2019年3月24日 (日)

「橘公園(神社)」、桜はまだかいな?


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早熟な桜は咲いています・・・が・・・

下は「開花基準木」。昨年までは標記が立っていたのですが、一応、基準木として。

数えてみると、数十ばかりの花が咲いていたので、勝手に「開花宣言」をします。

橋の下の桜は、開花したらライトアップするのですが、まだですね。早い方は、花見をしていましたが。


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下が宴会場🍺ですが?まだまだ開花していません。もっとも最近暖かいので、あっという間に満開になるかも。

「花をのみ待つらむ人に山里の雪間の草の春を見せばや」という和歌もあったような・・・

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出店(でみせ)は準備は出来ているようですが、商売を始めたところ、まだのところいろいろと。
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千々石名物の「じゃがちゃん」。今年は、ネコが注目を集めましたが、茶碗にもネコさんが。

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中学校の掲示版。卒業式が先日あったためか、「絆」の詩。

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ウチのカミサンと私、「絆」がボロボロで切れそうなんですが・・・・どうしましょう💧・・・

2019年3月20日 (水)

幻の「稚児落としの滝」~雲仙市雲仙

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地元では有名な「稚児落しの滝」です。雲仙~千々石に下りるところにありますが、近年大規模な道路工事が行われ、危険箇所という事で立ち入り禁止になっています。いまや、幻の滝です。

「稚児落とし」については、3説ほどあり。


雲仙は修験道者の修行の場所として有名であり、別所と札の原に合わせて1000もの僧坊があったと言われています。もっとも、一人で暮らし修行する小さな僧坊も多かったと思いますが。


で、ある日、片方の稚児がもう一つの場所のお稚児さんが飼っている「白雀」を貸せと、もちろん断りますが、喧嘩になり、誤って白雀が死んでしまい、大騒動。子供の喧嘩に大人が出るというにのに似ていますが・・・これに、別所と札の原の僧が出て来て大騒乱。寺に放火する者などもおり刀、槍などを持ちだして、大殺傷事件。


これを聞いた、当時島原半島を治めていた有馬氏、兵を派遣し原因は稚児にあったということで、全坊の稚児を集めて、滝の上から稚児を突き落として殺した、ということで「稚児落としの滝」。


もう一説は、このころキリシタンが口之津に入港。島原半島を治めていた有馬氏は洗礼を受け、キリシタンになり、雲仙の僧もキリスト教に影響を受ける者もおり、この僧と仏教を守ろうとする僧の争いだという説もあり。


上の両者混合の説もあります。


もう一説は裏話として語られてはいたのですが、杉村廣太氏の「温泉(うんぜん)岳を繞(めぐ)りて」に次のようにはっきりと書いてあります。大正13年の本です。


「・・・或時別所の坊さんと札の原の坊さんとの間に、稚児に関する一種の恋愛問題から争いが出来て、法衣の上に甲冑を掛け、数珠の手に剣戟を持って仏徒にあるまじき大闘争をやった所から、国主有馬候が家臣を派し鎮定したが、その時禍根を断つためにと、闘争の原因になった稚児共を、この滝布に突落して殺したというので、それから此名が付けられたのである。」


以上、誠にザックリ紹介ですが、書けばきりがないのでご了承を。


さて、この本の作者の方は事情通らしく、雲仙岳の所に「田代原(たしろばる)」というところがあり、そこについて・・・


「・・・この田代原は、長崎県の新しい計画で、池の原(現雲仙ゴルフ場)より更に大規模のゴルフ場をつくろうというので、選定された場所である。・・」とあり、この話を聞のは初めてで、調べる必要があるような・・・


上の写真ですが、人物が写っています。外人です。雲仙には沢山の外国客がきており、以前書いたように、雲仙に向かう汽車の乗換駅「愛野駅」では、駅長さんは英語が喋れないと務まれなかったそうです。また、昭和初めの県議会でも、雲仙のホテルは外人向けだけではなく、日本人向けの宿泊施設を作ったらどうかとの質問も出ています。(以前書いたかな?)


さて、道路が拡張され雲仙まで行くのに随分便利になりました。しかし、そのため「稚児落としの滝」は見られなくなり、「幻の滝」になりました。便利になるのが良いのか、そのために、歴史を秘めた史跡を無くしても良いのか・・・どちらでしょう?





