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2011年9月 7日 (水)

切支丹遺跡・遺物・隠れ切支丹地蔵等 3 (雲仙市・千々石町)


9月16日は橘神社の大祭のためか、幟が立てられていました。

P1040857

その内の一組は

P1040859_2

橘中佐は明治37年8月11日、歩兵第34連隊第1大隊長として赴任をし、明治37年8月3

1日首山堡にて戦死をしておりますので、現在陸上自衛隊になってもその関係があるのでし

ょう。



さて、千々石での切支丹遺跡関係はこれで一区切りしますが。今回の隠れ切支丹地蔵は発

見された経緯が少し変わっています。家を囲っている石垣を取り除き、通路を作ろうとしたと

き石垣の中から見つけられたそうです。

P1040745

この石垣の中程に、このように隠されていたそうです。

P1040754_2

P1040752

P1040750

横の所に、バインダーに挟まれた説明書もあります。

P1040749

これによれば、東京の研究者に判定して貰ったところ

(一)発見された状況から見て、丁重に「隠されたもの」と言って良い。

(二)この石像は仏像に偽装したものだが、仏教から外れた形をしており(中略)これは仏

像を否定する「貌姿」に複数の隠し事を併せ持つ稚拙ながら資料価値の高いものと評価

できる。又、パーデレ(神父)が着るマントを羽織っているようである。

(三)天のシンボル・数珠を持つことから、デウス(天神)又はキリストとも思われる。もちろ

ん神父の可能性もある。

(四)台座を蓮座にしたのは、仏教とを思わせるためのように思われる。

と書いてあります。


多分、この家の方もまったく話しも聞いたことが無いのではないでしょうか。

また、この近くには先に書いた4体のうち3体の遺物が点在しています。

千々石は、千々石ミゲル以外切支丹に関しては関係が薄いところなのですが。いろいろ

資料を漁りましたが、知らないことを調べるのは面白いですね。

また、面白いことがあったら報告したいとおもいます。

(参考~ 説明文及び千々石史談第2号 隠れていた石像~関良孝 より)




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コメント

こんばんは
おおすごい!
民家の石垣の中から発見されたんですか
小さな石仏に見えますね
大きさはどれくらいでしょうか?
捨てることも壊すこともしないで隠してお祈りしてたんでしょうか
昔の人の純粋な信仰の強さを感じます


千々石にも島原の乱に加わった者もおり、信者がいたことも考えられますが、切支丹禁止令が出、ばれると親類縁者にも類が及ぶため、地蔵さん自体の存知も、子孫にも語らずいつの間にか忘れられらたのでは無いでしょうか。
地元の郷土史家の方が、話を聞いたのが平成12年だったそうで調べに行かれたそうです。
大きさは、小型のお地蔵様くらいの大きさくらいです。
有家にいたときは、普通のお墓を何かでえぐって十字架型にし、金属(黄銅鉱みたいなもの)を流し込んで十字架にしてあるものもありました。墓を建て替えるとき墓が割れてそのことが分かったそうです。
これは見てすごかったですよ。

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