古い姿を見せていました。解説版によれば天文期

(1532~1554)に建てられたそうですが、「諫江(かんこう)百話」には。室町時代

(1521~27)の末期大永年間に建てられたと記されています。


竜造寺に敗れた西郷氏の菩提寺であったそうですが、竜造寺も天祐寺に帰依し、菩提寺

としたそうです。

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山門です。左右に金剛力士像が、あります。ここを上がると最初の写真の中庭です。

さて、一般に天祐寺といっていますが「坤松山(こんしょうざん)天祐寺」が正式名称だそう

です。曹洞宗のお寺です。



諫早家の墓所ということを知っている方はは多いと思いますが、なかなか、中まで見られ

たことがないと思いますので、すこしご案内を。といっても、見る物が多く多分2~3回くら

いに分けて書きます。

看板を載せますので詳しくはこちらをご覧ください。(写真をクリックすると大きくなります)

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看板に従って、説明しますが、看板以外にもいろいろあるのでそれも交えながらご覧くださ

い。

諫早家の墓所です(写真の右側にも広がっています)。いつか、島原の松平家の墓所をブ

ログに載せましたが、まったく違った趣がします。

墓の周りを柵がめぐらせてあります。覚えておいてください。

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立派な墓が並んでいます。すごいですね。

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初代家晴公の墓です。一番奥に祀られています。

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この墓所には、当主の墓18基、正・側室・子息の墓25基、家臣の墓30基、一族の墓4基

雑塔56基、石碑5基、六地蔵石幢(せきとう)4基、石灯籠171基があるそうです。

初代から3代目までの墓碑の後ろに一回り小さい墓碑が並んでいます。

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領主に殉死した家臣のものです。ふつうは領主の墓所の中には建てないという事を聞い

たことがありますが・・・

さて、墓を囲む柵は弥勒四十九院を刻んで石造り卒塔婆とした珍しい形式だそうです。

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柵の内側になりますが、四十九院の名と御本尊様の名前がが彫り込んでんであります。

諫早家の墓所はこれくらいにして他にも貴重なものがありますので。また続く。

                         (参考 「諫江百話」・寺院内解説版)








2011年11月23日 (水)

14歳からの精神医学~心の病気って何だろう/宮田雄吾

最近、心の病気が大きな問題になっています。昔は精神病院というと周りの人にへんな目

で見られましたが、特に心療内科ができたおかげで、病院にかかるのが昔ほど負担には

ならなくなったようです。

笑い話のようなことですが、私自身も、3年ほど前から隣の犬の鳴き声で(ひどい時は2~

3時間ほど間歇的に鳴く)、ひどい時は手が震え、動悸がひどくなることがあり、心療内科

や精神科に通っている有様ですが、患者さんが意外と多いのに驚きました。

お医者さんと話をしていると、先生も犬の鳴き声で神経症になった経験があったとか、お互

い笑ってしまいました。また、以外にもこの手の患者さんが多いとか。


さて、私も心理学を学んだだけに、この手の本を見るとなんとなく手に取りたくなります。

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本のプロローグにこう書いてあります。少し長くなりますが、

『日本において、何らかの心の病気にかかった経験がある人は17,2%。実に5.8人に1

人にも及ぶ。このように、心の病気は誰でもかかる、ありふれた病気なんだ。

それに心の病気の半分は、体の一部分である「脳」の働きが、一時、悪くなったために起こ

ると言われている。胃が悪くなったりするのと同じように、脳だって働きが悪くなることはあ

る。体の病気が性格と関係なく発生するように、心の病気も”心の強さ”や”性格”とはなん

の関係もない。』


この本は、心の病にかかった実例をアレンジして書いた部分。症状と原因の部分。そして、

ここが一番大事なのでしょうが、友達が、親が、心の病にかかったときどう対応したら良い

のかについて分かりやすく書いてあります。どうかすると、私たちが間違った対応法を

取っているかも分かると思います。


ちなみに、書いてある病、内容は<摂食障害><社交不安障害><脅迫性障害><うつ

病><双極性障害><統合失調症><不登校><暴力行為><リストカット><多量

服用><ストレスにつよくなるために><おもいつめない><トラウマに支配されないた

めに><心の病気を早期発見するために><エピローグ~君の生きる意味を見つけよう

>です。

書名は難しいようですが、14歳の時期の子どもたちに向けて書かれた本で分かり易く書

いてあります。14歳の時期の方でなく、保護者の方も一読して頂ければ、心に病のある子

どもたちのことだけでなく、思春期の子どもの心のあり方がよく分かると思います。



2011年11月22日 (火)

大黒天・磨崖仏~雲仙市小浜町雲仙

雲仙に車で上がるには、いろいろ道がありますが、千々石から上がると、途中、日本の棚

田百選に選ばれた岳地区の入口があります。

今日は、その入り口のところで棚田米を販売していました。

そのルートを上がっていくと、雲仙温泉旅館街に入る手前に、鴛鴦(おしどり)の池と名付

けられた、ダムがあります。駐車場、WCは完備しています。

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数十年前までは、鴛鴦が泳いでいたのを見たのですが、今はいなくなったみたいです。

このダムは、小浜町、千々石町の農業用水と雲仙の水源のために作られたそうです。

田植え時期になると、ここから水を下流の方へ流します。

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たぶん水を流すところでしょう。

入口です。歩くことしばし。

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道はきちんと整備されていますから、歩くのは楽です。

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大黒天に上がる階段です。といっても、あまり急な階段ではありません。

途中、犬を連れたおばあさんに会いましたが、少しばかり話をして、大黒天のところへ行く

と、シバが新しかったので、取り替えに来られたのでしょう。

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さて、大黒天のところです。岩が重なり合っています。お分かりでしょうか、四角で囲んだと

ころです。最初は分からず、お賽銭を上げてひょっと見上げるとありました。

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右手に小槌を持っていますね。もっと近寄ってみます。かなり大きな摩崖仏です。

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良い顔をされていますね。掘った方の人柄がでているみたいです。

この大黒天はダム工事のときに、発見されたと昭和40年の新聞記事にあったそうです

が、「小浜町史談」も見てみましたが捜すことができませんでした。

ここ、雲仙は、昔、修験者の聖地として有名でした。その遺跡でしょう。

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棚田米でもおみやげに買っていって、お願い事をしてきてはいかがでしょう。