テストです

ココログの記事をアップできないので、テスト中です。

2019年3月16日 (土)

集い処「えんがわ」さんをお借りして~雲仙市千々石町

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「集い処・えんがわ」です。上の写真は、紹介のリーフレットからお借りしましたが、古民家です。(以前にも紹介しましたが・・・)

古民家と言えば、「古い」という意識がありますが、天井が高く、使われている木材もがっしりし、畳も昔の広いものを使っており、居るだけで、なんとなく落ち着きます。

「集い処・えんがわ」は農産物の生産、加工、販売をしている(株)マル二さんが、この古民家を借り、作業場として使っていますが、大広間が空いており、地域の人が集う所として利用してもらえないかと、町おこしのため開所したところです。

今日いって見たら、つまみ細工だったかな?を作っていました。

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(株)マルニさんでは、野菜を煮たものを真空パックにして、ここでも直販しています。料理が面倒くさいのは、献立を考える事、そして、野菜の皮をむいたり、刻んだり下ごしらえをすること。これが、なければ料理は意外と楽しいのですが・・・で、(株)マルニさんの野菜を使うと、下作りの手間が一手間省けます。

私も料理をするので、2,3種類買って使って見たら、とても便利。

で、私、収集癖があり、ここ数年、千々石に関するもの、また、古文書等々収集したものがあるので、しかるべき所に寄贈しようか思い(もうボチボチ歳なので・・・)当局さんに相談したらは、あまり関心がないらしく、それならどこかに展示できないかと思って、”えんがわ”さんに相談したら、気持ちよく、「いいですよ」と返事をもらったので一畳ばかりのスペースをお借りして、展示ケースを作って置かせてもらうことにしました。

最初は、千々石、小浜、雲仙等の明治、大正、戦前の絵はがきを持っていたので、とりあえず解説と一緒に並べることにしましたが、多分、4月からになりますが、その前触れとして、絵はがきを10枚ほど拡大して並べました。気軽にご覧に来て下さい。

ところで、写真の後ろの欄間。大工さんと一緒に置き場などを見てもらったのですが、欄間を見た途端「この欄間良いですね」と。今頃はこのような欄間を作る方は少なくなったそうです。これも、見もの一つです。

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さて、一回目は千々石を中心とした絵はがき・写真等の展示ですが、2回目は「大江戸大捜査」を考えています。中身は・・・・・・ですが、楽しみに。

夫婦げんかしたときなど、ここへ来てゆっくり休んで、気を落ち着けるのも良いかも。何しろ、田舎には気のきいた喫茶店などなく、ゆったりするところがありませんから。ですね。

「えんがわ」は千々石郵便局からすぐの所です。



2019年3月13日 (水)

お父さんは、かわいそう。

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お父さん、かわいそう。いよいよ、捨てられるんですか?

おかあさんに気をつかい、むすめの成長に気をつかい、グレないように、悪い虫がつかないように注意して、挙げ句の果ては、「パパうざい」といわれ・・・本当にかわいそう。

そのうえ、「旦那が何を言っているかわからない」と言われ、子供は小学校のときから、お母さんの「取扱説明書」を読み、お母さんの機嫌をうかがいつつ・・・

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本は買いましたが、なにが書いてあるのか怖いので、まだ読んではいませんが・・・わたしも、ボチボチ断捨離されるのかな (^^;) ・・・・



2019年3月 7日 (木)

「プール」があったげな~国立雲仙公園

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雲仙のプールです。

雲仙にはテニスコート、ゴルフ場等々がありますが、絵はがき、写真集を集めているうち、「雲仙プール」という絵はがきがあり、「雲仙」といえば「雲仙」しかなく、プールというのは初めてで、一応場所を探してみました。もちろん、現在は影も形もありません。

下は、テニスコートと児童公園。児童公園もよく場所が分かりません。


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テニスコートはまだまだ元気。テニスコート前、現在「新湯ポンプ中継所」。昔、弓道場があったそうです。

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ゴルフ場ですが、「東洋一のゴルフ場」。良く見ると、牛さんが寝ていたり、馬さんが草を食べたりしています。なんと、のんびりしたことか!表には昭和7年のスタンプが押されていました。

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さて、「雲仙プール」ですが、観光パンフレット、旅館の案内地図を調べると、大体「別所」の付近だと思われるのですが、ピンポイントでは分かりませせん。

