2021年5月14日 (金)

2021年5月14日「火張山花公園(島原市)」「仁田峠(雲仙市)」「大村公園(大村市)」~3ヵ所巡り

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(写真はクリックするとハッキリ見られます)

明日から雨と言うことで、島原の火張山花公園、雲仙の仁田峠に行ってみました。また、昨日は、大村公園を見てきたので状況報告など。


「火張山花公園」。以前は「しまばら芝桜公園」でしたが、土地と合わなかったのか、あまり良く育ちませでした。その後、隣の広場にコスモス等を植え評判になりました。で、こちらの方の広場にはポピーを植え、これは見事に咲いていました。


入り口の所、高さ20mの恐竜ではなく、50㎝ほどの置物。立派な看板で、詩が高城二三男氏、書が龍一郎氏。龍一郎氏は多分あの方の息子さんかと。


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一番上の写真、雲に霞んでいるのが火砕流の平成新山。下の写真の山は寛政4年に崩れ落ち、津波が熊本県まで押し寄せ「島原大変・肥後迷惑」と言われる大惨事の原因を起こした「眉山」。花畑のお二人さん、楽しそうに写真を撮っていました。

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ちゃんとカートも準備してあります。おみ足の悪い方はご利用を。多分有料だと思います。料金所の後ろの方ですね。秋にコスモスが咲き乱れます。

帰りがけ、受付で話しをしたら、満開の時が3,4日前だったとか。ここ、2日ほど雨が降ったので花が倒れたそうです。公園の方は今月23日~24日までだそうです。入ることはできると思いますが・・・花は、ですね・・・


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雲仙仁田峠のツツジ。残念ながら一面の霧でした。天気が良かったらロープウェイに乗って、上からの写真を撮ろうと思ったのですが。

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霧の中、一人旅の女性って魅力ありますね。前から見たら、かなりの、お歳でしたが・・・ロープウェイ近くの風景。

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つぼみもありますが、花はかなり散っていました。右の看板ですね。長崎県は観光地なのですが、悲しくなります。文章もぶっきらぼうですね。

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大村公園です。

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昨日は大村の病院に行きました。検査だけですが、この一週間で三つの病院を回り、そのたび血を抜かれました。私の血管が細く、腕の中でカクレンボしているので採血しにくく、と云う事もありますが、看護師さん、検査技師さんにも採血の上手下手があり、打ち直しをしたところもあります。この病院の方は上手でした。見事一発で決めました。

大村公園の花菖蒲はまだでした。


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とは言っても、ボチボチなところもあり。一番に開き始めているのが、最初の写真の所。インスタ映えするのは、この場所ですね。花菖蒲の手入れの最中でした。

なお、ここには江戸系、肥後系、伊勢系がありますが、それぞれの楽しみ方があり、これは以前紹介をしているので→こちらをクリック

やはり、花菖蒲は6
月になってからですね(^^;)。

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ここの場所の石垣、好きなんですが、なんで、こんな所にトイレ作るんですか?観光地としてはセンスがないですね。


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ということで、3ヵ所ばかり回りましたが、残念ながら、ここ2,3日は雨が続きそうです。仁田峠、火張山花公園も盛りが過ぎたようです。また、来年を待ちましょう。大村公園はもう少しの辛抱です。


2021年5月11日 (火)

「新・餓狼伝/巻ノ五」「ゆうえんち」「白鯨」☆夢枕獏著 「クラッパー刃牙」☆板垣恵介著

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発行が昨年の10月。半年ばかり見落としていました。

内容はともかく、後書きで「いよいよ『餓狼伝』は、前巻あたりから、最終トーナメントに向けての準備を始めている。」とのお言葉ですが、あくまで準備であって、最終ゴールまで、あと何年かかるのか????。


で、後書きに「ゆうえんち」なる本のことと、「グラッパー刃牙」なる板垣恵介氏が書いたマンガ本の事が書いてあり、まず、後者を読んで見ようかと思って本を買ってきたら、間違って「範馬刃牙」を買ってきてしまいました。トシですね。「グラッパー刃牙」を調べたら、なんと全42巻の本でした。


本を買って、置いとくとオクサマから「バカ、邪魔」と言われるので、Kindleで読みました。ほとんど格闘技の世界で、途中で胸焼けがしましたが、根性で全巻読破。


夢枕獏さん、自作について、「ひとつの試合だけで原稿用紙(四〇〇字詰)100枚を平気で書き、その中で、ただただ男たちが闘い続ける。それ以外のことは、ない。/こんなこと、世界で誰もやっていないだろう。ヘンタイ野郎である。」と書いていますが、板垣恵介さんも同類の”ヘンタイ野郎”ですね。

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「ゆうえんち」でね。これは、面白かった。餓狼伝、キマイラの文章がスカスカになってきている現在、文章がギッチリ詰まっているという感じでした。原作/板垣恵介、小説/夢枕獏、挿絵/藤田勇利亜。

サーカスで育った葛城無文、ふとしたことから、松本太山に格闘技を習うが、ある日「ゆうえんち」に行ってくると言い残し、帰って来たときは重傷で死んでしまう。はたして、「ゆうえんち」とはなにか?松本太山を死に至らせたのは誰か?、という内容です。もちろん、格闘の場面満載。

後書きで、板垣恵介氏の絵のどこが優れている解説をしていますが、はやり夢枕獏さん、素晴らしい眼力です。


後書きのなかで気になることが書いてあって、「本書が店頭に並ぶ頃には、もう発売されていると思うのだが、四月に発売される『白鯨』が最高だよと、ここできちんと自画自賛しておきたい。」と書いてあるので・・・


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こちらの本屋さんには並ばないので、Amazonさんから取り寄せました。