なお、大黒天については、いろいろ面白い話がありますよ。「ウィキペディア」の大黒天

民間信仰のところは本当かなと思って、自分のをつくづく見てみましたが、しおたれてしま

って確認でしきませんでした。

2011年11月21日 (月)

旬の食材カレンダー~まめこ

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今や、季節に関係なく、食材が何でも手に入る時代。

夏のトマトが、春のイチゴが冬にでも手に入る時代です。

旬のものは、はやり体に良いもの、特に、地元で取れたが一番良いのでしょう。

この本にも「その土地で作り続けられ、その土地で食べ続けられているものは、その土地

で暮らす人にとって、良いようにできているのです。」

『「だから、海外で「健康に良い!」とブームになっている物を食べるより、地元で食べ続け

られているものを食べた方が体に合っている!」と書いています。


いま、地産地消(地元で取れたものを地元で消費する)ということが盛んに言われていま

す。

この本、著者の「まめこ」さんが、旬の物を求め、地元まで出かけて、生産者の方に取材を

したものです。

漫画の本ですから、楽しく読めます。また、「料理法」「こんなときに効く」「おいしい見分け

方」「保存法」まで書いてありますから、一冊持っていて重宝しますよ。食材を買いに行くと

き、ちょっと見ていくのも良いでしょう。


さて、たびたび、このブログにわが家の野菜が登場しますが。

サニーレタスは毎日食べています。

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ブロッコリーはもうすぐ収穫出来るでしょう。

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大根は少しずつ太り始めています。かみさんの足よりほっそりしていますが。

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さて、今日は大根を使っておでんみたいです。旬の物をたくさん食べましょう。






2011年11月20日 (日)

愛宕山神社(雲仙市小浜町)~絶景かな絶景かな

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愛宕神社から小浜の富津(いつか、六角井戸のことを書きましたが)を見たものです。プロ

のカメラマンが、写真集でこの一段下の国道から写真を撮っていた写真集がありました

が、こちらのほうがはるかにいい写真が撮れるでしょう。私のカメラは10年前買ったデジタ

ルお手軽カメラですからこの程度しか映りませんが(フィルムカメラならニコンF2、コンタック

スG1、以前はライカも持っていたのですが)。もうぼちぼち買い替え時ですかね。でも、もう

重たい写真機を持つ気力もないものですから。


さて、神社といっても期待しないように、祠一つの神社です。

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千々石から、小浜へ向かう国道の小浜側から千々石少年自然の家へ上る道があります

(逆に自然の家から小浜へ下っても良い)。途中小浜側から猿場稲荷への鳥居がありま

す。

それを通り過ぎると、鉄製でできた鳥居があります。階段、手すりはしっかりついています

が、かなりの急こう配。道は荒れ放題になっています。

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いまから数十年前何回か写真を撮りに上ったことがあり、その時はきれいにしてあったの

ですが・・・

さて、この神社のいわれですが、祠の横の石碑に由来が書いてありますが、読みにくいの

で説明を。

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ここの富津は、八十四余戸の地区ですが、享保年間と円享元年(1744)の二回にわたり

大火事があり全焼したそうです。

それまで、「富津」という名ではなく、「日比ケ浦」と言っていたそうですが、「日」は「火」に通

じるということで、乙名(おとな)いわゆる、長老、まとめ役の喜左衛門が発起し、御公儀に

申請し「富津」に改名したそうです。


安政が終わり天明(1781)のとき、火の神の「加久槌ノ神」を奉祀し石祠を建立し、火の用

心に留意したそうです。そう言われてみれば、この神様は富津を見守っているような感じを

受けます。この神様、祠は今から230年も前のものになります。すごいですね!

昔、きれいにしてあったのはその由来を知り、お参りしていたからでしょう。その方々も、年

をとってこの階段を上がるのは無理なのでしょう。若い方が受け継いでくれるといいのです

が。

旧暦の3月12日と6月12日が祭礼になって、若者の宮相撲があっている旨「小浜史談」

に書いてありましたが、今はどうでしょう。ただ、階段を上っていると、上り旗用のポールが

何本かは置いてありましたので、祭礼はやっているのでしょう。


皆さんの周りにも、目立たない祠、地蔵さま等あると思いますが、各々そのいわれがある

もの。いま、そのいわれも忘れられようとしている時代だと思います。

古老の方、若い方に話を語って欲しいと思います。

なお、「由来の碑」は昭和48年5月に建てられていますが、創祠200年を記念して建てら

れたもののようです。

良い風景ですよ。足腰に自信のある方。藪道が好きな方は是非どうぞ。

 

                    (参考 「小浜史談」・石碑「愛宕山神社創建之由来)







2011年11月19日 (土)

この一曲~夢にみたヒルビリー天国/アニタ・カーター

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今日は雨、長崎の病院まで行ってきました。雨にも関わらず患者さんが多く、2時間ほど待

たされました。

お医者さんと話をしていると、今年は特に天候不順で体調を崩す方が多く、緊急の患者さ

んが多く、また鬱の患者さんも多いとか。皆様も心身とも注意してください。

さて、帰りがけ昼食に何気なく入った店が、アメリカ開拓時代の中西部をイメージした店と

か。なかなか雰囲気のいいお店でした。

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外の雨を眺めていると、店の中にカントリーミュージックが。

アメリカ音楽も、単純ではなく同じように聞こえても、カントリーミュージック、ウェスタンミュ

ージック、ブルーグラス、カーボーイミュージックなどいろいろあります。私も詳しくはありま

せんが、その種類の音楽が流れていたのです。



その時、ふと思い出したのが、アニタ・カーターの「I DREEAMED A HILLBILY HEAVEN」

(夢にみたヒルビリー天国)でした。1955年録音で、日本でも一時はやりました。カントリ

ーの黄金期でしたっけ。(このCDの一番最後にはいっています)

1995年はあの1960年安保の直前の時代、私が小学校に入ったころ。まだ、日本が熱く

動いていた時代。そして、アップルのスティーブ・ジョブズが生まれた年。

歌は女の子が夢の中で、いろんな有名歌手に会うという単純な歌ですが、その、可憐な歌

声、有名人に会った感動が、心から伝わってくる歌です。一回聴いただけで、忘れられなく

なる曲です。

夢の中で会った人物、ジミー・ロジャース、フレッド・ローズ、ハンク・ウィリアムス、チェット・

アトキンス、エディーアーノルド、テックス・リッター、レッド・フォーリー、マーティ・ロジャース

確か皆なくなってしまったのではないでしょか。(?)

