2019年12月14日 (土)

「さよなら、私の愛しき人よ」★週刊文春12月19日号より

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久しぶりに週刊文春を買いました。

首相補佐官と厚労省幹部が、山中伸弥教授のところに二人で出かけ、iPS研究の予算削減を通告し、その後、京都でおデートをしたとか。


もっとも本人は「いや、終わった後は自分の時間だから、メシ食ったりしましたよ。(大坪氏と)二人でいきました」

ー貴船神社にも。
「ああ、行きました。彼女はもともと、午後休暇を取っているから。僕は休暇でではなく、出張です。・・・・」
とは言ってますが、「iPS研究の予算削減を通告」なら、両人とも公務出張でしょう。公務出張は、職務であり、メシは食ったりするのは当たり前ですが、二人で写真に撮られたように、イチャイチャするのは良いんですかネ。

ということはさておき、この厚労省幹部がどこかに「美熟女」と書いてあったので、どんな顔か見たくて助平根性で週刊文春を買ったわけですが、なんのことはない、単なるおばさんでした。ウチのカミサンの方が美人です。


と思いながら、最後のグラビアを見ると、今年亡くなられた有名人が写真と共に載っていました。梅宮辰夫さんが亡くなられたのは最近ですから知ってはいたのですが、今年初めに亡くなられた方は忘れているのが多く、あ~この人もだったのかなどと思い出し、皆様も年末を前に思い出していただきたく、書き抜いて見ます。


八千草薫さん 10月24日死去 88歳

市原悦子さん 1月12日死去 82歳
内田裕也さん 3月17日死去 79歳
金田正一さん 10月6日死去 86歳
萩原健一さん 3月26日死去 68歳
橋本 治さん 1月29日死去 70歳
京マチ子さん 5月12日死去 95歳
ドナルド・キーンさん 2月24日死去 96歳
安倍穰治さん 9月2日死去 82歳
田辺聖子さん 6月6日死去 91歳
堺谷太一さん 2月8日死去 83歳
中曽根康弘さん 11月29日死去 101歳
木内みどりさん 11月18日死去 69歳
竹村健一さん 7月8日死去 89歳
ケーシー高峰さん 4月8日死去 85歳
高島忠夫さん 9月26日死去 88歳
ク・ハラさん 11月24日死去 28歳
岡留安則さん 1月31日死去 71歳
北尾光司さん 2月10日死去 55歳
ザ・デストロイヤーさん 3月7日死去 88歳
隆籏康男さん 5月20日死去 84歳
モンキー・パンチさん 4月11日死去 81歳
佐藤忠男さん 9月24日死去 68歳
兼高かおるさん 1月5日死去 90歳
吾妻ひでおさん 10月13日死去 69歳
小出義雄さん 4月24日死去 80歳

酒を酌み交わしたわけでも無く、会話をしたわけでも無く、銀幕、TVで見るばかりでしたが、いずれも、私たちの世代にとっては全盛を知っているだけに、なんとなく同士を失ったような気がしてなりません。あらためて、ご冥福をお祈りいたします。



2019年12月12日 (木)

耳のせいかしら♫~イロイロコネタ

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ネット、新聞などを見ていると意外と見落としが多いことに気づきます。
で、気づきにくい話題を集めて、イロイロコネタ(色々、小ネタ)にしてみました。もっとも、私のブログは小ネタばかりですが。以下ご存じの方は、パスして下さい。

4月30日、天皇陛下の退位の儀式に、安倍首相が国民代表の辞を読みました。その中で、最後に「あらせられますことを願ってやみません」と言うところを「願っていません」とやったそうです。


4月30日で随分以前の出来事ですが、最近あちらこちらで話題になっています。テロップでは「願ってやみません」となっていますが、手に持った挨拶文の原文では「願って已みません」と書いてあるそうです。


この挨拶、YouTubeでも流れていますが、最初は私もまさか!とは思ったのですが、何回か繰り返して聞いてみると「あらせますことを願って(一瞬止まって、繰り返し)あらせられますことを願っていません」。最初は、耳のせいかしら?とは思ったのですが・・・


原文はもちろん官僚の方が書いたのでしょうが「已」は「い」とも「やむ」とも読めるので、一瞬判断を誤ったのかな?とはいえ、大事な国事行為のなかで、特に天皇陛下の前で読む言葉です。私なら、夜も寝ずに何回も繰り返すのですが、安倍首相はぶっつけ本番で読んだのでしょう。が、ですね、天皇陛下を前に(天皇陛下でなく、一般の人にでも本人を前に)「願っていません」とは失礼な。


ということで、あちらこちら見ると、皆さん「願っていません」と書いているので、私の耳のせいでは無いことが分かり、安心しました。


「YouTube」は→こちらをクリック







2019年12月10日 (火)

「臨終」という事

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11月26日~30日まで、お寺から「ご正忌報恩講法座」との案内があったので、出かけてみました。お寺は浄土真宗西本願寺派になります。

「ご正忌報恩講」は親鸞の命日に関わる法要、「法座」は(意味はいろいろあるようですが)、仏法を説き聞かせる会になります。

お寺では、いろいろな時、説教師というのか布教師というのか、いつも講師の先生を迎えて法話があります。なかなか、いい話があるので出かけています。本来、26日から30日まで、朝座、晩座、毎日2回、通算10回のお話ですが、26日の朝座だけ聴聞をしました。さびいからですが・・・(^^;)

