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2011年8月28日 (日)

橘神社(長崎・雲仙市・)裏山のこと(釜蓋城)

千々石の橘神社といえば、ギネスブックに載る大門松で有名になり、正月の参拝者数で長

崎市の諏訪神社につぐ参拝の方が来られるようになりました。

さて、もし皆さんも来られることがあったら神社の裏山にも気をつけてください。本殿の後ろ

側です。

P1040350_2

遠景でみると

P1040346_2


真ん中に大きな建物が見えますが、中学校です。その後ろこんもりとした小山が見えます

が、これが城山です。この麓に橘神社があります。この小山に釜蓋城と言われる城ががあ

ったのです。ここは今、グラウンドと展望台があります。

P1040402

城と言っても天守閣付きの立派な城ではなく、山城だったのでしょう。


この横に「天正遣欧使節千々石清左衛門(千々石ミゲル)の碑」があります。

P1020336


以前は橘神社の所にあったのですが。ここに移転をしました。

また、この階段の横に千々石町(現雲仙市)文化財指定石仏・神父像があります

(キリシタン遺物)。

P1040391

この事については、後日書いてみたいと思います。


さて、ここに上がってくる間に神社があります。

P1040358


なかなかおもむきのある神社なのですが。

全部、しまったままになっています。平成3年台風19号で被害を受け改修されたそうで

す。

神主もいませんし、賽銭箱も鈴もありませんが、深閑としてなにか一種のパワースポットを

思わせます。ほとんど訪れる人もいません。

P1040363

P1040359

この神社は天正5年佐賀の龍造寺隆信に釜蓋城が攻め落とされ、自刃した城主の千々石

大和守直員と、一緒に戦った家老町田兵七郎、木戸萬九郎が合祀されています。

町田兵七郎はは間道を通り敵を攻めるつもりが、途中で城主の死をしり、敵陣に切り込

み、大石の上で切腹を遂げたそうです。敵も味方もこの悲壮な最期に感ぜないものはなか

ったそうです。

たしか、昔田んぼの中に大きな石があって、いたずらをすると、祟りがあるという話を聞い

たことがありますが、その石でしょう。いまはありませんが。

田んぼの中に石碑があったと言うことで、多分町田兵七郎の碑だと思われ、移転はされま

しが、現在も近所の人が祀っています。

P1040415

大和守直員切腹するとき、この国の世の平和を希求し、天満宮天神菅原道真公をこの地

に祀ることを遺命し25歳の生涯を終えたそうです。

時代は、それどころではなく、これより半世紀後の寬永二十年にこの天満神社が創建され

たそうです。


なお、この大和守直員の遺児が千々石清左衛門(千々石ミゲル)になります。

青山敦夫氏の「千々石ミゲル」に清左衛門が落ち延びる様子が少しですが出ています。

城山の上まで道が通っていますが、分かりにくいのでカーナビか、地元の人に聞きながら

行くか、又は橘神社から歩いて行くのが(少し急坂)良いと思います。

橘神社にお参りに来られる方は、後ろの山も見て、こんな事もあったのだ思っていただけ

れば幸いです。(参考 千々石郷土史 千々石町史)





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コメント

おはようございます
橘神社には桜の頃に何回か行ったことあります
城跡にも登ったこともあります
が千々石ミゲルの碑には気づきませんでした
多良見町に千々石ミゲルのお墓がありますが
故郷には帰ってこれなかったんでしょうか
千々石ミゲルなので千々石が故郷だと思い込んでますが
父親が自害したのなら違うのかな~

エフ様
いつもコメントありがとうございます。
む~千々石ミゲル、難しいですね。棄教して、大村藩に依った事までは分かっているのですが、それからの資料がほとんど分からないのです。
多良見の墓は大石一久先生の学説ですが、反論する方もおられたような方もおられたような記憶もあります。
まあ、謎の部分があるので皆さん興味をもたれているのでしょうが。
本年の松本清張賞とをとった「マルガリータ」村木嵐もミゲルが主人公です。その他、いろいろありますよ。

はじめまして、うれしくてメールしちゃいました。
私は千々石海水浴場で遊び育ったものです。
今は、他県にお嫁に行きましたが離れてみて海がそばにある幸せを感じています。
しかし、年々人もいなくなり汚れている海を見ると寂しく思います。
千々石を取り上げていただきとてもうれしかったです。
これからも懐かしく見させていただきます。

千々石海岸は一週間に2~3回歩いています。私は千々石出身では無いのですが、海岸の様子は随分変わったそうです。
昔は遠浅だったそうですが・・・
漁港近くの学校指定の海水浴場も無くなりました。
時々は千々石のことを書いてみたいと思ってはおりますのでお暇なときは覗いて見てください。

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