アニア・カーターはあのオリジナル・カーター・ファミリーの血筋に当たるそうですが。

カーター・ファミリーの歌といえば、高石ともやが一時歌っていたことが・・・高石ともやとい

えば「受験生ブルース」・・・ちょうど私が浪人をしていた時・・・その次の年東京へ・・・彼女と

の出会い・・・そして別れ・・・青春まっただ中

秋の日の雨を見ていると、取りとめのないことが連想的に思い出されます。






2011年11月18日 (金)

唐比ハス園の冬~諫早市森山町唐比

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もうすぐ本格的な冬がやってきます。

諫早からの帰り、唐比のハス園の寄って見ました。

もう、すっかり枯れ蓮になっていました。

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見る人は私一人、静謐という言葉がぴったりと来る風景です。

私の人生も、こんな感じになっているのではないでしょうか。

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しかし、これはこれで、風情があるもの。

■ひとつ枯れかくて多くの蓮枯るる     不死男

■枯蓮や戦いの果てはかくあらむ     せつ子

■枯蓮の透し向こうに父の墓        研三

■枯蓮の向こふの夫を呼びにけり     陽子

■血圧の折れ線グラフ枯蓮         富子

■枯蓮の枯れてなお枯れされに枯れ   sugikan


花の盛りは、誰でも見にいくもの。俳句、短歌、写真などをされる方は、今がチャンスでは

ないでしょうか。

皆が皆、同じ物を見て作っても、面白くないでしょう。人が右を向いたら左を、上を見たら下

を、前を向いたら後ろを。そうした方が、何か見えてくるものがあるのではないでしょうか。

しばし、枯れ蓮を眺めながら、自分の人生を考えてみました。

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枯れ蓮の実がとれたものですが、面白い形をしており、部屋のインテリアにならないかと2

~3個取ってきました。

たまには、皆さんもこんなところで、一人静かに過ごしてはいかがでしょう。



2011年11月17日 (木)

慶師野将棋墓~諫早市森山町

森山のマイウォーキングロードを歩いてきました。サルビアの花が綺麗です。

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花が植えてないところもありましたが、今からビオラ、パンジー等を植えるのでしょう。

椿の花だと思いますが青空に綺麗に咲いています。

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さて、終点まで歩いて行くと、今まで気づかなかった標識に気がつきました。

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「将棋墓」とはなんぞや?

行ってみることにしました、歩いても遠くみたいなので車で行くことしばし、ありました。

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説明版ですが、下手な説明をするより、写真をクリックすると大きくなりますので、読んでく

ださい。

P1060082

これが将棋墓です。1832年に建てられていますので、179年前の墓です。

今でこそ、野球ボールとか、音符とか、自分の好きな格好をした墓が建てられています

が、まさに、その先進をいく墓でしょう。

説明版に書いてあるとおり、餅と将棋が好きだったのでしょう、下の方は重ね餅、上は将

棋盤、しかもちゃんと、将棋盤の目まで彫ってあります。

裏を見ると、説明版に書いてあった、弟子の柳宝庵董来の言葉が彫ってありました。

P1060077

いまでもはっきり読めるほどです。

私も出来ればこのようなしゃれた墓に入りたいと思いますが。私の趣味はというと・・・

出来れば下の方は、女体像を作ってその上に私の墓を作っていただければありがたい

のですが。

(失言です。今のは失言です。女性の皆さん申し訳ありません。)


2011年11月16日 (水)

木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか~増田俊也

「木村の前に木村なく、木村の後に木村なし」と言われた木村政彦が、力道山と戦ったのが

昭和29年12月22日、私がまだ、小学校にも入ってないとき。もちろん、家にはまだテレビ

もない時代。しかし、この試合の表裏のことは何年も語られて、私も何回も聞かされたり、雑

誌等を読んだ事がある。

そして、出たのがこの本。

Photo

半月前この本を読んでブログでどう紹介しようかと思っていっていたら、新聞の書評に先を越

されました。

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題はおっかないのですが、木村政彦の名誉回復の為に書かれた本です。

「ゴング格闘技」に掲載され700ページにもなる本。


この著者が、どれくらいの人に会い、どれくらいの資料に当たってきたのか。そして、出され

なかった資料もどれくらいあるのか。はかりしれないものがある。

例えば、木村と力道山の試合の記録フィルムについて、どれも6分間の空白があるそうだ

が、『完全像を探したが、途中で裏の人間にぶち当たった。「完全フィルムはどこにあるの

か」という私に最後は脅すような言葉を吐かれ、あきらめざるををなかった。』

しかし、動画と新聞、雑誌を見比べながら真相を探っていく作者。

とにかく、凄いといわざるをえないドキュメンタリー。

また、言葉だけで聴いたことがある、高専柔術、武徳会、プロ柔道等のことがやっと分かっ

た。

本の中には、大山倍達も出てきます。「第24章 大山倍達の虚実」。

ほかに、ヘーシンク、ルスカと木村が戦ったらどうだったのか。両人と戦った人の言葉も興味

深かった。また、グレシー柔術との戦い。

山下泰裕、斉藤仁に対する取材を受けたときの言葉『「今の柔道は豚のやる柔道」とまで切

って捨てた。』

そして、今まで、軽視していた柔道の寝技の凄さがはじめて理解出来た(昔の柔道の寝技)。

この本を読めば、柔道とプロレスの歴史、そして、裏表もが分かってきます。

オリンピックの柔道メダリストがなぜ格闘技に移っているのかも、これを読めばおぼろげに分 

かってくると思います。

いや、凄い本が出たもんです。絶対に面白い2,600円の価値は充分にあります。

夢枕獏の愛読者の方も是非読んでください。参考になります。

2011年11月15日 (火)

家庭菜園~わが家の害虫被害・農作業風景

今年は少し暖かく、このところ私も手を抜いていたためか、白菜、キャベツ、ブロッコーリ

が害虫からやらてしまいました。

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白菜ですがで写真でも分かるとおり、中の方まで虫の糞が一杯です(写真の茶色いとこ