今回は、福岡のお寺からの講師で、話は分かりやすく、面白い中にも仏様の話をされ、よく理解できるものでした。井上ひさしさんの「むつかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、ふかいことをおもしろく、おもしろいことをまじめに、まじめなことをゆかいに、そしてゆかいなことはあくまでゆかいに」という言葉どおりの法話でした。


以下、録音を取ってなかったので、うろ覚えの話になります。私の考えとチャンポンになっているところもありますが、骨子は以下のとおりです。なお、臨終に関しては各宗教・宗派で考え方が違うようですが・・・


この法話の中で「臨終とはなんですか?」という問いがあり「お医者さんが、脈をとってご臨終と言いますが、あれ間違いです」とのことで、「え!マジ」とは思いましたが、この言葉、一番上の「阿弥陀経」の一節「臨命終時」を簡略化して「臨終」。意味としては「命終わる時に臨み」ですから、まだ、「生きている時」のことになります。


では、私たちは、いつが「命終わる時」なのか、分かりませんね。私の経験で、学校の先生がテストの採点をしているとき、こたつの中で亡くなられた方を2名ばかり知っています。昼の運動会で元気よく走っていた奥さんが、夕方倒れ、くも膜下出血で亡くなりました。このような事は皆さんも多少なりとも経験があると思います。


言ってみれば、私たちも、いつ「命終わる時」に「臨んで」いるのかは分からないわけです。というより、
私たちは常に「臨終」、「命終わる時に臨み」という時間を生きているという事になります。

あとは阿弥陀仏の話に関係づけた話になってくるわけですが、長いので省略します。

で、確かに私たちは常に、いつ死ぬか分からない「臨終」に向き合って生きているわけですから、今、この生きている時間を大切にしなければと、いつもと違って真面目に考えました。


さて、この話を聞きながら思い出したのが、正岡子規の「病状六尺」の一文。


〇余はいままで禅宗の悟りといふ事を誤解して居た。悟りといふ事は如何なる場合にも平気で死ぬる事かと思って居たのは間違ひで、悟りといふ事は如何なる場合にも平気で生きて居る事であった(「青空文庫」より)。


「臨終」の時を、平気で生きることがどれだけ自分にできるのか・・・



 

2019年12月 7日 (土)

「AirPods Pro」を使ってみたら

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どうしようか悩みましたが、買いました「AirPods Pro」。いささか古い話題ですが、・・・

一番左が「Bose QC35Ⅱ」。ノイズキャンセリングです。外の音が聞こえないようにできます。以前にも書きましたが、ご近所の犬の鳴き声に悩まされたときに買いました。結構効果はありますが、重い。その後、犬さんはお亡くなりになりましたが、少し離れた所の犬が鳴いて、以前のトラウマが残っているのか、何種類かのイヤホンタイプを買いましたが、どれも気に入らず・・・


で、「AirPods」を買いました。が、カミサンが留守がちで、これ、普通のイヤホンタイプですから、音楽など聴いていると人が尋ねてきても分からない。


ということで、「骨伝導」のイヤホンを買いました。これなら、音の出る部分を耳の下につけるだけで、耳の穴はオープンになるので、外の音は聞こえますが、安いのを買ったためか、音に多少不満。


ただ、音楽を聴いているときは「AirPods」、ひとが尋ねてくるようなときは「骨伝導」にしましたが、いちいち付け替えるのが面倒くさい。


最近「AirPods Pro」の評判を聞くと意外に良く、売れ行きも良いとか。イヤホンの所をクリックするだけで、ノイズキャンセリンにもでき、外の音の取り込みもできるとかで、いちいち掛け替えなくてもすみます。ほか、電話の利用などもできます。


ただ、お値段が高いのでかなり悩みましたが、思い切って注文。11月21日に注文(今日注文すると、来年の1月9日にお届けになっています)、今日12月6日に到着で、売れてますね。いつもは、刻印サービスで名前など彫って貰うのですが、これ、頼むとお届けが12月下旬になるとかで、今回はパス。


さっそく試してみると、音楽の音量をあまり上げないなら、外の音もしっかり聞こえます。ノイズキャンセリングにしてみると、エアコン、ファンヒーター、テレビの音では、エアコン、ファンヒーター音は完全シャットアウト、テレビは多少聞こえる程度で、まあまあ満足。あと、イヤーチップが大、中、小と揃っているので、自分の耳に合わせられ便利。


カミサンのお小言は効果無く、耳の底を通り越し、心の奥までグサリと刺さります。

なお、詳しくはYouTubeでイヤというほど情報が飛び交っていますから、そちらをご覧下さい。





2019年12月 5日 (木)

病院帰りの「コメダ珈琲店」

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今日は、1年に1回検査をしている総合病院へ。7年前だったか、血液検査で異常値がでて紹介され通いました。主に肝臓などを検査しています。

今日は、お医者さんから「7年間検査をしました。私たちは、どれだけ悪化するかが心配だったのですが、検査結果としては悪化しているところは認められなく、大体、卒業していい頃かと思います。あとは、地元の主治医さんに文書連絡をしますから、主治医さんに見てもらってください。おかしな所があったら、また来て下さい。」といわれましたが、嬉しかったですね。卒業!!


