2018年1月15日 (月)

「すき好きノート」~谷川俊太郎著

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「あさイチ」で話題になったそうですが、初版が2012年10月30日、私が買ったのが2017年7月25日の第11版。で、今日買い、新刊だと思ったのですが、こちらに着くのが遅いですね。何せ、片田舎だから・・・

本の帯に書いてあるように、「こどもむきは ひだりから」、「おとなむきは みぎから」と書いてあり。ちゃんと「すきノート たにがわしゅんたろう」と、「好きノート 谷川俊太郎」と使い分けています。

下が、おとな向き。「一番好きな○○○」はなどと書いてあり、片方のページは罫線が書いてあるか、全くの白紙で、ここに自分の「好きなもの」を書いて本を完成させるようになっています。おとな向きは、谷川さんのコメントも付いています。


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こちらは子ども向きようで、やはり片方のページが白紙で、ここに、言葉やら、絵やら、写真などを貼って、本を完成させます。

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子供用はさておき、大人用を2,3ご紹介。

「12 好きな俳句。」ということで、谷川さんは池田澄子さんの。

「葉桜や生きていて賦に落ちぬ日の」
「いつしか人に生きたわ アナタも?」

をあげられていましたが、私としては

「じゃんけんで負けて蛍に生まれたの」が好きなんですが。

「13 好きな食べ物。」、ですね。谷川さんは、いろいろ書いていますが、私としては、

「母の日の 手のひらの味 塩むすび」(鷹羽狩行)ですね。もっとも、母は亡くなり、食べられなくなりましたが・・・・

「20 好きな窓。」

「両端に留め金が付いていて、上へ開ける旧国鉄の三等車の窓。」、長崎から東京まで何回となく受験に行きましたが、この窓懐かしいですね。今のはめ殺しのガラス窓には情緒が無いような。

「19 好きな瞬間」

なんといっても、初めてカミサンの手を握った瞬間ですね。あのころは、ホントに可愛かった。歳をとると・・・・

とまあ、真剣に考えなく、縁側で日向ぼっこでもしながら、ボンヤリと考えるのが一番でしょう。で、書き上げてみると、自分の姿、というか、今までの人生が見えてくるようです。

気楽に、自分の世界で一冊のノートを作るのもどうでしょう。ちゃんと背表紙に、〈なまえ          〉と、自分の名前を書くようになっています。




2018年1月13日 (土)

「礫石原(くれいしばる)環状石組遺構」&その他

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病院も3日続きで通うとイヤなりますね。前の日から、雪の予報が出ていて、朝早く出かけると何ともない天気。珍しく病院の診察も、あっという間に終わり。

以前から、島原市の地図を見ていたら、島原新港~雲仙の方に上っていくと、「千々石道」と言う地名あり、昔、千々石から山越えで有明、島原方面に魚を売りに来ていたと言うことを聞いていたので、一回は行ってみたいなと思い、時間もあるので、チョット寄り道を。

ところががですね、やはり土地を知った方の案内がいるもので、いつの間にか、「島原市指定文化財 礫石原環状石組遺構」に出てしまいました。この遺構も一度は見たいと思っていたのですが、道以外は一面の雪。遺構も写真の通りで、何がなにやら分かりません。

看板を張っておきますから、クリックすると少しは大きくなると思いますので、お読みください。


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で、ついでに、「フラワー公園」に寄って見ましたが、この時期、しかも雪が積もっている中、お花なんか見えません。考えればすぐに分かるのですが、バカな私。

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大黒様の後ろに、何か変な鳥が飛んでいましたが、何という鳥でしょう?ご覧になりたい方は、足を運んでください。

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時間を見ると、ちょうどお昼時。どこにしようかと、車を走らせていたら、以前入ったところがあったので、寄って見ました。普通の食堂ではなく、地場産品等売ってありますが、どちらかというと健康志向の品物が多いですね。

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室内も意外とゆったりして、窓から見える畑、向こうに有明海が眺められます。本当は、もっと良い風景なのですが・・・

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ここ、昔はシシカバブが売り物だった(はずだった)のですが、メニューはまったく変わってました。サラダは食べ放題で、これだけドレッシングがあると迷いますね。

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頼んだのが、「チキンオーバーライス」野菜ばかりだと思ったら・・・・

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ちゃんとターメーリックライスが隠れていました。もちろん、チキンも入っていました。

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食後のコーヒーですが、最近はブラックの方が多いようで、一昔前は、お年寄りの方は5,6杯の砂糖を入れていたのですが・・・私も、「お姉さん、シュガーステックあと3本」と、血糖を気にしながら。苦いコーヒーなんて飲めるもんじゃない。