ろ)。

右の写真が害虫(蛾の幼虫でしょう)が冬眠していました。各写真クリックすれば大きな素

晴らしい写真が見られます。

害虫と言っても人間にとっては害虫でも、向こうから見れば人間が害虫なのでしょうが。

P1060405 P1060402

ブロッコリーですが、葉が見事に食われているのもありました。これだけやられれば見事

な物です。このまま、現代芸術展にでも出品すれば入賞するでしょう。

右の無事なブロッコリーは芽が出てきて、楽しみです。

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大根、パセリ、ほうれん草、ハーブのミントは無傷。

やはり虫もおいしい物から食べていくのでしょうか。ミントは根がはって、ひどくはびこった

ために、根が広がらないよう枠を埋め込んでいます。

農薬を使えば綺麗に出来るのは分かっているのですが、まあ、虫がついていようが、糞が

ついていようが、綺麗に洗って食べれば中毒をするわけではないし、仕事としてやってい

るわけではないし。素人ですから・・・

「奇跡のリンゴ」では「酢」を中心として殺虫剤として使っていたみたいで、ほかの本にも

酢、焼酎、ニンニクなどを混ぜ農薬代わりに使う方法が書いてありましたので、勉強して

来年はまた挑戦しましょう。


さて、プロのキャベツ畑です。やはり見事な物です。

農薬は使っていますが、今は最低限で、使う時期等も管理をしていますので、日本の野菜

について言えば心配はないようです。

義兄と無農薬野菜のことで話をしていたら、昔は農薬もなく、何千というキャベツを一つず

つ見回って虫を捕っていたそうです。昔の方が無農薬だったと笑われました。

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さて、いまタマネギ植えが最盛期です。

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田を耕し、マルチをかぶせ、しゃがんで一本一本手で植えて右の土地全部に植えるので

すから大変な作業です。野菜はありがたく、残さないように食べましょう。

近頃、これも機械が出来たようですがあまり普及してなく、多少使いにくいと言うことを聞き

ました。

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ハウスのミニトマトも熟してきました。イチゴの花も花びらを落として実をつけ始めました。

もうすぐ皆さんの食卓に届くことでしょう。

TPPが話題になっていますが、地球人口が増え、食糧難が言われています。食料の自給

率を増やすためどうするか考えることが必要でしょう、はたしてTPPが良いのでしょうか?

経済的にも金(かね)で他国の金を投機のため買い、金を儲ける時代、農家の作業を

見ていると、もう一度、汗を流して生きていくことを考え直さなければならない時代が来る

べきだと思います。

TPP絶対反対。







2011年11月14日 (月)

奧雲仙を行く~雲仙市

小川軽舟の俳句に「名山に正面ありぬ干布団」というのがあります。

正面があるなら、裏もあると言うことで、島原の病院帰り、雲仙の裏側、俗に奧雲仙を通っ

て紅葉でも見ようと思い、千々石まで遠回りをして帰りました。観光バスが通る表道とは、

又、違った趣があります。

道は、国見町の多以良港から上がる道と、百花台公園の横を通って行く道があります。

どちらから行っても途中で合流します。百花台公園の方から行くと・・・

P1060278

途中、こんな看板があります。昔、山を越えて魚を売りに行くとき、途中で魚が傷まないよ

うに川で洗ったと言う話を聞いたことがあります。看板以外なにもありませんが、それがこ

のあたりだったのでしょう。


残念ながら、天気が悪く雲が出て、風景が充分見てもらえないのが残念ですが。

左の写真正面の雲に隠れているのが平成新山です。道も良く、意外と面白い風景が見ら

れます。(写真をクリックすると大きくなります。)

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ついでにと、仁田峠の駐車場まで行ってみました。

P1060316 P1060323

左の写真が、平成新山です。雲でよく見えませんが、緑が段々増えているみたいでした。

右の写真が駐車場付近の写真ですが、とにかく霧が深くて、妙見山頂まで見られませんで

した。

雲仙から小浜へ下りがけ、紅葉が綺麗なところがあったのを思い出し、寄って見ました。

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左の「六兵衛茶屋」の裏側の「三十路苑」という所ですが、「三十路」というと何となく男心を

くすぐるではありませんか。なにか、期待感が・・・

行ってみたら残念ながら、まだ、青紅葉でした。

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看板を見ると「紅葉狩り11月20日~約2週間 夜間ライトアップ」と書いてありました、

今日のところは残念ですが、おとなしく家に帰って「六十路」のかみさんの相手でも・・・

2011年11月13日 (日)

この一曲~石川セリ/明日ハ晴レカナ曇リカナ

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ご存じ石川セリ、井上陽水と結婚して一時引退、10年ぶりに出したレコードです。と言っても

1995年のCDです。


「ダンスはうまく踊れない」は井上陽水が妻となる石川セリと付き合い始めの頃、気を引くた

めに目の前で30分ほどで作ってプレゼントした曲。」と何かに書いてような(呆けはじめで思

い出せません)。

このレコードの題「石川セリ 翼 武満徹ポップ・ソング」です。題名通り曲は、全部あの現代

音楽の代表作ノーベンバーステップ(現代音楽。私にはとても難しい曲でした。)を作曲した

武満徹です。作詞は武満徹と谷川俊太郎です。

武満徹が、映画、演劇等で書いた曲で、コーラスをやっておられる方は歌ったり、聴いきた

りした音楽もあるかと思いますが、合唱曲とはまったく違う印象の曲になっています。

あの武満徹がこんな音楽を書いていたのかと思うと意外でした。


この中から一曲を選ぶと言うのは難しい。納められている曲は

■小さな空へ ■島へ ■明日ハ晴レカナ曇リカナ ■三月の歌 ■翼 ■巡り会い

■死んだ男の残した物は ■うたうだけ ■○と△の歌 ■恋のかくれんぼ 

■ワルツ「他人の顔」より ■雪 ■見えないこども


どれも素晴らしい曲ですが、「明日ハ晴レカナ曇リカナ」が単純で深い曲で大好きな曲です。

作詞は武満徹さんです。


■昨日(キノウ)ノ悲シミ

 今日ノ涙

 明日ハ晴レカナ曇リカナ

 昨日ノ苦シミ

 今日ノ悩ミ

 明日ハ晴カナ

 曇リカナ


合唱曲とは異なる編曲も素晴らしいものです。そしてセリのあの透明な声。

絶対に、聴けばトリコになりますよ。


2011年11月12日 (土)

正一井猿葉神社②~雲仙市千々石町

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階段の左右にお稲荷さんがあるのが分かるでしょうか。右の写真が本殿です。

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中を見ましたが、ご本尊様は扉に隠されてみえません。

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ここからは小浜方面がよく見えます。海岸沿いが小浜温泉です。

さて、本殿の横に社務所があるのですが、気になる張り紙が。

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やはり何とかの沙汰も何とかなのでしょうか。

帰りに気になる鳥居が。

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普通は家内安全なのですが、「夫婦円満」とは?

