橘中佐二つの墓(雲仙市・千々石町)
晩夏ですけれど暑さが続きます。
でも、「晩」という字がつくと何となく哀愁を感じますね。晩夏、晩秋、晩冬、晩春そして晩婚
(私も晩婚でしたから実感です)。
朝から歩いてきましたが、蛇も泳ぐ暑さでした。
蛇のくせになまいきですね。私「反省!カバおばちゃんの思い出」で書いたとおり全然泳げ
ないのですが、足も手もないのにすいすいと泳いでいました。
さて、昨日橘神社に関することを書きましたので、今日は橘中佐の墓のことを書いてみた
いと思います。
ネットで検索すると橘中佐の墓は「静岡陸軍墓地(旧静岡陸軍墓地公園)にあり、陸軍歩
兵中佐 正六位従六位 勲四等功四級 橘周太之墓」と刻まれているそうです。
千々石にも橘中佐の墓があるのです。橘神社から歩いて10分もかからないでしょう。
階段を上りきって、本殿の広場の左端の方に道があります。
この道を行くとすぐに墓地があります。道をまっすぐ行くと、大きな階段があり、その階段を
上がると多分橘家の墓地でしょう。
この中でひときわ大きいのが橘中佐の墓です。
「陸軍歩兵中佐正六位勲四等功四級橘周太之奥津城」と刻まれています。
横を見ると「明治37年8月31日於遼陽首山堡戦死」と刻まれていました。
橘中佐の遺骨がどうなっているのか、陸軍墓地かここにあるのか、あるいは分骨したの
か、はたまた現地に埋葬したのか知りたいものです。記録にはどこにも見当たりませんで
した。
分かったら後日書いてみます。
(千々石町史より)
この写真のようにして、橘中佐の遺品と愛馬は本国へと運ばれようです。
橘神社にお参りされたとき、寄られてはどうでしょうか。ただ、個人所有の墓地になります
ので、心してお参りしてください。
さて、近頃神社とか墓地とか見ていくと自分の遺骨がどうなるのだろうかと思います。でき
れば散骨をしてもらいたいのですが。ネオン輝く中州の川に。
« 橘神社(長崎・雲仙市・)裏山のこと(釜蓋城) | トップページ | モルトウィスキーへの想い »
「旅行・地域」カテゴリの記事
- 日本音楽の面白さ(2024.10.01)
- 台風10号~確かに通ったはずなのですが?(2024.08.31)
- 島原半島に関する三冊の本(2024.05.05)
- 勝手に開花宣言~橘公園(令和6年3月28日)(2024.03.28)
- 観桜火宴のお知らせ(2024.02.19)
コメント