で、地元のことは地元の人へと。詳しい人に聞いたら、現在の別所ダムにあったそうで、自分も泳いでいたということでしたが、どちらかというと外人向けのプールだったそうです。

ここは、修験道者が修行をしたところで、300坊があったという所で、「加持川」が流れていました。「加持祈祷」の「加持」ですから、仏教と関係していた所だということがわかります。

この加持川の水を利用してプールが作られたと思われます。なお、この横の所、外人向けのバンガローなどがあったそうです。

なお、加持川をせき止め、1961年にダム作りに着工、1970年に完成をしています。当然、プールはダムの底です。


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上の写真に似ている所から撮りましたが、上の写真はこのダムの底から撮っているので、風景としては多少違っています。

なお、ダムの水が干上がったときには、かすかに見えることがあるそうです。何十年かに一回ということだそうですが・・・


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この別所ダム、「おしどりの池」という別名があり、昔はおしどりをよく見かけたのですが、最近は、あまり見かけなくなりました。ひょっとしたら、離婚したのかな?


2019年3月 4日 (月)

変わる風景~千々石海岸

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上は千々石海岸の写真。赤丸印は「福石様」。絵はがきですが、使用されていないため、年代ははっきりしませんが、家の屋根は、べらり(標準語で全部)茅葺きです。

これ、どこらあたりかなと思い、地元の知人に聞いたら、あそこじゃない、と言うことで、あそこへ行ってみたら、ピンポイントでは分からず、ここら辺だろうと思って撮った写真が下。

赤丸印が「福石様」向こう側の海岸は大体同じですが、手前の海岸は道路ができ、公園ができ、防波堤ができ、こんなにも違ってきたのかと思いました。

昔が良かったとは思いませんが、なんとなく寂しい思いでした。

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思えば、私のカミサンも昔はあんなに可愛かったのに、今では、すっかり変わってしまいましたm(_ _)m・・・今でも、それなりには可愛いのですが・・・・(この部分失言につき、全部抹消します。)

2019年2月28日 (木)

「マジ?」~モービルオイルCMと橘中佐の微妙な関係

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1973年(昭和48年)1月号の「SNOOPY」です。この年に生まれた方は46歳になります。多分。

この雑誌、私は読んだことがないのですが、他に調べ物をしていると、ひょんな事に気がつき・・・・

最後の所に「CM SONG CARD」というこのがあり、上の段が「モービル石油・コマーシャルソング」の「気楽に行こう」(マイク真木作詞・作曲・歌)。まあ、ここまでは良いのですが、なぜか下の段の歌・・・

「軍神橘中佐」(鍵谷徳三郎作詞・安田俊高作曲)が載っており。

あなたですよ、若者向けの雑誌、しかも昭和48年発行。それに、橘中佐の「遼陽城頭夜は闌けて 有明月の影すごく・・・・」と戦時中の歌を載せて、誰が歌うんですか?しかも、全国向けの雑誌ですよ。

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次のページをあけたら、この歌19番まで載っていました。本当はまだ長いのですが。

で、赤の四角の所読んだら、よく分かりました。そのまま書いてみます。


モービル石油のCMは、ユニークなモップスの鈴木博三(注:鈴木ひろみつ・2007年3月、60歳没)と”軍神橘中佐”の歌で決まっています。
今、若い人たちの話題を呼んでいるこの歌、CMを撮る際、”気軽に行こうよ”の前に、何か歌を流そうかいナンテいってたら、鈴木博三クンが、この歌を歌いはじめたんだって。そくざに、それていこうー!って決まったそう。
この歌は、このあと下の巻13番と続く、長~い歌です。(原田英子)


だったんですって。


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で、このCMは大ヒットしたので、テレビで良く見ていたのですが、橘中佐入りのCMは記憶がなく、YouTubeあたりにないか調べたら残念でした。

ネットであちらこちら調べると、意外と”橘中佐”入りのCMを覚えている方が多く、某ブログでこの歌をYouTubeに投稿した方がおられたみたいですが、再生したら、下の画面。誠に残念でした。

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削除された原因は色々と推察されますが、橘中佐の生誕地に住んでいる人間としては、橘中佐の歌入りの「気楽に行こう」。聞きたかったな~。

どなたか、ネットあたりで流しているのを知っている方、お知らせをm(_ _)m。



2019年2月25日 (月)