仲が良いのでもっと円満になるように、なのか、仲が悪いので良くなるようにと、願をかけ

たのか?

私の所は後者なのですが、思い切って二十万出して鳥居を建てて大きく「夫婦仲良く」と書 

いて貰おうかな。

さて、帰りがけはご注意いを来た道を戻るとすれ違いが出来ません。左の道を行くこと。

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さて、千々石から小浜に行くとき、右の方を見てください。古い鳥居があります。

昔は、こちらからも登っていったのでしょう。

鳥居の左側に円柱の低い石が分かると思います。

何かと思ったら、道案内の標柱でしたが、円柱の標識は珍しかったのでの写真に撮ってき

ました。

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「右ハ 千ゞハ」(千々石)  「左ハ ヺバマ」(小浜)   「右ハ トミツ」(富津)

と書いてあります。ちょっと面白い書き方ですね。

確かにここは左右は間違いありませんが、富津は左に少し行ったところから坂を下ったと

ころです。もしかしたら、右側から下にくだる旧道があるのかも(あったのかも)しれませ

ん。

興味のある方はきかいがあったら見てください。趣のある標柱です。

それでは、小浜温泉でごゆっくり。








2011年11月11日 (金)

正一位猿葉神社①~雲仙市千々石町

諫早から小浜に向かう途中、千々石町に猿葉神社があります。お稲荷様です。

千々石と言えば橘神社が有名ですが、猿葉神社も正月は一杯になります。

橘神社から2~3キロ行ったところにあります。大鳥居が見えます。

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狭い道ですから注意をしてください。

駐車場はかなり広いですが、確か正月は

駐車料金を取られた気がします。

古い鳥居がありますが、昔は下からこの鳥

居をくぐって登っていったのでしょう。

今は車を使いますから、通る人も無く、道も

草に覆われ歩くことが出来ません。                    


この神社はたくさんの鳥居が奉納されてい

ます。圧巻的です。嘘八百とか言いますから、

八百本とでも言っておきましょうか(冗談、冗談)。

お稲荷様ですから、商売関係の方からたくさん奉納されています。東京、広島など遠くの

方々も奉納をしています。やはりご利益ががあるのでしょう。

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歩くこと15分。ラストスパートです。

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明日、かみさんを朝早く送っていくので今日はここまで。又続く。


2011年11月10日 (木)

ターシャ・テューダ最後の言葉

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実はターシャ・テューダについてはほとんど知ってなかったのですが、公民館の図書室にこ

の本が置いてあり、中の素晴らしい写真にひかれて借りてきました。

ついでに二冊の絵本も。

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どちらも、テレビも、コンピューターも電灯もない時代の物語です。

「コギーヒルの一番楽しい日」はクリスマスを中心とした絵本。

「輝きの季節」は古い時代の、一年を通しての生活を描いたものです。

どちらも、ほのぼのとした絵と物語です。

ターシャーの本の写真では、花の手入れをし、果樹の実を摘み、お茶を淹れといった優雅な

生活が撮されています。

こんな生活が送れたらと思いますが、ターシャの長男が後書きに書いています。

■時に、ターシャに向かって「あなたのように生きられたらいいのに」という人がいます。で

も実際の彼女の人生~人里離れた場所に済み、文明の利器や携帯電話を持たず、買い物

の為の便利な交通手段を持たず、一日三回ヤギのミルクを搾り、家畜小屋の掃除をし、そし

てなによりも四人の子どもを育て、芸術の世界で成功するために一生懸命に仕事をし、お金

の心配をし四十代で離婚をする、などなどを考えるなら、それほど魅力的ではないでしょう。



ターシャのようなな生活を送るのは、よほど強固な精神がいるのでしょう。

便利な生活に慣れた私たちには、とうていこのような生活は送れないでしょう。

この本に、良くお茶(紅茶?ハーブ?)を淹れてる写真がありますが、昼のゆっくりした時間、

お茶を飲みながら、せめてもは、この本と絵本を読みながら、このような生活を送ってる自分

を空想することも楽しいかもしれませんよ。

またテストです

修正できているかテストです。

なお、下の女性は私のかみさんではありません。念のため。

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2011年11月 9日 (水)

テストです。

書いたブログが、ブログの新着記事の所に反映されなく、写真も前日のしか反映されていな

いので今日はテストです。申し訳ありません。

Chidiwa_test

2011年11月 8日 (火)

育児日記~山田風太郎

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山田風太郎と言えば高校時代「くノ一忍法帖」等にはお世話になりました、(「お世話」の内

容については男性の方にはお分かりになると思います)

