橘神社~さざれ石はあったのだ
皆様もご存じのように、国歌君が代に「さざれ石の巌となりて」という一節があります。
小さな石が集まって大きな岩になると言うことですが、この歳になるまで、これはたとえで
あって、こんな事があるもんかと思っていたのですが、あるのですね。
ギネスブックで日本一の門松で有名になり、参拝者が一挙に増えてきた橘神社の鳥居で
す。
その橘神社の本殿右側に橘中佐の生家が解体されるとき、その一部を持ってきた遺徳館
があります。生家の図が描いてありましたが、すごく大きな家だったのでしょう。
ここの右側に「さざれ石」が置いてあります。少し長くなりますが、説明文を引用します。
「さざれ石」は学名を石灰質角礫岩と言い、雨水に溶解された石灰岩が粘着力の強い乳
状液(鍾乳石と同質)となり、地下において大小様々な石を凝結。次第に一体化しこのよう
に大きな岩となったものが、何千年何万年という長い年月をかけた河川の浸食作用によ
り地上に顕れたものです。
なお、このさざれ石は岐阜県から寄贈されたものだそうです。
この石も何千年何万年かかってできた岩なのでしょう。
立ち寄られたら、是非ご覧ください。
さて、同じく本殿右側に釧雲泉の記念碑と手習石があります。
釧(くしろ)雲泉は江戸時代の南画の孤高の画聖と言われています。地元にはほとんど作
品は無く、二点ほど個人所有になっていると言うことです。そのうちの一点を見たことがあ
りますが、こちらの方は全然分からなくて・・・・
その雲泉は子供の頃下の大きな石、手習石と地元では言っていますが、この石に泥を塗
って絵を描いていたと言います。
今のように何でも手も入る時代とは違っていたのでしょう。
橘神社本殿裏に行かれた方はほとんどおられないと思います。
弓道場の跡です。屋根付きでは無く、屋外の道場です。
昔はかなり盛んで、春の祭りの時には長崎県下から弓道をやっておられるかたが多数
こられて、弓道大会があったものでしたが、だんだん競技人口が少なくなり、地元で中心
になっておられた方も亡くなられたため自然消滅して閉鎖してしまいました。
自分も、多少練習していたのですが、結局アーチェリーに転向してしまいました。
懐かしい場所です。
神社に来られた折には、本殿でお祈りするだけでなくいろいろご覧いただければと思いま
す。
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