「白鯨」はもちろん、あの「白鯨」です。主人公は中浜万次郎、ジョン万次郎。船が難破して、助けられたのが捕鯨船「ピークオッド号」、船長はもちろん「エイハブ」、船員はクイークエッグ、インシュメール、スタッグ、スターバック(あのスターバックスは、このスターバックからとっています)等々。もちろん白鯨も出てきます「モービィー・ディックス」。


夢枕獏氏には「沙門空海唐の国にて鬼と宴す」という作品があり、空海、楊貴妃、白楽天等々が登場するロマン伝記小説ですが、これを読んでいるいる方は、まあ、驚きませんね。


詳しく書くと、読まれる方が面白くないと思うので控えますが、最後の勝海舟宛の徳富蘇峰の手紙。ヒョッとしたらこの本、本当の物語では?と思わせる所。ここで、私は悩みました。これ、マジ本当の話では。


例によって後書きの所「これは、どうしたって映画化するんじゃないの」。
映画にしたら、多分ではなく、絶対に「アカデミー賞」です。

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2021年5月 8日 (土)

「千々石海岸」「小浜海岸」の昔の姿~古絵葉書より

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(各写真はクリックすると拡大します)

最近は古絵はがきに凝っていて、また、2枚ばかり絵葉書を入手しました。右側は以前紹介したかと思いますが、千々石にあった、外人向けの旅館「千々石ホテル」が作った絵葉書です。

左側が新らしく手に入れた写真。「硫黄くさき雲の去来や湯町やど」と俳句などが書いてあります。


絵葉書の向こうの海岸に崖が見えますが、「千々石断層」。この、海岸線の所を汽車が走っていました。現在は道路が通っていますが、近年でも、台風などが来ると石が転げ落ちてきて、通行不可。多分、鉄道も通れなかったことがあったかと思われますが、この鉄道については記録がほとんどありません。


下の写真が現在の千々石海岸。まったく、違った姿になっています。


さて、絵葉書の裏に文が書いてあって、多少面白いので・・・


「北高来郡 諌早村」。おや?諌早は「北高来郡」だっけ、と思って調べたら→こちらをクリック。で、間違いありませんね。番地の書き方が「北高来郡 諌早村」って、これで届く時代があったんですね。

赤線の部分、「温泉は雨計で」とありますが、「温泉は雨ばかりで」と読みます。「伊勢屋尓投宿」の「尓」は「に」。「伊勢屋に投宿」です。古文書には良く出てくる表現です。

消印の日付を見ると最初の数字が「7」ですが、大正か昭和は不明です。郵便切手が趣味の方は、切手と消印を見ると分かると思うのですが。


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下の左が今回入手した小浜海岸の絵葉書。右は以前手に入れたもの。

青の矢印左側が茂木からの客船。比べれば左の船が古いことは一目瞭然。昔、小浜には船を横付けする桟橋がないので、船を沖に停め、お客さんを小舟で運んでいました。右の青の矢印。


一番下の左の絵葉書、以前紹介をした「一角楼」(現浜観ホテル)。赤の丸が排水溝だと思われます。三つの写真を比べれば排水溝の位置、形は同じです。ということから、上の2点の写真、赤の矢印が「一角楼」だと思われます。


左の写真の消印が「2」となっており、海岸線がきれいに整備されているのを見ると昭和初期かと思われます。


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右が「一角楼」。現在の商店街通りになります。

写真、絵葉書で一番難しいのが年代の推定。絵葉書は使用済みなら大体分かるのですが・・・現在、千々石の絵葉書の整理をしていますが、小浜はその後整理をしていきたいと思います。整理が出来たら紹介をいたします。


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2021年5月 4日 (火)

2021「鯉のぼり」~雲仙市千々石町上塩浜・諫早市ドコモショップ&雲仙市コロナワクチン接種予約

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千々石の上塩浜。一昨年までは、鯉のぼりがたくさん風にそよいでいたのですが、昨年はコロナの影響で中止。少し寂しいこどもの日でした。

先日、見に行ったら、ちっこい鯉のぼりが泳いでいました。昨日見に行くと、大きな鯉のぼりも泳いでいました。満潮の時はここあたりまで潮がきて、川面に写る鯉のぼりもきれいなのですが。
でも、小さな鯉のぼりと大きな鯉のぼりの取り合わせも面白いですね。

コロナが収まって、以前のように大がかりな鯉のぼりも見たいものだと思っています。上塩浜の皆さんも大変でしょうが、来年こそは、ですね。


ネットで長崎新聞の記事を見ていたら、諫早のDoCoMoショップに鯉のぼりが吊るされているとかで、行ってみました。クレーン車で吊っていました。クレーン車の大きいこと。男の子は大きな車が好きなので、鯉のぼりより、クレー車に興味を持つかな?


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45メートルの高さに、鯉が約30匹ばかり。思いついたのは、地元の石橋工業さんだそうです。来年は、小児病棟の前に揚げられないかとの事だそうです。でも、迫力あるな~(^.^)/~~~。

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雲仙市では、6日からコロナワクチンの申し込み受付が始まります。

以前、PCでは申し込みができないと書きましたが、確認のため役所に問い合わせてると、調整中だとかいう事でしたが、PCで確認すると、できるようになっていました。


雲仙市のホームページの上の方に、「新型コロナワクチンについて」と書いてあるので、クリックすると接種についてのページになり「インターネットの予約はこちらから」と書いてあるところがあるので、そこをクリックして申し込みを。この部分、同じページに数か所あるので、どこかをクリック。

ただ、この「インターネットの予約はこちらから」のところ、高齢者の方ばかりだから、目立つように大きくしてほしかったな。地味だからよく見てください。できれば、若い方、教えてあげてください。


私の場合はPC、スマホ、iPadと3台準備をしました。




2021年5月 1日 (土)