その山田風太郎がこんな愉快な本を(日記を)書いていたとは予想外でした。

内容はは2人の子どもの育児日記ですが、はやり父性の目での日記ですが、少し書き

写したいと思います。

■子どもの顔を見たらユーゼンとして父性愛を生ずるかと思いしに、、ちっとも生ぜず、上

野博物館にある南米の土人の首を乾かし固めかためたやつみたいな顔を見ながら憮然

としている。

■もし佳織(娘さん)が死んだらどうするかと聞いたら啓子(奥さん)曰く「死んでも一週間く

らいは抱いて寝る。」それから又曰く「あなたは風呂にゆかないから死んだらすぐすぐ埋め

てしまいます」と

■夜五十嵐家で麻雀しようとしたれども佳織泣きわめきて啓子加わる能わず。従って麻

雀出来ず。大いに腹を立て牌を佳織の頭に叩きつける。

啓子曰く「三十三になって、九ヶ月の赤ん坊とケンカするのか」と。

■子どもの名、当用漢字にあって、字がきれいで、意味があって、発音が良くて、ほかに

例がなく、しかもあまりヒネリ過ぎないものとなると困惑せざるを得ない。

「知樹」(長男)とす。

さてこの子の生涯の運命やいかに。

■余と啓子(奥様)とトックミアイノ真似をしていると、佳織、人形を放り出し、「コノヤロ

メ!」と余に向かって来る。そして啓子に向かって「はやくにげな!」という。

■佳織、夕食を食べていてビワを食いたいといい出す。「もっとご飯を食べろというと、胸

をさして「ムネ(胸)まで来ているの」という。

「そんならビワももうたべられないはずだ」というと、頭をさして、「ここはまだ空いているよ」

■子供が無心に遊んでいる。それを眺めている父親の心は母親より冷淡であろうが、そ

れだけ複雑なものがある、冷淡だから複雑なのか。複雑だから冷淡なのか。

■よい学校にいれてやるのは、クレヨンを与えるに似ている。親としてはなるべくよいクレ

ヨンを数多く与えてやるのが義務であろう。しかし、それを以て人生の絵のを描くのは、つ

いに子供の天性の技量である。

■子供というものは、存在するだけで親はその報酬を受けている。

テーブルの向こうに小さな赤い顔をならべて飯を食っている風景、午後になると佳織りは

学校から、夕方になると知樹は外から「タダイマ-」と声はりあげて帰ってくる声、それだけ

で充分である。

■五十嵐家へは歩いて半里、途中、野あり森あり、先日佳織りと散歩したとき「佳織、一

人でお使いにゆけるか」ときいたら、しばらく考えて、「赤頭巾ちゃんみたいね」と、いった。

■天金にいって天ぷらを食う。子どもたち、めずらしいと見えて、良く食う。佳織り言う

「お父さん、無駄遣いじゃないの」

■知樹をだいていると、啓子「知樹の顔はお父さんより大きい」という。うっかり「この大頭

にずいぶんソシツの悪い脳みそがつまっているんだ」といったら「オレの頭のわるいのは

おまえのせいだゾ-ッ」と泣き声をあげ、死にもの狂いの声をだして怒った。悪いことをし

た。


取り上げれば切りが無いのでこのへんで止めますが、この日記は長女佳織さんの誕生か

ら中学校の1年の途中までの記録です。

山田風太郎は毎日、日記をつけているようですが、その中の子供に関する部分だけ書き

抜いて佳織さんの結婚がきまり、家を出て行くとき贈られたのがこの日記だそうです。

こんな素晴らしい結婚祝いは、世界中一とつとしてないでしょう。

佳織さんも「この日記は、かけがえのない私の宝物です。死んだら棺に入れてもらおうと決

めていました」と書いています。どんな遺産よりすばらしい遺産でしょう。

わたしも、これを読みながら日記をつけておけばと反省。


読みながら、うちの子も、あんな事、こんな事あったなと思い出すと、目がウルウルとして

きました。

子育てが終わった方も是非お読みください。愉快で、子供がいた頃の楽しかったことを思

い出しますよ。

それから、これから育児をされる方、へんな育児書を読むよりこの本のほうが役に立ちま

す。

2011年11月 7日 (月)

有家町キリシタン史跡公園②~南島原市有家町

さて、前回ご紹介したように今回は、宝篋印塔に隠された十字架からご紹介します。

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宝篋印塔の笠の部分ですが、上の方が何となく雑な作りで、後でとってつけたような感じ

がします、上に凹部がありますが、それにもしっくり合わないようで何かの事情があったの

でしょうか?

さて、この上の部分を取ると中に隠し十字架か彫ってあります。

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有家近隣町の人は島原の乱で全滅と言われていたのですが、何名かは乱に加わらず残

り転びバテレンの振りをしながら祈っていたのではないでしょうか。

さて、気になるのがこの2つの石仏。

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 説明版には「この地で発見されたもので室町期のものと推定される。」と書いてあります

が、昭和56年発刊の「有家町郷土史」下記のような写真が掲載されています。

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こちらには、石人(猿石)という説明になっています。

有家町で調査をしたところ、20数体の石人像が発見されたそうで、全国に類を見ない「猿

石(さるいし)」の類である事が判明したそうです。

昔、雲仙が信仰の対象の山でしたが、その一つ高岩山に神社が祀られ、その道々、大小

ありますが猿石がおかれていたと聴いたことがあります。猿石は有家町(深江町にも?)

独特であり、他の町村には見られないそうです。

報告書で調査委員吉田正隆氏は「一連の初期仏教関係の、特に弥勒信仰関係の石像仏

(猿石)は現時点では韓国益山弥勒寺、奈良明日香村吉備姫王陵と、有家町高岩山参道

を中心とした島原半島しか知られておらず(略)」と書いています。

史跡公園の像が「猿石」と呼ばれるものかどうか分かりませんが、興味は尽きないところ

です。


なお、島原半島のキリシタン墓地の調査は、1983年に県立有馬商業高等学校の郷土史

研究会生徒が調査をし手作りですが、資料を出しています。

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キリシタン墓碑については、残念ながら、これ以後あまり研究がなされていないようです。

各町それぞれにはそれなりの資料はあるみたいですが、町村合併で段々と不明になって

行く事を懸念してやみません。

(参考~有家町郷土史・有家町教育委員会キリシタン史跡資料抜粋)











2011年11月 6日 (日)

この一曲~クレン・グールド/モーツァルト・ピアノソナタ第11番第1楽章

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中学校から音楽と言うより、ジャズばかり聴いていた。ジャズにあらずんば音楽にあらずと