「羅漢寺の猿石(?)」~南島原市有家町湯川内

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有家町湯河内に「羅漢寺跡」というところがあります。

「有家町郷土誌」と「有家町内における文化財の調査」によると多少違いがあるのですが、はっきりしないところがあるので、ザックリ書いてみます。

数十年前聞いた話では、この道々に、上にあるような石造物点々とがあり、それを集めてここに祀ったとか。

「羅漢寺」と書いてありますが、
「有家町内における文化財の調査」では、このあたりに、密教寺院があったらしく、この一帯を「寺山」「寺屋敷」といい、出水で流されたらしく、その道場に安置されていた彫仏が発見されたそうです。

その、概要を聞いた北九州市の某お寺の住職が「石造物を羅漢と早呑み込みし、羅漢寺云々の語句を使用したことにはじまり、一部の土地の人々は、これを羅漢像と言い伝えたことに、間違いを引き起こした遠因があったのであり。」と言うことで、ここに「羅漢寺」というお寺があったのではありません。

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どう見ても、羅漢さんにはみえません。

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石像の実測図ですが、確かに羅漢さんではありません。

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     (「有家町内における文化財の調査」より)

この報告書の副題が「ー資料よりみた倭、韓交流史に対する提言の試みー」なっており、この事についても書いてありますが、長いので、いつものように省略。

この石造物は現在「猿石」といい、有家町の各地に点在していますが。「・・・・麓の村人たちが、キノサン参りと称して、豊穣を希求する登山参道の古道を探れば(かって登った古老による)蒲河から須川あたりの旧入江港を基点として、山川ー堀切ー湯河内を経て鮎帰滝に出、(中略)西北高岩山の裙に出、(中略)ここより高岩山に登り参詣するが、古代舟人にとっても、巨石崇拝、或いは航海の指標として尊崇されたことは、現地からみて、認めざるを得ない条件を持ち、仏教の文化がこれと結びついたことも、けだし当然である。」とあります。

少し古い絵葉書からですが、下が高岩山です。

雲仙といえば、昔は修道験者の修行の場所として有名でした。この修道験者の道標として、猿石が置かれたのではないかとの話もあります。

まだまだ、解明はなされてないようですが、多分、これだ、という結論は出そうもないのですが・・・

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羅漢寺跡に行くには、雲仙から島原に下る途中に俵石展望所があり、そこから有家に下る道があり、途中に「鮎帰の滝」の看板がありますから、そちらの道に入り、途中、滝に行く道がありますが、それを無視し直線します。で、途中、小さな分かれ道があります、それも無視して、まっすぐ進みます。そうすると、上の写真の所にでます。

なお、道が狭いです。舗装はしてありますが、リーンカーン・コンチネンタルなどの車は避けた方が良いでしょう。ベンツなどの高級車も避けたが良いと思います。運転のヘタな方、狭い道を運転すると、息苦しくなる方も避けた方が良いと思います。

なお、羅漢寺あとから、上の国道に抜けるそうですが、地元の方にきいたら、Uターンしたほうがベターだと言うことでした。Uターンする場所は、すぐ先にあります。

しかし、この苔むした石造物、いつまで見ても飽きませんでした。


参考書・「有家町郷土誌」「有家町の文化財報告 有家町における文化財の分布調査 ー資料よりみた倭、韓交流史に対する提言の試みー」より

2019年2月23日 (土)

「緋寒桜の郷まつり」~雲仙市国見町神代小路歴史文化公園

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今年も、鍋島邸を中心にして「緋寒桜の郷まつり」が始まりました。というより、私が知らない間に、2月17日から始まったみたいです。一番のイベントが24日(明日)になるようです。まつりは3月3日まであるようです。

鍋島邸に入る、長屋門。両脇は「切石亀甲積」の石垣。「亀甲」というとすぐに「亀甲●り」を思い出すのですが・・・


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正面玄関ですが、確か去年までは閉まっていたような・・・。お殿様しか使われない玄関です。

右の写真、丸印の石の所に水が溜まると緋寒桜が写って良い撮影ポイントなのですが、水でぬらすと石が傷むとか。で、ガラスを敷けばと三年前に言ったのですが・・・

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外の庭も良く手入れがされて、目を楽しませてくれます。

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一般人が入る玄関です。昨年までは「撮影禁止」と書かれていたのですが、少し緩和されたのかと思ったら、奥の方は撮影禁止。

ちょうど、蓄音機を使ったコンサート、初めての試みだったかな?