甘いものを控え、野菜食を多めに、毎日30分程度のウォーキング、たばこ、アルコールは勿論、なるだけ間食を控え、女性には近寄らず、パチンコにも行かずの毎日。で、お医者さんから卒業といわれたので、今日くらいは思い切ってケーキでもと思ったのですが、家で食べてて、カミサンに見つかっては大変なので、最近、諫早市にできた「コメダ珈琲店」に行ってみました。


話としては聞いていたのですが、場所が分からず、知っている人に聞いて行ってみたら、何のことはない国道沿いの吉野屋の所。

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いる所には、コーヒー屋さんもある事はあるのですが・・・どちらかといえば、不毛地帯ですね。もっとも、昼間から地元のコーヒー屋さんでウロウロしていると、知った人ばかりですから「暇人」と思われるのがオチです。ね。

で、「コメダ珈琲店」まで20分くらいの所で、いつも買い物にいったりしているので、病院の帰りがけ寄ってみました。
下がお店屋さん、右が入った所のショーケースですが、メニューはまだ沢山あります。

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初めてで、迷いましたが、「コメ黒」コーヒーと、コメダの奥義とやらの「シロノワール」のセット。一番上の写真です。

で、「シロノワール」とは???と思ったら「シロノワールは、日本語のシロ(=白)と/フランス語のノワール(=黒)を組み合わせた造語で/黒っぽいデニッシュの上に乗った白いソフトクリームを表しています/熱々(あつあつ)のデニッシュと/冷々(ひえひえ)ソフトクリームのうれしい出会い」だそうで、確かに熱々と冷々のシロノワールは不思議な味で面白かった。久しぶりで甘いものを腹いっぱい食ったという感じで満足、満足。


コーヒーもいろいろあって、楽しめますね。


で、スパゲッティとかサンドイッチとかコロッケとかグラタンとかもあるんですね。もちろん、あったほうが何かちょっと食べたいという人には便利なんですが、伊奈かっぺいさんがどこかで言っていました。「ラーメン屋でコーヒーを出すのは許す、ばてん、コーヒー屋でラーメンを出すのは絶対許さねえ(青森弁で読んでください)」。スパゲティですね。難か所ですが、どげんなんでしょう?(ここは長崎弁で読んでね)。


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という事で、久しぶりにコーヒー屋さんだな、と思うようなお店で楽しんできました。

コーヒーはおいしかったかというと、実は私、若いころ小さな喫茶店に毎日コーヒーを飲みに行ってました。時々、マスターが出かけることがあり「淹れといてネ」と言われ、私がカウンターに入ってコーヒーを淹れておりましたが、お客さんからは「今日のコーヒーはまずいな」といつもいわれました・・・(^_^;)


今まで一番おいしかったコーヒー屋さんは、東京の旧日劇の裏にあったお店屋さん(名前は忘れました)。あそこのコーヒーの味は今でも覚えています。数十年ぶりに上京したら消えていました。


「コメダ珈琲店」さんは、ゆったりした感じもあり、気に入ったので、また、来週、近くに行くので、寄ってみようかと思います。できれば、話上手の30歳くらいの美女と一緒に。該当する方は、私を見かけたら声をかけてください。コーヒーくらいは奢ります。ケーキもネ。



2019年12月 3日 (火)

「決算!忠臣蔵」「『忠臣蔵』の決算書」と「忠臣蔵外伝『忠義画像』を読む」

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映画「決算!忠臣蔵」は先週の金曜日に封切りだったみたいですが、以前書いたように、私、昔の画面が広い映画館で映画を見ていたので、最近の小さな画面の映画館では映画を見た気にもなれず、一回見に行ったきりで、多分この映画も行かないと思いますが、本は読みました。

左の本が、山本博文氏が書かれた「『忠臣蔵』の決算書」、これを元に映画が作られ、右の本が映画をノベライズした本。著者は映画監督の中村義洋氏。


もちろん、中村監督は映画を元にして書いていますから、山本氏の「忠臣蔵」を分析した本とは違いますが、中村監督の映画、本も山本氏の本を基本にしたものです。


この「忠臣蔵」、今までの「忠臣蔵」を描いた本、映画とまったく違った観点、「お金」の面から描いています。「討ち入り」にかかった経費はもちろんですが、廃藩になったとき、いくらお金が残っていたのか、藩士の割賦金(退職一時金)まで書かれています。


なお、例えば一両が現代どれくらいの金額なのかは、なかなか難しい面があり、比べる基本になるのも、米価にするか、職人の一日の手間賃にするかで違ってきているようです。この本では、当時の蕎麦一杯の値段「十六文」を現代の蕎麦の値段、大体「480円」として計算をしています(多少安いような感じもしますが、山本氏が本を書いたのが2012年だからこんなもんかな?)。


なお、底本として大石内蔵助が遺した「預置候金銀請払帳(あずかりおきそうろうきんぎんうけはらいちょう)」を中心にして書かれています。この「預置候金銀請払帳」は山本氏の本の一番後ろに載せてあります。あまり、長いものではありません。


最後の給金と退職金が「一万九千六百十九両」今の「約23億円」。これを藩士300名で割ると「約七百八十万」ほどだそうです。もちろん藩士の階級によって違いがあります。なお、大石内蔵助は受け取らなかったそうです。


「討ち入り費用総額」が「七百両」現在のお金で、「約8400万円」だったそうです。この打ち明けについては、両方の本に書かれています。


なお、中村氏の本には「古参の小野寺十内(年収千十五万)や間喜兵衛(年収四百六十二万円)」など書いてありますから、これを見ていけば、どれくらい偉かったか、下っ端だったのか等がわかり便利です。映画でも年収は画面下の方に書いてあるとの話でしたが、見ていないので不明。