いう毎日..。

ある日、ラジオドラマで寺山修司の作品をやっており、そのバックミュージックにモーツァル

トのピアノソナタ15番をやっていた.。気にいったので、手に入れよう思ったのだが、モーツァ

ルトのピアノソナタのレコードはたくさんあり、どれが良いのか分からなかったが、少し変わっ

た演奏家がいると言うことで写真のレコード(もちろん33回転LP)を買った。金がなかったの

で手作りのチープなスピーカーで聴いたが、レコードに針を落として、最初の曲ピアノソナタ1

1番「トルコ行進曲」第一楽章を聴いたときその遅さにびっくりし、しかしながら小林秀雄の「モ

ーツァルト」の中での「モオツァルトは目的地など定めない、歩き方が目的地を決めた。」とい

う文章が頭の中に浮かんだ。この演奏もまったくその通りのような気がした。演奏者の名前

は「グレン・グードル」とにかくこんなゆっくりしたすごい演奏は聴いたことがない。


ちなみにこの曲をバックハウスと比べると第1楽章 7分58秒対6分30秒、第2楽章 6分3

6秒対4分27秒、第3楽章が4分04秒対3分11秒、遅い方がグールド。全部1分前後の違

い、何というゆったりした演奏でしょう。(勿論、曲によっては早引きもある。早いのはすごく早

い)

あっけにとられるような演奏だったが、それからから、ジャズ青年がクラッシックも好きになっ

たのです。その時、私23歳。

そして、グールドのバッハのすばらしさ。初レコードのゴールドベルク協奏曲で有名になった

のですが、もちろん悪評もありましたが・・・

(左が最初出たデビューレコード盤 右がCD盤)

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彼に関しては、演奏活動を止め、録音のみにしたり、いろいろとエピソードがあり、評伝も何

冊かでて、自分も持っているが、読んでもあの演奏さえ聴ければそんなものどうでも良いよう

な気がしている。


演奏は曲は非常に限られ、私が持っている物でも、バッハ、モーツァルト以外は、R.シュト

ラウス、ベートーベン、ベルグ、ウェーベルン、クシェネック、ハイドンくらいでリストも、ショ

パン、ドビッシーなどおきまりのピアノ演奏は一曲も残していない。

レコードのデビュー曲がバッハのゴールドベルク変奏曲なら、最後の(2回目の録音)録音

も同じゴールドベルク変奏曲。

(左が最後ののレコード盤 右がCD盤)

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NHKでも一回興味深いドキュメントがあったが、今回映画でもあるようです。

多分長崎まではこないでしょうが・・・

1982年10月4日亡くなりましたが、あれからもう30年ですか。つい最近のような気がし

ているのですが。

あれから何か音楽に興味を無くしたみたいな気がして・・・

2011年11月 5日 (土)

有家町キリシタン史跡公園①~南島原市有家町

有家町桜馬場に、キリシタン史跡公園があります。少し分かりにくいので地元の方に尋ね

ながら行ってください。

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Photo

作られた経過は看板に書いてありますので読んでください。(クリックすると拡大します)

キリシタン墓碑には、無銘のもの、文様等が入ったものがありますが、向かって左側の墓

碑は無銘のもの。右側は文様等があり風雨で摩耗するため屋根がつけられています。


有家には昭和62年現在三十数基の墓の所在が確認され、その内17基がこの桜馬場に

確認をされていたのです。島原の乱後有家町等全員滅ぼされ、人がいなくなったために

天領から多くの人移住させられたたのですが、墓碑はその方々とは関係なく、放置された

のでしょう。溝のなかにうち捨てられたもの、道路の側壁として使用されたもの、古い家の

石垣に使われたものもあり、このままではと言うことで、散逸した墓碑を集め、このキリシ

タン史跡公園が誕生したのです。

よく、この墓碑が隠れ切支丹のものと勘違いされておられる方もおられますが、有家には

大なセミョナリ、(コレジオはいわゆる高等なものを教えるところ、セミョナリは初等科)があ

り、教会に付属する墓碑と推定されています。

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真ん中に文様があります。(各写真はクリックすると大きくなります。)

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類子(ルイス)の墓碑です。以前は説明版に書かれた文字が見れたのですが。いまはほと

んど摩耗しています。(県史跡指定)

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上の方に花十字が見えます。

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はっきりと花十字が分かると思います。


歳のせいですか、目がかすんできたので今日はここまで。

次は宝篋印塔に隠された隠し十字架から続けます。






2011年11月 4日 (金)

近代日本画夢の共演展~長崎県美術館

牛に引かれて善光寺参りではありませんが、妻に引かれて美術館に行きました。

私、自慢ではないのですが、小中学校通して美術は一回しか3を取ったことがありませ

ん。あとは2ばかりでした。でも、行くのを断ると離婚訴訟の時の理由の一つにされては、

と思いついていきました。娘も一緒3人です。

今の美術館昔に比べると良くなりました。10年ほど前は、美術館も博物館も一緒で、古び

た建物でした。人員も館長、総務課4名、学芸課は課長、館長兼務、係長1名、なんと学

芸員は1名あとは研修員1名。これが長崎県の(市ではなく県です)文化行政のの実情だ

ったのです。これでは、良い企画はできるはずがありませんでした。

第3セクター方式になり、博物館、美術館もきちんと分けられ、良い企画もされるようにな

りました。(福岡比べるとまだ不満はありますが・・・)

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本日は日本画展、私は、アンディウォホール、リキテンシュタインなどの現代美術の方が

好きなのですが。(福岡まで見に行きましたが)

しかし、私の好きな棟方志功が出品をされ、常設展の方ではダリ、ミロ、ピカソの絵がゆっ

くり見られたので、良しとしましょう。特にダリは良いですね。

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午前中は館の学芸員の説明。午後からは東京富士美術館(だったかな)の学芸員の講義

と。はやり専門家の話は聞くもんですね。なかなか、面白い話も聞けました。

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昼は、館内の食堂で取りましたが、腹の足しになるのが、サンドイッチ、パスタ、カレーと、

どちらかと言えば軽食系統でした。まあ、こんな上品なところで、カツ丼とか、餃子ライス

とかは似合わないでしょう。

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食後は、ケーキをひとつ。私は肝脂肪、コレステロール、血糖が高いため、ちょびっと分け

て貰いましたが美味でした。

ケーキ類のメニューを見るとなかなか充実しているみたいです。

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あっ、それから美人画は良かったな。色っぽくて。

かみさんと、娘とを見比べれば、とてもとても・・・





2011年11月 3日 (木)

四千万歩の男(井上ひさし)~やっと読了しました

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読み始めたのが、9月中旬頃、途中目がおかしくなったり、持病が出たり。また、老眼の