ん?「三會町」?~三會町「宗門改繪踏帳」

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上は島原市の「三会町」の「宗門御改繪踏帳」。これ、島原の「三会町」かな?と調べると、寺の名前が書いてあるページがあり、安養寺、善法寺、専念寺、妙光寺、正覚寺。他にもお寺の名前がありましたが、全部島原半島のお寺で、この「三会町」というのが、島原市の三会ということで間違いないという事が分かります。

「宗門改」は全国的におこなわれていますが、特に島原半島は、島原・天草一揆が起こった所でキリシタンにはピリピリしています。普通は「宗門御改帳」ですが島原半島では「宗門改絵踏帳」「宗門改影踏(かげふみ・えいふみ)帳」。

「踏絵」については、安高啓明氏「踏絵を踏んだキリシタン」(吉川弘文館)が参考になるかと。


下は信州小糠郡芝生田村(多分?)宗旨御改帳」。昔は、各戸どこかの寺に属していました。檀家制度、寺請制度。詳しくは→こちらをクリック。特に「禁教令と寺請制度」の所を読んで下さい。


「宗門改帳」の内容は右のようになっています。禅宗城光院がお寺。久八さん一家の事が書いてあり、久八さんは45歳、女房の名前は無く36歳、娘さんが多がさん14歳・・・ということで書いてあります。


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さて、実は一番上の表紙を見ていると、アレ?三会の江戸時代の名前は「三會町」ではなく「三會村」ではないかと。三会について書いた本があるので調べて見ても「三会町」の記載はありませんでした。

余談ですが、大正7年、文部省だったかが各小学校に郷土誌を作らせています。左はその復刻版。意外と面白い歴史が書いてあるところがあり、長崎県の方で自分の所の郷土誌が読みたい方は、長崎歴史博物館1階のリファレンスルームに置いてあります。一応、ホームページの「資料検索」で「大正7年 郷土誌」で検索をして係員の方にお尋ねを。


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で、「三會町」ってなんなのさ、と思っていたのですが、先日より調べ物で「上井覺兼日記」を読んでいると次のような記述がありました。


ちなみに、上井覺兼は島津家の家臣。龍造寺隆信が島原に攻め入ったとき、有馬晴信が島津家に助けを求め、その折り島原での沖田畷の戦いに加わっています。戦いに勝ち島原のあちらこちらを巡察しています。(上井覺兼については→こちらをクリック ついでにこちらもクリック)


天正12年3月24日の部分、ただ一ヵ所ですが「・・・昨日三重(ルビ『會』とあり)之町・・・」とあります。後ろの部分には「三江」、単に「三會」の記載です。


なお「三會村物語」には「美江」「三戸(へ)」「三重」「三江」とも言われているようですが「昔は発音のまま当て字として書いたものが多い・・・」と言うことだそうです。城(島原城)の「見える村」、「見え村」という解釈して無意味ではあるまい、とか。


さて、上井覺兼日記の「三重(會)之町」、「之」が無ければ単純に「三重(會)町」で良いのですが、「之」が入るとどうなんでしょう。他の町は「神代・伊福・森山」と「町村」名は省略してあります。ということは単に「三重(三會)
」というのが正しいとは思うのですが、それでは宗門改影踏帳の「三會『町』」はナンなのさ?と悩みますね。もう少しお時間を・・・m(_ _)m。

「宗門改絵踏帳」の表紙に、印がベタベタ押してありますが、お寺の印と比較するとほとんど一致しています。多分、内容の確認をしたものだと推測するのですが。また、2ページばかり裏に書いた物があり、反故紙を利用しています。この「宗門改帳」は、「写」だったと思われます。


2021年4月26日 (月)

「コロナワクチン・予約券」届きましたが・ですね・・・

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いつか、いつかと思っていたら、今日届きました。

申し込みはPCか電話だと思っていたら、上の方にQRコードが印刷してあるので、スマホの読み取りですね。

念のため、市役所のホームページの「新型コロナワクチン」という所があったので調べたら、PCでの申し込みの所はありませんでした。ということは、PCでの申し込みはできないのかな?もっとも、QRコードをPCで読み取る方法もありますが、webカメラと専用アプリが必要なようです。


YouTubeでみたら、カメラもアプリも必要としない方法もあるようですが、分かりにくい。TVニュースを見ていたら、PCで一生懸命申し込みをしようとしていた方がお
られましたが、雲仙市では現在の状況では無理なようです。大体、65歳以上の方でPCが十分に使えるかというと、職業によって違いはありますが、ギリですね。

と言うことで、電話は繋がりにくいようで、スマホを使うのが一番のようですが、65歳以上というと、最近、ガラケーからスマホに換えた方が多いと思います。私の周りを見ても、この世代の方、使いこなすのに戸惑っている方が多いようです。


で、QRコードを読み取ってみたら、個人番号、仮パスワード(生年月日)、名前等を記入したら、今度は本パスワードの設定等々。なお。本パスワードは8
文字以上で、数字と記号の組み合わせ。これも、知らない方には分かりにくい。

私の場合はiPhone3GS時代から、新機種が出るたび買い換えているので、大体のことは分かります。
一応、私の場合はパスワードなど無くともすぐに申し込みが出来るように設定をしました。

「マイページ」に左のように、すぐにアクセス出来るようにして「新規予約」をクリックすると右のページ、病院を選ぶと申し込みの画面が出てきて、ワクチンの種類と希望年月日を記入するだけでOKです。現在、この部分の申し込み記入はまだ出来ません。集団接種の申し込みの画面もまだでした。

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65歳以上の方、子どもが同居している方は良いのですが、ほとんどが、独居老人、高齢者の二人暮らし。かなり迷うと思います。先着順のほかに方法が無いものか、また、申し込みについて講習会でもする必要があるのではと思います。電話での問い合わせは少し無理なような。直接役所に聞きに行く方法もあるのですが・・・いずれにしても、ネットになれた方の設計としか見えないのですが・・・

さて、政府の最初の説明では「基礎疾患」のある方を優先、と言っていた覚えがあり、どうして「基礎疾患」のある方を把握するのかと思っていたら、まったく、関係ないようですね。最近の政府の説明は分かりません。ワクチンの接種も発表通りいくのかナ?



