島原の乱と宮本武蔵
今日は朝から雨、病院に行ったら患者さんが一杯。待ち時間があるので、ちょうど良いと
思い今日のブログはなにを書こうかと思っていたら、女の人から、しかも独身の知り合い
の方から声をかけられました。八十九歳の。良くしゃべること。おかげで、考えがまとまり
ませんでした。
さて、この間、原城へ行ったことを書きましたが、なにか頭の中に忘れていたものがあった
のですが、やっと今日になって思い出しました。あの宮本武蔵がこの島原の乱に加わって
いたのですね。もちろん幕府側です。何に書いてあったか、覚えているようで、覚えてない
ような。吉川英治は巌流島のところで終わっているし、小半日捜してやっと分かりました。
やっと見つけました。
この本、吉川英治の「宮本武蔵」と読み比べると面白いですよ。どちらの方が真実に近い
か。司馬遼太郎の方は短編なので一時間ほどで読めると思います。
さて、この本のを読んでいくと、当時、養子の伊織が小倉の小笠原藩に武蔵の推挙で仕
官していた関係で、小倉の小笠原藩の陣地にいたそうです。西望公園の図で見ると
図の真ん中の白丸で囲んだところです。各藩の番号が振ってあって「69 小笠原右近大
夫(小倉)」と書いてあります。
さて、武蔵の働きというと、本に書いてありますが、石を投げられ傷を負い活躍はできなか
ったみたいです。裏付けとして、陣中の武蔵から有馬直純に宛てた文書があります。こ
の、資料に載っていました。
旧南有馬町のまちづくり課が作った資料です。
この中に「拙者も石にあたり すねたちかね申・・・」と書いてあります。脛が立てない状
態なのでかなりの重傷だったのでしょう。
このようにして登っていったところを石があたったのでしょう。
この資料の中に、「四郎法度書」もありましたので、一揆群の覚悟が分かると思います。
最後の益田四郎は天草四郎の本名です。
さて、原城に来られたとき、ここで宮本武蔵も戦っていたことを思い出してください。
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