さて、買ってきた本にカバーがかかっていたので、はいでみたら、下のような地味な本でした。


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話変わって、たまたま「忠臣蔵外伝『忠義画像』を読む(編集・鬼頭勝之★発行者・舟橋武志★発行所・ブックショップ「マイタウン」)」という本を手に入れました。

「『忠義画像』は『義士四十六(ママ)傑画像由来』によれば、京都紫野の瑞光院(現在は境内に浅野長矩と赤穂義士の塔と赤穂浪士の塔と遺髪を収めた塚がある)にあった四十六の義士の終焉の正像(細川家が贈る)を写したものという。その画像は面目・毛髪少しも本人に違うところがなかった。しかし、質素かつ精密でないので、義士十七回忌(享保四年・一七一九)に当たり、討ち入り時の姿で描き、瑞光院に寄付しようとしている人がいて、この未完成の作品を写したのが本作品である、と記されている。」ということです。


パラパラとめくり4ページほどコピーしましたが、よく見ると槍、薙刀などを持った人が多く、刀を持った人は少ない。


記憶によれば、何かの本に、鉄砲が現れるまで、なんの武器で負傷したのか研究した人がいて(死亡者については当時は検死官はおらず、死屍累々を一人一人調べ記録すのは不可能)、まあ、負傷者の数と死亡者の数は比例するのかなとは思いますが、殺傷した武器として、矢、槍、薙刀、投石が多く刀は少なかったそうです。


刀は槍などがなくなった時の最終手段。また、当時は「首級を取る」といって首を切り取るためのものだそうです。余談ですが、後年に至り切り取った首をぶら下げて戦うのは不便で、耳や鼻を削いだそうです。ただ、耳は両方あるので一人打ち取って両方の耳を持ってくると2人分になるので、秀吉は朝鮮出兵のとき「人は両耳あり。鼻、すなわち一つなり。鼻を割りきて首級に変へん」という指令を出したそうです。


また、武田信玄が小荒間合戦の時に、武田方は「・・・・敵の武将は首級を、兵卒は左の耳を袋に入れて持って来い、その中身によって恩賞を与える」と激をとばしたそうです(「耳鼻削ぎの日本史★清水克之著」:なおこの本には「アイヌ間に行われし鼻削ぎの刑はこれを最後とする」という写真が載っていて、鼻削ぎがどのようなものかが分かります)。


閑話休題。

この図には鉄砲は載っていませんが、「決算書!忠臣蔵」には最後の武器調達の時、どんなに金が無かったのかが書いてありますが、鉄砲は高いので買えなかった、のではなく、暗い中、鉄砲を撃てば誰に当たるか分からない、というより、当時は火縄銃だったので、入り乱れて切り合いをしているのに、悠長に弾込めなどはできなかったのでしょう。また、鉄砲の音は大きいので近所迷惑で、騒音防止条例に違反します。

で、狭い所で切り合いするので刀は使いにくく、槍でつくほうが手っ取り早かったのだと思いますが・・・


というようなことを考えると、「弓」をもった人物もあり、使いにくいのではないかと思いますが、この弓がどのようなときに使う予定だったのかは、小説に書いてあります。


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下の表が、誰がどのような武器を使ったのかの一覧で、「表門側」と「裏門側」に分かれ、持っていた「武器」のほかに、氏名、年齢、役職、石高まで書いてありました。ボケて見にくいのですが、クリックするとキチンと読めるようになります。多分。

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という事で、「忠臣蔵」に興味のある方は、映画を見て、中村氏の小説を読んで、本格的には山本氏の本を読むのがベターだと思います。

なお、中村氏の小説には討ち入りの様子は書かれてありません。お金が中心の物語だから。ただ、少し肩透かしを食った感じで、コミカルな討ち入りの様子も読みたかったな・・・




 

2019年11月30日 (土)

「お寺の掲示版」★江田知昭著

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TV、ネット等で紹介されたので、ご存じの方も多いかと思います。お寺の掲示版に貼ってある言葉を集めた本です。発売が9月25日、11月15日で3刷ですから、売れている本です。

1年ほど前、お寺の掲示版のことが少し話題になった頃、ネットで一番始めに見た掲示版が下の「おまえも死ぬぞ」。とにかく、ぶったまげましたね。え~、お寺さんが、寺の前の掲示版にこんなこと書いて良いの~(?_?)

考えて見れば、私たちも冗談で「一回は死ぬちゃ」とか言いますが、無論本気ではありませんが、お寺の掲示版に「おまえも死ぬぞ」と言われれば、相手が葬式などを扱っているお坊さんだから、ドキッとしますね。


この本、掲示板の写真と共に、1~2頁、解説が入ります。


「おまえも死ぬぞ」については「釈尊の教えを伝えるとされる原始仏典『サンユッタ・ニカーヤ』の中では、『生まれた者が死なないということはあり得ない』(中村元訳『ブッダ悪魔との対話』、岩波文庫)。」と書いてあり、この釈尊の言葉をぶっちゃけて表現したものだということですね。


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      (「お寺の掲示版」より)

多少気になる言葉を紹介すると(私にとって)・・・

■「難が無ければ無難な人生/難があれば苦難の人生/難あればこそ有り難し」


私にはカミサンという「難」があり、それを乗り越えてこそ、私の人間性が少しは向上していくと思えば、カミサンは私にとって「有り難い」存在なのです。と思いたいのですが・・・・・