■今日のお料理


オクサマがおられないので、久しぶりにお料理、でした。

タケノコがお店にあったので「タケノコご飯」。あとは、冷蔵庫にあった物で、カボチャのサラダ。これ、レンチンすれば5分(分量によります)で出来ます。

煮染めを鍋に掛けている間に、ひき肉に余ったタケノコを刻んで入れ、調味料を加え油揚げに詰めて、そのまま煮染めの鍋に。いつものように、手早い料理でした。美味しくて、仕事の道を間違えたかな、と・・・


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2021年4月23日 (金)

「別所ダム・鴛鴦(おしどり)の池」について~雲仙市雲仙

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上はダムカードで、国交省と独立行政法人水資源機構で作成されているものらしく、ダムを訪問した方に配布しているそうです。大きさはクレジットカードの大きさ。長崎では各地の振興局で配布になっているみたいです→こちらをクリック。

各写真・図はクリックすると拡大します。

このダムカードは雲仙にある2020年4月の「別所ダム」の航空写真になります。ダム建設当時の知事が「鴛鴦(おしどり)の池」と名付けたので、昔から「池」と思っている方もいるようですが・・・赤丸の所にダムがあります。

雲仙は昔、修験道のメッカで中心が満妙寺。「行基」が温泉(うんぜん)山大乗院満妙寺を開山したと言われています。本寺が満妙寺になるので、別所は多少離れているので「別所」の地名になったのではないかと(多分)。


この地には700の僧坊があり、瀬戸石原に300の僧坊があったと言われています。なお、瀬戸石原は島原藩主松平氏が制札を立てていたので「札の原」とも呼ばれています。


「小浜史談」によれば、この「別所」は「4万坪の平地であって各所に水が湧き水田になっていた。」という所です。この平地の中に「加持川」が流れていました。「加持祈祷」の「加持」なので、僧坊があったとの話しに通じています。別所ダムはこの加持川をせき止め水を溜めたところです。


下の左の写真「別所ヨリ數ノ子山ヲ望ム」と書いてあるので、水につかる前の姿だと思われます。右は「札の原」。


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以前、この別所に「プール」があったことは紹介をしました→こちらをクリック

調べてみると他に「バンガロー」などもあったみたいで、下に旅館の案内図などを2つばかり載せました。


左の図、一番左の矢印が千々石へ通じる道。真ん中の矢印「プール」があり、緑の丸印、昔の「東洋館旅館」になります。

右の図、一番左の矢印と隣の矢印が「千々石」への道。上の矢印「プール」と「雲仙釣魚場」と書いてあります。赤の丸印「雲仙バンガロオ」です。下線の部分が「別所」と書いてあります。

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下が「雲仙バンガロオ」のパンフレット。

以前から、この別所を通っていた「加持川」の写真を探していたのですが、このパンフレットの緑の囲んだ部分、どう見ても「川」ですね。たぶんこれが「加持川」だと思われます。

右の下の写真、案内図には「雲仙釣魚場」となっていますが、案内には「鱒の釣堀(バンガロオ樹林地内)」となっていますが「鱒」なんかを養殖なんかしていたんでしょうか?川にいたとは考えられないのですが・・・


なお、「雲仙小濱自動車會社 直營」と書いてありますが、小浜町史談によると「大正元年小浜有志数名の共同で自動車屋が始まった。」とあり、翌年、本多親宗(小浜湯大夫)氏が社長となり株式會社に、昭和10年に「雲仙小濱自動車株式會社」に改名。ということで、このバンガローができたのは昭和10年以降になります。

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下は以前紹介した「古地図散歩」から。

一番上は現在の写真。真ん中は1961年~1969年の航空写真。一番下は上と真ん中の写真を重ねた写真。


赤い矢印が「雲仙浄化センター」。緑の矢印が千々石への道。


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赤い矢印が「雲仙プール」。緑の矢印が「浄化センター」があるところ(この頃はまだありません)。茶色の矢印に道が見えます。多分、これが昔の道で、青印のところに直線の道が見えますが、多分、バンガローが出来たときに整備されたのではと思われます。あくまで、個人的な意見ですが。

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下が上の2枚の写真を重ねたところ。上の赤い矢印がプール。こうしてみれば、今のダムのどこにプールがあるか分かります。下の矢印が「雲仙浄化センター」。と言うことで、現在、バンガローと直線道路はダムの中です。

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なお、別所ダムの下に「稚児落しの滝」がありますが、これについては→こちらをクリック ついでにこちらもクリック

下の2枚の写真は千々石に通じる道から古湯方面を撮った写真で、左は絵葉書、右は長崎県発行の「国立公園『雲仙』指定50周年記念 雲仙の歴史」に載っている写真です。


なお、矢印の山の稜線を比べれば同じ山だと分かります。右の写真は左の場所からカメラを左に向けたことが分かります。ただ、写真を撮った場所、時代が一緒かどうか分からないので一概には比べられません。


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・ダムの竣工/完成年度については資料により、1965~1969年、1963年~1968年、1961~1968年とバラつきがあります。

参考資料

・小浜町史談~小浜町
・千々石町郷土誌~千々石町
・国立公園「雲仙」指定50周年記念 雲仙の歴史~長崎県
・湯けむりの記憶~雲仙公園ビジターセンター運営協議会
・DAMーDATA(ダムカード)