上、途中何冊かの本を併読したりで、やっとのこと読み終わりました。

題材が題材なので、難しい本かと思ったのですが、そこはそこ。ちゃんと、測量の方法、器

具、日記、書簡等ノンフィクションを交えながら、井上ひさし流の人情話、推理話、ユーモア話

を交えながら話が進んでいくので、飽きることがありません。なにせ、若き日の二宮金次郎

十返舎一九、葛飾北斎まで出てくるのですから。

ついでにと思って、こんな本まで買ってみました。

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これを見ると、伊能忠敬がいかすごい地図をあの時代作ったのか分かります。

とくに、現代のように「三角測量」また、精密な機械を使ってではなく、「導線方」という歩

測、間縄等で距離を測り、方角を定め一日分の測量記録を一枚の地図(小図)にまとめて

ったのです。ただ、それを補うために、「天体観測」「遠山仮目法」(遠山など目標を定め、

見えはじめから見えなくなるまでを何回となく計って位置を正確に掴む方法)を使ったそう

ですが、この地図を見ると、言ってみればそんな原始的な方法でこの地図を作ったのはまっ

たく見事なものです。

50歳を越えて(なんで50歳を越えて学問を修めたかは読んでください。ここは面白いとこ

ろです。)算学、天文学、暦学等を学び、56歳から72歳の時まで地球一周を超える距離

を歩いたのはまさに、驚異的な人物です。私なら、女遊びの方を選びますが。(金があれ

ば・・・)

ただ、惜しむらくは作者の井上ひさしさんが亡くなってしまったことです。

後書きで、「筆者は構想の七分の一をようやく越えたところで・・・やがてそのうちにこの小説

をふたたび書き継ぐことになりそうだ。希望的観測でなく、感知器がそう告げている。読者諸

賢よ、その時までお元気で。」と書いています。

何か、井上ひさしさんにおいてけぼりを食ったみたいで残念でなりません。






2011年11月 2日 (水)

橘公園の桜は今~雲仙市千々石町

あれだけ、桜の花が咲き誇っていたのですが、今はすっかり枯れ木、になってしまいました。

P1060112

誰も来ていなくて、静かなものです。しかし、これはこれで趣のある風景です。

枯れ木は俳句の題材にもなっています。

■斧入れて香におどろくや冬木立     蕪村

■逢ふ人のかくれ待ちゐし冬木かな       原石鼎

■裸木の誰もが触れたがるところ     藤本美和子

■父母の亡き裏口開いて冬木山      飯田龍太

■全山の枯れ木となりし静かかな     としを

■今日の日の空を支へて枯れ木かな      立子

■妻四十枯れ木枯原美しく         秀雄

P1050943_2

■低くとも空を目指して冬木立    sugikan

青空の下でみると、何かすっきりして、私の好きな風景の一つです。

数年前読んだ、なだいなだの本にこんな事が書いてあったような記憶があります。

なだいなだが桜の名所の寺に、咲き具合を電話で尋ねたところ、和尚さんから「桜はあな

たのために咲いているのではありません。花良し、葉桜良し、枯れ木もまた良し。いつでも

お越しください」といわれたそうです。

ただ、枯れ木と言っても冬芽は小さいけれど、しっかりと出てきています。

生ている力を感じます。

P1060113

女の方で、化粧落として素顔になると、ちょっと引ける人がいますよね。

桜は、今が素顔でしょう。でも、すっきりして好きですね。

花よし、葉桜良し、枯れ木良し。まったくその通りだと思います。

関係ありませんが私、熟女の方が好きですが・・・





2011年11月 1日 (火)

癒やしの小道~千々石川河川公園(雲仙市千々石町)

橘神社にはたくさんの方が来られますが、神社へ行く時に渡る軍神橋の下を流れる川に

沿って、橘神社から温泉神社に河川公園が作ってあります。

私の散歩道です。あまり利用している方が少ないので紹介します。

入り口の温泉神社です。反対から来ると出口になります。当たり前ですが。ここは雲仙に

ある温泉神社の分社になります。ちなみに昔「温泉」と書いて「うんぜん」と読んだそうで

す。ですから入浴する温泉と「温泉神社」とは関係がありません。

最初は千々石、吾妻、有家、伊左早(諫早)の四カ所に分社が建てられたので「四面宮」と

言われていたのですが、今は「温泉神社」という名称で十数カ所になっているそうです。

P1050960

ここが入り口です。左が温泉神社になります。すぐ横の川の中にカッパが。

P1050961

神社のすぐ裏に小さな祠があります。裏を見ると神様が祀ってあります。なぜ、祠の中に

入れてないのかよく分かりません。

P1050964 P1050968

ここのところに、多分昔の鳥居の名前が掲げられた石ではないでしょうか

P1050973

「面宮」と書いてあるのが分かります。かけたところの部分の文字は「四」でしょう。当初は

「温泉神社」ではなく「四面宮」と言われていたのではないでしょうか。この向こう側にも同じ

ような割れた石があってそれには「四面宮」と読まれました。

ずっと川のそばを通りますが、川の音、滝の音、海の音、虫の声などヒーリングミュージッ

クとして効果があると言われてCDが出ていますが、本物はそれ以上心を癒やす物があり

ます。整備された道が続きます。

P1050979 P1050978

川を見ると所々に飛び石が、使われているもの、使われていないものあるようです。

P1050962 P1050981

ここの桜綺麗なのですが、あまり人が来ているところを見たことがありません。もったいな

い。この先の橋は車で通ると上からは分かりませんが、アーチ橋です。1928年に作られ

ています。

P1050980 P1050984

一回道に出てまた、河川公園の道に戻ります。

P1020480

河磯橋。橋脚や床の部分を石でつくって、大水の時橋の上を水が流れるようにしてありま

す。1902年に作られています。

ここを過ぎるとすぐ橘神社の軍神橋の下にでます。道の右はしだれ桜です。春になると綺

麗な桜をみせてくれます。

P1050993 

P1050997P1050996

軍神橋は工事中ですが、上の方は歩いて通れます。ここの橋の下の桜が一番綺麗でしょ

う、上から見る桜も乙な物です。ライトアップもして夜は綺麗です。

P1050998

橘神社に着きました。お疲れ様でいた。

ぶらぶら歩いても15~20分程度です。天気が良かったら、歩いてみてください。

癒やされること請け合いです。









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