■「大丈夫だよ/生きていけるよ」


住職さんが取り替えようとすると、門徒さんから戻してくれといわれて十年以上。確かに、誰かに言われると元気が出ますね。


■「風呂は湯加減/医者は匙加減/人生は手加減/わたしゃいい加減/さとりとは」


「さとり」とは難しいですね。円覚寺派管長の横田南峯老師曰く「『私は悟らぬものの代表です』と謙遜しながらもさとりとは何かと強いて言えば『間違いに気づくということだろうと思いますね』とおっしゃっていました。」だそうです。

さとりは、各宗派違いがありますが、上のように言ってもらえれば、なんとなく納得。

有名人の言葉を貼っているところもあり・・・


■「死はいつか来るものではなく、いつでも来るものなの」~樹木希林さん

樹木希林さんらしい言葉だとおもいます。

■「生きているだけで丸儲け」~明石家さんまさん


さんまさんの言葉に次のようなものもあるそうです。「人間生まれてきたときは裸。死ぬ時にパンツ一つはいていたら勝ちやないか」


■「これでいいのだ」~赤塚不二夫さん

「天才バカボン」のマンガの言葉ですが、「バカボンという名前は、『薄伽梵(ばぎゃぼん)』、つまりは仏に由来していると言われています。実は仏教を意識した漫画なのです、」という事だそうです。

と言うことで、不安定な時代、悩み多き人生、ご一読を。私のお寺の掲示版、なんて書いてるか明日行ってみようかな。




2019年11月29日 (金)

湖池屋「工場直送便 ポテトチップス うすしお味」

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先日、カルビーの「長崎チャンポン味」のポテチを紹介しましたが、今回は湖池屋さんの「工場直送便 ポテトチップス うすしお味」です。なんといっても「工場直送便」がポイントで、一般のお店屋さんには置いてありません。

数十年ほど前、某有名ビール会社の生産工場でアルバイトをしておりました。当時の機械は朝、休日明けの機械の動かし始めは調子が悪く、ビールがビンに一定量に入らず、もちろん、その分は廃棄になるわけですが、私、その廃棄係をしておりまして、先輩と二名でしたが、朝からの不良品の多いこと、多いこと。ただ、昼からはほとんど不良品は流れてこない状態。


で、不良品を廃棄する所が、屋外の別室で誰もいない所だったので、何本かくすねて、また、都合良く冷凍のための管が通っていたので、そこに置いて冷やし、昼間、閑なので2人で飲んでおりましたが、その旨いこと、旨いこと。ビールを飲むなら、造ったところで飲むのが一番旨い!と実感をしておりました。


そんな経験もあり、湖池屋さんから発売のポテチが「工場直送便」となっていたので、早速取り寄せようと思っていたら、完全受注生産で10月分は売り切れで、少し待っていたら11月分の予約が始まったので早速申し込んで、待つこと、一と月あまり。


今日、届くとのメールが運送会社からあったので、カミサンにバレないように運送会社に取りにいって入手し、今、食べているところです。(カミサン、今、入浴中(^^;))。


ポテトチップスを見ていると、会社によって力の入れ所が多少違っているようで、湖池屋さんの場合は「ポテト」の味を表に出す商品が多いようです。


味付けにバリエーションを出すのが良いのか、ポテトの味を出していくのが良いのかは食べる方の嗜好の問題とは思いますが・・・


湖池屋さんのホームページを見ると、12月第3週生産予定の予約をしているようです。興味のある方はご予約を。

お味の方ですね。自己責任で取り寄せで、味わって下さい。私の方はビールのことを思い出し「工場直送便」にひたすらこだわり、購入をしたという状況です。

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2019年11月25日 (月)

「蛍茶屋」と「一の瀬橋」~長崎の古絵葉書②

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橋は「一の瀬橋」で、このことについては以前書いたので→こちらをクリック

今回は「蛍茶屋」の事です。長崎に19歳まで暮らし上京し、その後30歳でUターンしましたが、この蛍茶屋、電車の停留所があるので名前は知っていたのですが、恥ずかしながら、いわれは知りませんでした。


「長崎事典 風俗文化編 改訂版」(長崎文献社)に次のように書いてありました。


蛍茶屋(ほたるぢゃや)

現在、蛍茶屋という所には、昔、蛍茶屋という料亭があった。矢上への街道筋一ノ瀬橋のたもとである。初代は甲斐市左衛門といい天保八に没しているから一八三〇年代には蛍茶屋は存在していた。
大正時代まで続きその後はなくなった。江戸時代には、市中の人々はよくここに来て清宴(ママ)を催した。旅立ちの人を見送り、ここで別離の杯をくみかわしたりした。(中略)夏は蛍が飛び交う閑静な場所であったので蛍茶屋の名前がある。

さて、一番上の絵葉書「1906」の年号、もう片面には「長崎 39.11.18」のスタンプが押してあり、西暦1906年は明治39年でピッタリになります。もっとも、10年前の絵葉書を使う方もあり、この絵葉書が明治39年であるかどうかは確定できませんが、明治39年以前の絵葉書であることは確実です。


で、この橋のたもとの家が本当に「蛍茶屋」かどうかですが、ブライアン・マークガフニ氏著「花の長崎 秘蔵絵葉書コレクション」に3枚ほど写真が載せてあり、2点ばかりコピーしたのが下の写真。赤〇印のところ。家の様子がちうんですね。上の写真は2階建てで、かなり大きい、下の写真は、私の絵葉書と一緒で、ごく普通の様子の家。
(良く見たら、私の絵葉書とブライアンさんの下の絵葉書、説明の文字が違いますが、写真は一緒ですね)