2021年4月19日 (月)

「札」について~「往来手形」の補足

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先日、往来手形について紹介しました→こちらをクリック

その折り、往来手形には将棋の駒の形のは見当たらない、との事を書きましたが、職業に関する「札」については、多少見受けられます。


上の右が将棋の駒形の職業に関する「札」だと思われます。「薬種仲間」とあるので、薬に関する鑑札。宝暦十庚辰年十月とあるので、261年前のものです。


左は「豆腐」の文字があるので、豆腐屋さんのものでしょう。横に「寛政六甲寅年十一月」とあるので、227年前。両方とも焼き印が押してあります。


下は裏側になります。


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さて、島原藩のことですが「長崎県史 資料編 第2」、島原藩「村方號令纂集便覧」の部。「札の部」に「札」の事が載せてあり、「札」として「糀室札」「目籠札」「肴盬札」「酒出店札」「社人納札之札」「鳥殺生札」「掃除人御門出入札」「古手賣札」等々の文字が見えます。

なお、札については「目籠札六角印」「殺生札山形之焼印」「城下二入諸商札ハ、丸之焼印」と書いてあるので、焼印はあったようです。形については見受けられませんでしたが「寸法ハ當春中相触置候・・」とあるので、決まっていたみたいです。


また、「札」については「・・・且口銭之儀者(ハ)、酒株ハ口銭なし、酒出店小賣札壹ヶ年四匁五分宛、糀室札壹ヶ年二貮拾貮匁五分宛、糀小賣札は壹ヶ年二七匁五分宛・・・」と書いてあるので、「札」については口銭を取られたみたいです。


口銭については「島原藩の経済・高木繁幸氏著」に「小物成(諸運上・口銭)について」の所、「田畑にかけられる本年貢を『物成』とか『本途物成』とか呼ぶが、それ以外の雑年貢を総称して『小物成』と言った。」と説明してあります。

なお、島原藩の「札」については、各市の資料館を見て回ったのですが、現在の所、見つけることが出来ませんでした。


2021年4月16日 (金)

健康食品というか特定保健用食品というか機能性表示食品というか・・・

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以前、健康食品といって様々販売されていました。最近お店を見て回ると「特定保健用食品」「機能性表示食品」などの表現が多く見られるようになりました。品物によってはお菓子メーカーまで作っているようですが・・・それだけ、健康に対して皆さん関心が、というより、どうも、TV、週刊誌の影響が大きいみたいなのですが。

最近「サバ」の缶詰が沢山見られるようになりました。サバは健康に良い、安い、料理のバリエーションが多いとい
うことらしいのですが。

黄色の缶詰が岩手県釜石で作られている「サヴァ缶」、フランズ語の「元気(サヴァ)?」と「鯖」を掛け合わせた言葉だそうです。これ、オリーブオイル漬けです。


インスタントラーメン「さばを味わう/コク塩ヌードル/SABAR」。大阪のさば料理専門「SABAR」監修。合い言葉は「おつかれサバです!」だそうです。


右が「チップス」で、赤の袋がツナの「TUNACHI(ツナッチ)」。マグロ70%使用。タンパク質、鉄、DHA,EPAが沢山入っているそうです。黄色の袋が「SABACHI/サバチ」、こちらはサバ70%使用。DHA、EPA、カルシウム満点。


なお、この次は「イワシ」がブームになるそうですが・・・


チップスの間にあるのが森永製菓の「ラムネ」ブドウ糖90%。健康食品には関係ありませんが、ハートの印が書いてあるのが入っているとかで買ってきましたが、残念ながら昔からクジ運が悪いので、残念でした。


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最近、夜更かしの方が多く睡眠不足に悩む方が多いらしく(私もですが)意外と品物が多いですね。「ネルノダ」なんて、良いですね。今晩、さっそく試してみるつもりです。

右の白い大きな袋は健康食品とは関係ありませんが「丸山動物園」に関係があるらしく、「札幌市丸山動物園はホッキョクグマの種の保全に取り組んでおります。活動応援のため売り上げの一部を寄付しております。」ということで、私も協力をしました。ラーメンで、あっさり味でした。


チョコレートのカカオポリフェノールは抗酸化作用が強く、活性化酸素などの有害物質を無害に変える作用があり、動脈硬化に効果があるそうです。カカオ分が高いのしか効果が無いとか、TVで言っておりました。赤いのは「ストレス軽減」のチョコ。


左の白い入れ物はキシリトールガムですが「歯科衛生士との共同開発プロジェクト」で作られた「歯科専用」のガムです。ここらの田舎には売っていないので、いつもネットで取り寄せています。ドーナツは「ロカボドーナツ」ですが、「ロカボ」ってなんでしょう?


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一番多いのがお飲み物。一番左は健康とは関係ありませんが、ラベルが最初から無く、多分、プラスティックのスプーンを廃止するとわめいている、二代目代議士のボンボンに忖度したのかな?