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こちら赤丸の所の柱ですが、一本の木をつかっています。もちろん根元と先の方では大きさが違い、下の窓の部分は微妙に高さが違い、ここは大工さんの腕の見せ所、とはガイドさんの話でした。

ガラスから見える庭っていうのもいいですね。

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イベントの日程など書いてありましたが、こちら、クリックすると読める程度には拡大できます。

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入り口でいただいたパンフレット、大体このような感じの「鍋島邸」です

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明日が一番のイベントなので、是非お越しのほどをm(_ _)m。


2019年2月21日 (木)

「寺山修司 青春書簡ー恩師・中野トクへの75通」~九条今日子監修・小菅麻紀子編著

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「寺山修司 青春書簡」が出版されたのが、2005年12月10日。

寺山修司を知ったのは、高校生の時。それから、随分の本を読みました。

カミサンから本が邪魔といわれて、随分処理をしたのですが、寺山修司の本だけは一冊も処理できませんでした。

表紙は寺山修司が野原に腹ばいになっているところ。


・方言かなし菫に語り及ぶとき
・車輪繕う地のたんぽゝに頬つけて


最近は方言が流行しているようですが、昔は東北の方は方言に屈折した思いがあるのか


ふるさとの訛りなつかし停車場の人ごみの中にそを聴きにゆく


と歌ったのは石川啄木。


裏表紙は寺山修司が線路を走っていますが


「ロンググッドバイ」

地があつい鉄道ならば
走り抜けてゆく汽車はいつかは心臓を通るだろう
同じ時代の誰かが
地を穿つさびしいひびきを後にして
私はクリフォード・ブラウンの旅行案内の最後のページをめくる男だ
合言葉は A列車でいこう だ
そうだ A列車でいこう
それがだめだったら走って行こう
(以下、長いので省略)


A列車と言えば、ゲームとか旅行会社が使っているようですが、元来はジャズのスタンダードナンバーのひとつです→詳しくはこちらをクリック

ただ、昔、聞いた話では、黒人奴隷をカナダに逃がすため「地下鉄道」という名の組織があり、そのルートを隠語で「A列車」といっていたと言うことだったのですが・・

裏表紙、寺山修司が走っている姿と、「そうだ A列車で行こう それがだめだったら走って行こうよ」という詩をよむと、そちらのほうがピッタリだと思うのですが・・・

さて、本に載っている「恩師・中野トク」さん。直接の教え子では無く、中野先生の教え子、広瀬隆平氏が「寺山はあまり幸福ではないから、先生に会ったら少しは幸福になれるかもしれない」ということで二人を紹介したそうです。

当時は、公共図書館も無く、中野先生が自分の自宅を、放課後の生徒に解放していたそうです。家には色々な本があり、生徒たちは各々好きな本を読んでいたそうです。

寺山修司が中野先生に宛てた書簡は、高校二年生の昭和28年から昭和38年までの75通になるそうですが、この本は寺山修司の手紙をそのまま写しています。決して上手な字とはいえませんが、寺山修司の作品を思い出しながら読むと、納得できる「字」でした。

書簡の内容は、作品とは違った面も見られ、また、作品の理解に役にたつかもしれません。



2019年2月19日 (火)

今年最大の「スパームーン」

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今日散歩していると、お近くの人に出会い「今日はスーパームーン」だよ、と言われました。

もう何回もブログにだしているので、どうしようかと思っていたら、先日「のび太の月面探査記」を紹介したばかりなので、ヒョッとした、のび太やドラえもんが見えないかなと思って写真を撮ってきました。

正確には、20日の0時54分が丁度満月なのだそうですが、まあ、そんな堅いことは言わないで・・・今日は空の状態が非常に悪く、多少雲がかかった状態でしたが、なんとか撮ってみました。

で、これ右のクレーターのところ、見えるんですね。ドラえもんやのび太くんたち。
見えないですか?それは、あなたの心が世俗の常識にまみれているからで、私のように純粋な心を持った人には見えるはずです。

さて、今回のスーパームーンは今年最大のスーパームーンだそうです。

9月14日の最小の満月と、今回の満月の大きさの違いがネットの「tenki.jp」に載っていたので興味のある方はごらんください。随分違います→こちらをクリック

つくづく見ていると、こんな大きなものが宙に浮かんでいるなんて、まさに神秘的ですね。



2019年2月17日 (日)