もっとも、年代が違い家を作り替えたのか、写真を撮るときの角度で、大きな家の方が写らなかったのかは不明ですが。


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調べていくと、柴多一雄氏著「長崎古写真紀行」(長崎文献社刊)と「長崎浪漫」(ながさき浪漫会・長崎文献社刊)に全く同じ写真が載っており、この橋が一の瀬橋で、赤〇印の所、多分看板だろうと思って、拡大したらビンゴで「蛍茶屋」と読め、やはり、一の瀬橋のふもとに「蛍茶屋」があったんですね。

できれば、蛍をながめつつ彼女と杯を交わしたかったな思った次第ですが・・・


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電車の停留所「蛍茶屋」はここから取ったんですね。やはり、長崎の人間は風流ですね。




2019年11月23日 (土)

「夫婦喧嘩は買ったらダメ。勝ったらダメ。」★野々村友紀子著

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ふと立ち読みしていたら、最初の所に・・・

スマホを見ながら立っている奥さんに金髪の夫が「お前またデブった?」と半笑いで言う。

奥さんはスマホから顔も上げずに「はっ?ウザいんだけど」
夫「食いすぎじゃね」
嫁「ハゲに言われたくないし」
夫「(笑)今日何食うの」
妻「んー、肉?」
夫「まだデブる気か?きついわ(笑)」

という所を読み面白そうなので
、ついつい買ってしましました。

第1章 幸せ上手な妻になる

第2章 夫婦が忘れていけないこと
第3章 家に帰るのが大好きな夫婦になるために
第4章 二人で幸せになるために

各章、「妻のパンツは夫に畳ませない」(ウチでは畳みません、干しはしますが・・・)「大事なのは越えてはいけない線より、少し手前にある線」「業務連絡も立派な夫婦の会話」(「ほうれんそう」と言う言葉があり、会社に入ったとき「報告」「連絡」「相談」と、やかましく言われましたが、夫婦も同じですね、「夫婦は言葉がなくても心は通じる」はウソですね。やはり言葉で言うこと。ウチのカミサンはなにも言わずに出かけていきますが・・・(-_-;))「夫婦に幸せを呼ぶのは『言い合い』じゃなく、『言わない愛』。」「妻は張るな『欲』と『食い意地』。夫は張るな、『虚勢』と『見栄』。」「夫を『大きな子ども』だと思っていないか。」


というような項目にそれぞれに分かりやすい解説が入って、結婚直前の方、若い夫婦の方には役にたつと思います。


さて、以前書いたように、私「全日本亭主関白協会」に入っておりますが→こちらをクリック 協会に「非勝三原則」というのがあり、「夫婦喧嘩」につき・・・


「勝たない」

「勝てない」
「勝ちたくない」
 ー争わないことが、真の勇者であり、勝者なのだー

というのがあり、ひたすら守っております。とにかく、カミサンに捨てられたら、「孤独の老人・ホームレス」になってしまうので、ですね・・・


さて、最近、YouTubeで落語ばかり聞いておりますが、いろんな夫婦が出てきて、これ聞くと笑いながら夫婦の関係について考えさせられることが多く、皆様も是非お聞き下さい。特に、志の輔さんの「ハンドタオル」はお薦めです。




2019年11月20日 (水)

カルビーポテトチップス「長崎の味 ちゃんぽん味」vs「佐賀の味 いかしゅうまい味」ついでに「こどものための ボンカレー」

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カルビーから11月18日「チャンポン味」のポテチが発売されると聞いてはいたのですが、今日まで忘れていて、いつものコンビニ、スーパーにいっても無い。で、4軒ばかり回って、やっと見つけました。

ふと、横を見ると「佐賀の味 いかしゅうかい味」があるじゃありませんか。で、これも早速購入。その横に「こどものためのボンカレー」が目についたので、これもゲット。


分かりにくいですが、「長崎の味」の上の方に、長崎国体の時誕生したマスコットキャラクター「がんばくん らんばちゃん」の姿があり、久しぶりですね。どっかに駆け落ちしてたと思っていたのですが。無事、生きていましたか。


佐賀の方は「佐賀観光PRキャラクター 壺侍」で壺の所に「DOGAN SHI TA TO」(「どがんしたと」東京の方言では「どうしましたか」)その下に「MAY I HELP YOU?」と書いてあり、長崎のより親切みたい。


佐賀といえば「武士道と云うは死ぬことと見つけたり」という「葉隠」の武士道精神が有名で、さて、「壺侍」とはなんぞやと調べると、「実はお侍さん、大昔の佐賀の武士の子なんです。遊んでいるうちに壺に入ってしまい、現在にタイムスリップした際にヒゲとちょんまげ姿になってしまったそうです。」なんだそうです。壺と云えば陶器で、陶器といえば佐賀の「有田陶器市」が有名。と言うことで「壺侍」の意味が分かりましたが、はやり「葉隠」の武士道精神が頭に染みこんでいるせいか、なんとなく、違和感がありますね。


佐賀と長崎といえば、九州新幹線の問題で長崎と佐賀はこじれてしまっていますが、わたしら下々の人間にすれば、よく分かりません。で、パス。


さて、お味ですが、はやり「チャンポン」ですね。「チャンポン」といえば、世界に冠たる食べもので、野菜、お肉、貝類等々(値段によって入っているものは違いますが)、麺の炭水化物、おつゆは、豚骨、鶏ガラでとって、コラーゲンいっぱい。