次の左から、体脂肪を減らす緑茶。体内脂肪を減らすのを助ける緑茶。健康な人の免疫機能の維持をサポートする「プラズマ乳酸菌」、「健康な人」という所が、ミソですね。記憶力を向上する、血圧が高めの方に、機能性表示食品の緑茶。日常の疲労感を軽減する、超アセロナ。認知機能(認知機能の一部である注意力・判断力)の精度を高める、お抹茶。


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というっことで、いろいろとありますが、個人差があり、効く人も効かない人もあると思います。ちなみに、私は3年ばかり漢方薬を飲みましたが、まったく効きませんでした。

「信じるものは救われる」という言葉もあるので、気楽に試してみるのも良いかも、ですね。


2021年4月12日 (月)

島原藩「松平主殿頭忠房公」の評価

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島原に疎い方のためにザッとですが・・・

島原は最初有馬氏が治めていました。居城は日野江城(現南島原市北有馬町)。有馬晴信が岡大八事件で死罪。
しばらく幕府領になりますが、次の松倉重政氏は島原城を築きます。重税とキリシタン弾圧をおこないますが、息子の勝家はどうしようないバカ息子で、島原・天草の乱を引き起こします。

次に高力氏が治めます。息子隆長時代に改易。次に深溝(ふこうず)松平氏の松平氏が福知山藩から入府。以後5代にわたり島原を治めます。前期松平になります。初代が松平忠房公。


次に、戸田氏が2代にわたり治めますが、再び松平氏が8代にわたり治め明治になります。ということで、島原半島でお殿様というと一般に「松平氏」になります。


で、血縁ではありませんが、自分のとこのお殿様というと、なんとなく気になるじゃありませんか。ということで、「江戸最高の名君はだれだ?」という文句に引かれ上の本を買いました。


松平忠房公といえば島原半島の安定化に努め、文学を愛し貴重な資料を集め、現在松平文庫に収められいます。また、江戸時代唯一の海外貿易港であった長崎の監督を命じられ、西国大名の監視も命じられていたという話もあり、幕府からも重用されています。ということあり、「名君」の一人に挙げられていまいかとは思ったのですが、残念ながら、でした。上の右の表が「名君ベスト30」です。クリックすると拡大します。


九州では、福岡藩主黒田長政、佐賀藩主鍋島直正、熊本藩主細川重賢、薩摩藩主島津斉彬。なお、平戸藩主松浦静山がベスト15位に入っていますが、あの人「甲子夜話(かっしやわ)」なんてすごい本書いているからナ。→こちらをクリック


「暴君・暗君ワースト10」も書いてありますが、松倉勝家などが載っているかと思ったら、ベスト10には入っておらず、「不行跡・乱心などが原因で改易された主な藩主」に上に書いた「高力隆長」が入っており「苛政」が原因です。地元では、松倉氏が悪政をした人物として有名なのですが。


なお、暴君・暗君のベスト1はなんと「浅野長矩(ながのり)」。あの松の廊下で吉良上野介に斬りかかった方。理由としては「悲劇の主人公のように見えて、実は江戸史上最悪の暗君といえる。」となっております。


その他、本書には「大名家の衝撃事件ファイル」など紹介してあり、なかなか面白い読み物でした。

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上の左の本は「武士の家計簿」で有名になり、TVなどでもよく見かける”磯田道史”氏が書かれた「殿様の通信簿」。ネタ本は右の「土芥寇讎記(どかいこうしゅうき)」。

磯田氏によれば「『土芥寇讎記』は、書物というより、むしろ幕府隠密の『秘密諜報』で、公儀の隠密が探索してきた諸大名の内情を幕府の高官がまとめたもの、という説がある。」というものです。「土芥寇讎記」を翻刻し出版された金井圓氏によれば、書かれた時期が元禄三(1690)だそうで、当時の大名234人の人物評価を載せた希有な書物、だそうです。

磯田氏の本に松平公の事が書いてないかと思ってAmazonから取り寄せましたが、残念ながらでした。ただ、氏の知識と古文書の深読みには”さすが”という思いがします。

水戸光圀の”圀”はなぜ”國”を使わなかったのか。また、悪所通いをしたとあるが、その裏にはなにがあるのか?


前に書いた「浅野長矩」。舞台、映画、小説などでは素晴らしいお殿様として描かれてしますが、なぜ暗君と書かれてあるのかなどは目からうろこでした。

さて、「土芥寇讎記」に”松平忠房公”が載っていました。長いので、要点だけ・・・前半が隠密の多分報告で、後半が幕府の高官の意見だと思われますが

「政道順ナル故、家士心易シ。風俗落付、民間二寛(ゆたか)也。」・・・「忠房公ハ、勇気ヲ宗トシ、才智発明也。心意気淳直ニシテ、法ヲ不背、行跡穏順ニ、仁政ヲ施シ、家民ヲ哀憐スル事深シ。忠義ヲ立ント欲シ、勤候ヲ専ラトセラルト云へリ。


と書いてあり、意味が分からなくとも字を見れば、謹厳実直、誠実、真正直、真摯、生真面目、品行方正、石部金吉というような文字が頭をよぎるのですが・・・とにかく悪所通いなどは無かったようですが、「土芥寇讎記」の最後に、「辺国(島原の事)タルニ依テ、人民喧(かまびす)キ事多シト聞フ、心得アルベキ事ナリ。」とあり、「喧しい」は「やかましい。かしましい。」という意味があり、島原は狭いので悪所通いなどしたら週刊文春に載って「人民喧シ」ですヨ。と言うことで、真面目にしていたのかな、と思います。

忘れていました、忠房公の官位は”従四位下”。吉良上野介が”従四位下”。浅野長矩が”従五位下”で浅野さんよりは官位は上になります。どうでも良いことですが・・・(^^;)。



2021年4月10日 (土)

「諌早公園」のつつじ&「鶴森神社」で大チョンボでした

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昨日、巻爪の治療で病院に行った折、諌早の眼鏡橋の横を通ったらツツジが満開でした。

本来なら「つつじ祭り」が開催されていた時期なのですが・・・調べたら、「2010年4月1日(木)~5月5日(水)」のツツジ祭りは新型コロナウィルスはのため、イベントは未開催、となっていました。夜間のライトアップのみ実施だそうです。