「のび太の月面探査記」~★原作・藤子・F・不二雄★著・辻村深月

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ドラえもんの本が書店に並んでいて、セロファン紙で包んであるので、てっきりマンガかと思って買ってきて、セロファン紙をあけると、なんと、ベラり、活字。


おかしいなと思って帯の裏側を見ると「『映画ドラえもん のび太の月面探査記』の脚本を手掛けた辻村深月が、自ら書き下ろし小説化」という事でした。なんとなく、納得したようなしないような。なお、本の方は、今日、行きつけの本屋さんでは売り切れていました。

なお、作者の辻村深月氏は「章タイトルをすべて『ドラえもん』のひみつ道具にした『凍りのくじら』」があるそうですが、私、残念ながら、辻村深月氏の本を読んだことがないのですが、「ドラえもん」がよほでお好きなのでしょう。本の帯の裏側に、作者が「ドラえもん」をいかに好きだったかも書いてあります。

さて、小説の出だしは、月面探査機ナヨタケのカメラに映った白い影。

謎の影ですが、のび太は月にいるものといえば「ウサギ」だと言いますが、もちろん皆にはバカにされます。

で、のび太とドラえもんは月に行き、「あのクレーターにウサギ王国を作ろう!」というわけですが、もちろん、ドラえもんの秘密道具が活躍します。

話変わって、某日、ルカという何となく冷たいような、でも、勉強はできる、体育は万能という、なんとなく不思議なルカという転校生がきますが、実はルカは・・・・と
いう事で話は、大きく展開してくるのですが・・・・


私としても、1800円+税という事で、大枚払って買ったので、これ以上は書きません。興味のあるかたは、ご自分で買ってお楽しみください。たまには、このような冒険小説も良いですよ。

なお、この映画は「3月1日にロードショー」という事で、読んでから映画を見るか、映画を見て本を読むか、映画はみない小説も読まないか、悩みますね。私は既に読んだので・・・映画は見るかどうかの問題ですが・・・・




2019年2月12日 (火)

パインティールファームさんの「育てるチーズ」~雲仙市

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パインティールファームさんに行ったのは一年ぶり。ご夫婦二人+αの少人数で、牛のお世話、チーズ作りと忙しく、土曜日と日曜日しか開店をしていないので、なかなか行けませんでした。

先週の火曜日の長崎新聞を読むと、パインティールファームさんで作っている「育てるチース」が第五十回県特産品新作(県主催)で最優秀賞を取られたとかで、どんなんかなと思って、行って見ました。

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相変わらず、みなさんお元気ですね。

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入ったところに、商品が並んでいて一番左の上の方に「育てるチーズ」が置いてありました。

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お店に行ったのが11時15分頃ですが、11時開店にもかかわらず結構なお客さん。

右の写真、多分「プレミアムピザ」だと思いますが、大きなチーズを削って左のお皿にかけていましたが、あまり美味しそうなので、注文したお客さんに「写真いいっすか」と、歳とったら図々しくなるものなるもので、それでも「どうぞ」。


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さて、用事があったので「育てるチーズ」と他2点ほど買ったら、保冷バックに入れてもらえました。

いよいよ「育てるチーズ」の箱を開けると、右のようにチーズが入ったパック。

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なんと、白いお肌でしょう。ウチのカミサンのお肌と比べれば・・・

で、後はふたを箱の下に敷いて、チーズの入ったパックをそのまま箱に入れ、蓋を閉めるだけ。

あとは、下に溜まった乳清を捨て、チーズを上下にひっくり返す、この時期はフレッシュな味だ楽しめます、と。

10日ほどで熟成が進み少し酸味とコクがでる、と。ここで、塩水でチーズをまるごと優しく洗いペーパータオルで水分を拭きます。3日に一度行うのがベストだそうです。

20日目、さらに熟成が進み、まったりとした口あたりに変化するそうです。

お店屋さんで買えば早いのですが、野菜にしたって自分が作ったものが一番美味しい。

ウチはまだ2日目でどう変わるか楽しみです。まさに「育てる」楽しみですね。

なお、箱の横には「大切に育ててください。」「のびのびと育ててください。」「たのしく育ててください。」「おいしく育ててください。」と書いてありました。なんとなく、子供を育てるのと一緒ですね。

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製品については、通販もしているようで、「パインティールファーム」で検索してください。


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