長崎の子どもは、生まれたとき、チャンポンのおつゆで産湯を使うという伝説もあるくらいで、チャンポンさえ食べていれば、これだけで一生を過ごせます。


裏を見たら、PRの欄があり、長崎は「長崎かんぼこ」、佐賀は「聖地巡礼 私たち、行きたい! ゾンビランドサガ」。

「ゾンビランドサガ」とはなんぞやと調べたら、佐賀が絡んでいるテレビアニメだそうで、キャッチフレーズが「私たち、生きたい!」だそうで、「私たち、行きたい!」はキャッチフレーズのもじり、ですね。


佐賀といえば以前はなんとなく田舎っぽい感じでしたが、これを見ると完全に佐賀が垢抜けて来た感じで、長崎が遅れを取って来た感じがします。


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さて「子どものためのボンカレー」ですが、まだ食していませんが、「3歳から」と書いてあるので、私、大丈夫ですね。精神年齢は歳を取ったら段々逆に戻って、現在12歳くらいですが・・・

「チキン甘口」で、「保存料・着色料・香料・化学調味料不使用」「じゃがいも・にんじん・たまねぎ・さつまいも・コーン・かぼちゃ・ごぼう・トマト・ブロッコリー・ほうれんそう(野菜は国産のみ)」と、健康食ではありませんか。おまけに「温めなくてもおいしく召し上がれます」ということで、非常食としても使えますね。


なお、大人のカレーは180グラム程度、このカレーは130グラムですが、カロリーは大人のカレーは195㎉、こちらはなんと81㎉。ということで、肥満気味の私、こちらのカレーに変えるかな?



2019年11月19日 (火)

「風神雷神」~原田マハ著

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この本は2016年11月~2019年1月まで全国15の新聞に連載されたもので、上下650頁強の長編になります。一番最後に書いてあるように「この物語はフィクショです。」

また、下巻最後に書いてあるように「本書は、若桑みどり著『クアトロ・ラガッツィ 天正少年使節と世界帝国(上・下)』(集英社文庫、20098年)を大いなるよりどころとした。・・・・」という本です。


幼いときから、「俵屋宗達」に憧れを持つ望月彩。京都大学大学院に進学し美術史を専攻し、京都国立博物館の研究員になり俵屋宗達と大和絵を研究。「いまひとたびの琳派」という展覧会を企画し、謎多き画家、俵屋宗達について講義をします。


講義後、「マカオ博物館 学芸員 レイモンド・ウォン」の訪問を受けますが、まったく知らない人物。マカオで是非見て貰いたいものがあるとの申し出をされ、マカオに出向きます。


マカオの聖ポール天主堂は、崩壊寸前で調査が行われ、ヴァリニャーノ等の遺骨などが発見され、その跡地に造られた天主堂芸術博物館に案内され、一時は盗難に遭ったものの再び戻ってきた西洋画を、絶対に秘密に、ということで見せられます。望月彩の専門とはまったく異なる分野の絵。


絵の内容は「ユピテル、アイオロス」、ユピテルは「雷を掲げた神」、アイオロスは「風を巻き起こす神」。すなわち「風神雷神」になります。俵屋宗達が描いた絵も「風神雷神図屏風」。


この絵にについて二人が会話をするなか、しきりに「カラヴァッジョ」という名が出てきますが、これ、伏線になります。


さて、絵と同時にもう一つ古文書を見せられますが、そこにはラテン語で「真実の物語」と書かれ、その作者の名前が、「ファラ・マルティノ」。天正少年遺欧使節でローマにわたり、禁教時代、マカオに追放され、その地で亡くなった「原マルティノ」。そして、その古文書の二枚目に書かれた人物の名が「俵屋宗達」。


その「原マルティノ」と「俵屋宗達」について、何がかいてあり、また、いきさつを解くために、望月彩がマカオに呼ばれたのですが。


さて、俵屋宗達はひょんな事から、信長に気に入られ、「天正遺欧使節」に随行し、教皇に献上品の「洛中洛外図」を運ぶこと、活版印刷機を持ち帰ること、そして、ローマの「洛中洛外図」を描くことを命じられます。信長の目の端には西欧が入っています。

天正遺欧使節には随員がおり、活版印刷機についての役目を与えられたのが「コンスタンチノ・ドラード」(日本名不明・長崎県諫早市出身)とヴァリアニーノに洗礼名風の名前をつけられた俵屋宗達こと「アグスチーノ(氏名・出身地不明)」(本書ではアゴスティーノ)。


とまあ、ここまで書きましたが、あとは原マルティノが書いた「真実の物語」と天正少年遺欧使節一行の動向が書かれていますが、これ書くとネタバレになるのでここで止めますが、本の帯に書いてある「俵屋宗達✕カラヴァジョ」の関係はどうなるのか・・・


さて、物語の中程は天正遺欧使節のローマへの旅、西欧での事の話になりますが、ここのところ、いろんな本を読んで知っているので、読むのにいささか辛いところでしたが、天正少年遺欧使節について知らない方は読んで面白いと思いました。俵屋宗達の出番がチト面白かった、のですが、あくまでフィクションということをお忘れ無く、です。