ライトアップはキレイなので、眼鏡橋が目当てなら夜。つつじが目当てなら昼、かなと思います。


近くに高城神社があり、久しぶりに寄って、隣接する「鶴森神社」へ寄ってみました。こちらは2018年にブログに書いたことがあります→こちらをクリック


ところがですね、鳥居の文字が今日は天気のせいではっきり読め、「星舎」となっていました。以前、間違って偉そうに「星合」と読んでしまっていました。私としたことが、大チョンボでした。


「星合」は7月7日のことですが、この「星舎」が日本語辞典、漢和辞典、古語辞典、くずし字事典、ネット等々でも見当たりませんでした。ということで、この件については調べて改めて報告をします。


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話変わって、「巻爪」の件です。今まで診てもらっていた先生から、最悪の時は手術でも、と言われていましたが、「あれ、痛いですよ」との事で、先生が替わったので手術について確認すると、「指を爪に添って切って、爪を取って、骨を削りますが、あと、足なので歩くとき負担がかかり、血が吹き出る方もいて、手術した方、手術をしない方が良かったと言ってますよ」と言われました。

これ聞いて、手術する気にはなりませんよネ。多少、痛むことがありますが、手術は「いたしません」。皆様も巻爪にはご注意を。諌早方面で巻き爪の良いお医者さんがいたら、教えて下さいm(_ _)m。



2021年4月 7日 (水)

「往来手形」について

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「通行手形」「往来手形」「関所手形」など呼び方はイロイロとありますが、多少違いはあるようです。

上は、Googleで「通行手形」の画像を検索したもので、多いのが将棋の駒の形のもの。赤の矢印が古文書。将棋の駒形は見ると、全部、観光地の土産物です。江戸期における通行手形、往来手形、関所手形にはこの形のものは見当たりません。


下の本は往来手形等について書かれた本ですが、古文書についての事のみが書かれています。駒形のものについては、書かれてありません。


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Googleの映像で青印は尼崎藩のものだそうですが、「御門通札」。尼崎城に入るため発行された通行証だそうです。他に「御厠通札」「夜行札」「御城内尿取札」などがあるそうですが、今、大きな会社に入るときなど首にぶら下げる証明書で、関所などで使う手形とは違っています。限られた目的のものです。
こちらを参照

「札」については、職業鑑札などが残っています。


島原藩の資料を見ていくと「目籠札六角印焼印」「殺生札者(は)山形之焼印」などと書いてあり、「札」には色々な種類がある事が分かります。


下は、3枚の札の裏表ですが「通行手形」の文字が見えます。ただ、「天明(?)二壬寅年年限通行手形」とか書いてあるので、限定的なものだと思われます。


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さて、Goggleの映像で「往来手形」で検索すると、下のような古文書が沢山見られます。下に一つだけあげておきます。翻刻は下記の通りですが、行替の時等、画面が乱れるのでベタ打ちしています。

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往来手形之事

因州八上郡池田村佐平治申者宗門

禅宗當寺旦那二紛無御座候
依志願四国遍路罷出候間所々
御関所無相違御通し可被下候若又
日々行暮候節一宿等奉賴候猶又病死
仕候節者其所之御作法を以御取斗
可被下候其節此方江者不及御沙汰
依而往来手形一札如件

文化七年 因劦八上郡奥谷村

申ノ十月日   天佑寺(印)

国々御関所

御役人衆中村々在々

村々在々
御役人衆中



書いてある事は


①氏名

②どこの寺の檀家か
③旅の目的はなにか(この場合は四国遍路)
④関所を問題なく通して欲しい
⑤日暮れで困ったときは宿泊を頼みたい
⑥病死した時はその土地の作法で処理をして欲しい、その折りは、こちらには連絡不要

「江戸のパスポート」に実例が書いてあり・・・簡略して書けば


「すぎ」という女性が西国巡礼のため出国。途中仲間とはぐれ、足を痛めて困窮しているところを小田村の農民に保護される。

その後小屋を建て、養生したが回復せず、所持金も無かったため、自力では帰国できず国元への送還を願い出た。
小山田村では、藩役人に事情を記した届書きを提出し、許可を得て、宿場と村々をつないでの移送(町在継送)で送り返すことになった。

なお、国元への送還を認められたのは、往来手形を所持していたからであったそうです。「往来手形」の内容は上に書いている「往来手形」とほとんど同じ内容です。


江戸時代、「往来手形」について、ただ単に関所を通るときに使ったものだと思っていたのですが、このような事があったことは思っても無いことでした。なかなか、面白い仕組みです。


さて、往来手形、関所手形というと最初書いたように将棋の駒の形を思い出すのですが、誰が考えたんでしょう?「チコちゃんに叱られる!」では、観光土産の「ペナント」を考えた人の事が放送されました。きっと、この将棋の駒形の往来手形、関所手形は観光みやげに考えたと思うのですが・・・(-_-)。



2021年4月 3日 (土)

谷文晁「日本名山圖會」より「雲仙」の地名について

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谷文晁「日本名山圖會」より「雲仙岳」。赤丸の所「雲仙 在肥前州高来郡」。

雲仙岳を大きく捉えた絵だとは思いますが、船の人物など小さな所も良く書き込まれています。


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谷文晁は文化元年「名山圖譜」を刊行し、その後文化九年「日本名山圖會」として刊行、ベストセラーになったそうです。

この図はシーボルトの「NIPPN」にも影響を与えたらしく、宮崎克則氏の「シーボルト『NIPPON』の山々と谷文晁『名山図譜』」として、論文が書かれており、シーボルトの「NIPPON」に描かれた絵と谷文晁の絵とを比較してありますが、ほとんど模写といってもいいようです。→こちらをクリック


なお、谷文晁が実際に山を見て描いたかについては「『日本名山図』にみる谷文晁の名山観」という論文があり、結論として「⑴文晁は自分の目で見た独自の名山を選定した ⑵文晁は山の構図を重視して名山と評価した事がわかり、山を風景として見るという文晁の名山感が明らかになった」としてあります。→こちらをクリック


上の風景は、島原の海からの風景だと思われます。下の絵図は、文化10年長崎勝山町文錦堂から刊行された「九州九カ國之繪圖」です。


青の丸印が「島原」、
白い線が海路になり「熊本」と結ばれいます。ですから、谷文晁はこの海路を辿ったと思われます。勝海舟、坂本龍馬が外国船の下関攻撃を回避するため長崎に来たときも、この海路を利用しています。

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さて、昔は「雲仙」は一般的に「温泉(うんぜん)」と表現していました。このことについては以前「温泉(うんぜん)から雲仙(うんぜん)へ」ということで書き、谷文晁の絵の絵もその折り紹介をしました。

下は天保時代の街道図。左が「本間屋」と書いてあり、江戸と大阪の住所が入っています。右が「奈良大佛前 繪圖屋庄八」とあります。どちらとも「雲仙」を「温泉」と書いてあります。

余談ですが、右の地図、右の矢印「春城」と書いてありますが、島原一揆の舞台「原城」。以前、原城の名前について書きました。大体のことは分かったのですが、あと一歩で、いずれ書きたいと思っています。

左の矢印「談合シマ」。一揆軍が話し合いをしたという「談合島」。

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で、以前からの疑問で谷文晁が「温泉(うんぜん)」をなぜ「雲仙(うんぜん)」と書いたのか?いろいろ考えた末、以下のような事を考えてみました。


谷文晁はもちろん地元の人間では無い。ということは「温泉」と書いて「うんぜん」と読むのは知らない。弟子と来たかどうかは不明だが、地元の案内人がいたことは十分に考えられる。


案内人が温泉岳を「文晁先生、あれが『うんぜん』バイ」と説明をし、その折り「うんぜん」という言葉を「温泉」と教えたなら問題は無いが、言葉だけだったら「温泉(うんぜん)」を「雲仙(うんぜん)」と受け取ったと考えられる。で、「温泉岳」を「雲仙岳」と書いた。


という事が考えられませんか(-_-)?あくまで私見ですが、これが正解だと私は信じているのですが・・(^_^)v。



2021年3月30日 (火)

「大村藩古切支丹研究資料」の本からイロイロと

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島原半島は島原・天草一揆が起こった土地なのか、現在、熱が少し冷めたようですが「隠れキリシタン・潜伏キリシタン」について、かなり熱心な研究がされていました。

私も一応、本だけは集めていて、上の本を古本屋で中身を確かめもせず買いました。「大村藩古切支丹研究資料」。

「大村」といえば”大村忠純(ただすみ)”。日本で初めてのキリシタン大名で、大村氏第12代当主。大村藩初代藩主・大村喜前の父になります。


ということもあり、中身も確かめずに買ったということです。そのまま、本棚にしまっていましたが、ふと本の箱から取り出すと、本の三方(天、地、前)に金の装飾がしてありました。


普通「天金の書」などといい、天だけに金の装飾をしてある本を指しますが、装飾のためだけでは無く、ホコリが溜まって汚れるのを防ぐ目的があるそうです。ですから、この本は正確に言えば「三方金の書」。なんとなく、金持ちになった気分ですが(^_^)v。


で、編者をみると、なんと「山口侘助」。山口侘助氏は浦上四番崩れ(「崩れ」は大勢のキリシタンが同じ地域で発覚する事件)で他所に流されています。


この本の序で、長崎学の基礎を築いた古賀十二郎が「山口侘助師は三歳の時迫害の難に遭ひ、愛媛県三ヶ濱に流され、配所の日を眺めること三年半、明治六年漸く赦されて、故郷長崎縣西彼杵郡浦上山里村に帰還せられた信仰の老勇士である。・・・」と紹介をされています。
今日は、本の内容については触れません。

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さて、「天金の書」で思いだしたのが”三橋敏雄”の俳句。一時、三橋敏雄の句が好きでした。


かもめ来よ天金の書をひらくたび


ただ単に、上の句と下の句の取り合わせが良いな、とは思っていたのですが、鋭い人がいて、下のように本を広げると、本が”かもめ”になっちゃうんですね。ワタシもまだまだ感性が不足しておりました。「天金の書」と「かもめ」の素晴らしい結びつきです。


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さて、連想ゲームではありませんが、「かもめ」というと「寺山修司」作詞の「かもめ」を思い出しました。というより、寺山修司作詞の曲のなかで、この歌が一番好きでした。歌ったのはカルメンマキ。

おいらが恋した女は/港町のあばずれ/いつもドアを開けたままで着替えして/男たちの気を引く浮気女/かもめかもめ笑っておくれ・・・・
この歌、YouTubeでも聴けます。

さて、三橋敏雄の俳句には、現代の不安定な世にも通じるものがあります。


今日一日ミサイル飛ばず冬ごもり

あやまちはくりかへします秋の暮
戦前の一本道が現るる
銀座銀河銀河銀座東京廃墟
冬の芽の先先國家秘密法
手をあげてこの世の友は来たりけり

寺山修司というと「マッチ摺るつまのまの海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや」が代表作としてあげられますが、寺山修司は俳句から出発しています。


古書売りし日は海へ行く軒燕

わが夏帽どこまで転べども故郷
方言かなし菫に語り及ぶとき
林檎の木ゆさぶりやまず逢いたきとき

三橋敏雄の俳句に「窗(窓)越しに四角な空の五月晴」という句があります。

寺山修司の俳句に「便所より青空見えて啄木忌」という句があり、なんとなく三橋敏雄の句を意識したのかな?

と、歳をとると昔の事などが止めどなく思い出され、今日も脈絡の無い話しでしたm(_ _)m。


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