さて、疑問が一つです。マカオにあった「ユピテル アイオロス」の絵は本来、俵屋宗達が持っていたはずなのですが、マカオに追われ、そこで生涯を閉じた原マルティノがなぜこの絵を持っていたのか・・・本を読めば想像はできるのですが・・・

本町出身の「千々石ミゲル」の出番が少なく、寂しくはありました。


2019年11月16日 (土)

「諏訪神社」青銅の大鳥居~長崎の古絵葉書①

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諏訪神社の最初の大鳥居が昔は「青銅の大鳥居」だったんですって。写真の下の説明にも「長崎諏訪國幣中社靑銅の大鳥居」と書いてあります。

最近は、おとしよりが少なくなってきて、昔の事を調べるのが難しい時代になりました。代わりに、記憶より記録という事で、千々石の昔の写真を集めようと思っても、意外と集まらず、代わりに明治、大正、戦前の絵葉書を集めたら、千々石の絵葉書は思いのほか多く、島原半島では、雲仙がダントツ、次いで小浜、島原と千々石がどっこいどっこいで、千々石の絵葉書も大体集め、「千々石絵葉書物語」ということで、小冊子でも作ってみようとは思っているのですが、現在は思っているだけですが・・・


さて、古絵葉書も面白く、長崎の古絵葉書も集めてみたら、珍しいものもたくさんあり、多少のご紹介をしていきたいと思います。なお、長崎については各種写真集、資料があるのですが、調べると年代等違っているところもあり、一緒にご紹介を。


上の写真、皆さんご存じの諏訪神社の大鳥居ですが、これ、青銅製なんです。


なお、長崎大学の付属図書館が「幕末・明治期古写真」がネットでも検索でき→こちらをクリック


神社の鳥居の順番については、くぐる順で、最初が一の鳥居、二番目が二の鳥居、三番目が三の鳥居と普通は数えますが、人によっては、神社に近い方から、一の鳥居、二の鳥居・・・という順になると言う人もいます、が、諏訪神社の場合は、長崎大学の古写真の説明によると、「諏訪神社の鳥居は建設順に順番がつけられている」ということだそうです。長崎の皆さんで確認してください。


話を元に戻して、この青銅の鳥居については、「ふるさとの思い出写真集 明治大正昭和 長崎 越中哲也・白石和男共編」と「アルバム長崎百年 華の長崎 長崎の絵葉書コレクション ブライアン・バークガフニ編著」(「華の長崎」には多くの絵葉書が載せてありますので、興味ある方はご覧下さい)に載せてあり、「ふるさとの思い出写真集」には「諏訪神社(1) ー青銅の大鳥居ーこの大鳥居は天保六(一八三五)年に作られ明治七年八月の台風で倒壊している。・・・」とあり「華の長崎では」もう少し詳しく書いてあり、明治7年の台風倒壊までは一緒ですが「・・・募金により同25年に三菱造船所に発注され再建。その後『唐金の鳥居』として長崎名物になったが、太平洋戦争中の金属回収により供出された。」ということで、まことに残念なことでありました。もし、そのままなら、これも長崎名物のひとつだったのでしょうが・・・

なお、Wikipediaでは「1893年(明治26年)6月11日に1874(明治7年)の台風で倒壊した靑銅大鳥居が再建される。」となっており、再建年月日が1年ばかりズレてはいるのですが・・・発注が明治25年なのかな?


ただ、この写真が、最初の鳥居か、再建されたものかは不明です。



2019年11月13日 (水)

「橋の裏表(入口・出口)」

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いつも橋を通るたび、橋の名前が片方が漢字、片方が平仮名になっているのは、何でだろうと思っていたら、たまたま「長崎浜の町繁盛記」(田栗奎作著・発行所 浜市商店連合会・非売品)という、浜町の起こりから昭和55年程度まで書いた本を読んでいると、橋の表裏について下記のように書いてありました。橋の裏表といっても、上と下ではありません。出口、入り口と表現したものもあります。

「・・・橋の裏表はふつう、漢字のある方が表、平仮名の橋名柱が裏となっている。この表裏は城または氏神を中心として決めたものとしていわれ、城下町でない長崎では奉行所を中心にしたようだ。大橋(注:現鉄橋)も築町側が表で、浜の町側は裏になる。明治元年の鉄橋のときも、『銕橋』という漢字の橋名柱は、やはり築町側に建てられた。」

さて、この橋の付け方は現在違っていて、Wikipediaの「橋名板」でググってください。一応下記のように書いてありますが、「国土国交省の道路橋示方書などに基準が示されるているものではなく、自治体などの発注者が仕様書などに定めている場合が多い」ということで、各自治体で違っているようです。

・道路起点側から見て左側に「漢字表記の橋名」

・道路起点側から見て右側に「交差する河川(鉄道)などの地名物」
・道路終点側から見て左側に「ひらがな表記の橋名」
・道路終点側から見て右側に「竣工年月」

ですが、徳島県では「県庁に向かって」「県庁を背にして」それぞれの左右に、「漢字表記」「竣工年月」「ひらがなの橋名」「河川名等」を書いているそうです。


原則「橋名」「竣工年月」「道路橋仕方書(年度)」「活荷重」「使用鋼材」「事業主体」「設計及び製作・施工会社名等」「将来の維持管理に最低限必要な事項」を記載しなければならないそうです。が、見たところ、全部書いてあったかな?
あとは、各自、地元の橋を調べてください。

なにはともあれ、「城または氏神を中心として決めた」というのが、好きだな~(*^^)v。



«「アンジュと頭獅王」~吉田修一著

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