で、ミルクをたっぷり入れましたが、これは、ミルク占いをするためで、「今年も、もてない」とでました。


2018年1月11日 (木)

「雪の日の病院」

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今日は、心臓手術の半年観察。

朝から雪が降っていて大丈夫かな、と思っていたら、やはり長崎の人間、雪の日はなれていないのか、のろのろ運転。予約時間ギリギリに到着。患者さんが少ないかと思ったら、いつも通り。

前にも書いたように、ここには、ギャラリーがあり、上手な方、それなりの方、いろいろありますが、いつも覗いていくのが楽しみですが、今日は壁だけで、面壁九年とやらで、しばし壁を眺めていましたが、あまり面白くありませんね。

で、屋上は除いてここが最上階になりますから、雪景色でも。一緒に。

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いま、病院では患者さんの心をやわらげるためか、あちらこちらに絵を掲げています。しばし、鑑賞。

左はよく分かりませんが、右は諫早湾のシチメンソウですね。


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右は、私がしばらく彼女と住んでいたモンマルトル、と言うことはないか。

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そうするうちに、雪が段々激しくなり、これ帰れるかな?

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と思っていたら、少し小降りになり、無事家に到着。でもって、明日の朝からも、1時間ばかりかけてまた別の病院に行かなければならないのですが、雪が降らないのを祈るばかりです。


 

2018年1月10日 (水)

石作り本殿「野田神社」~雲仙市千々石町

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野田地区の産土神、野田神社。

先日、拝殿を改築したと言うことで、ちょっと見に行きました。
ほんと、イヤですね、この階段。神社は階段があるところが多いので、歳の身はこたえます。

本殿を見て驚きました。石造り。以前紹介した、高来町の湯江神社も石作りで、こちらは、それより小ぶりでしたが、石造りは石造り。


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屋根ももちろん石作り。
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境内に2本標柱がたっていますが。

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大きいのには、「拝殿改築記念」。昭和30年竣工。古いのには、「神殿奉築(?)」。明治19年。

ですから、神殿は明治19年の造営になります。西暦1886年。132年前に作られたことになります。多分。


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拝殿と本殿を繋ぐ通路ですが、煉瓦造りです。残念ながら、明治のものか、昭和のものかは分かりません。以前は窓というか、風通しの穴はそのままでしたが、いまは、プラスチックで覆われていましたが、なんとなく、この十字型気になりますね。隠れキリシタンとは、まったく関係ありません、

少し下の所に、石祠があり、「神社」としか彫ってありませんでした。


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で、思い出して、明治2年の神社明細帳調べを調べると、「但 勧請年歴不詳 本称熊野権現明治二己巳年旧島原藩改社号祭日十一月一日。」ですから、明治2年に「熊野権現」から「野田神社」に変わったことがわかります。

明治時代まで、神社とお寺と一緒の神仏習合の時代がありましたが、明治になり、神社とお寺ははっきり分かれました。神仏分離です。

「深溝世紀(島原藩正式記録)」、に次のように書いてあります。

「神仏混淆を禁じ、別当・社僧をして髪を蓄え、烏帽(風折)・浄衣を服し、神主、社人と転称せしむ。」「中古以来某権現・牛頭天王等の類甚だ多し。その他仏像を以て神体を為し、本地の説を唱えて祠頭に仏具を並ぶるは、自令之を禁ず」。

ということで、この神社の本来の名前、「熊野権現」は「野田神社」に変わっていくわけです。なお、「温泉神社」も元来は「四面宮」。愛野町の「日枝神社」も元来の名前は「山王社」です。

さて、神社の鳥居の扁額には「野田神社」と刻まれていますが、「熊野権現」の名残がないかと思ったら、ありました。

階段の下、〇印のところ。

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上の「熊」の字が割れて無くなって「大」が入って、「権」が読めますから、本来は、「熊野大権現」でしょう。


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階段がきついですが、神社にしては変わった神社です。

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暇はあるが金はない、という方、お近くの小さな神社でもお立ち寄りください。なにか、面白いものに出会うかもしれません。お参りしてくれば、ご利益もあります。


2018年1月 7日 (日)

「鬼火焚き」&「七草がゆ」&「三社参り」~雲仙市千々石町

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「鬼火」、「おんび」、「おんの骨」、「左義長」、「どんど」・・・地方によって呼び方はいろいろあるそうですが、「古くは三毬杖とも書いた。毬杖(ぎちょう)とは祝いの棒の一種で、本来は三つの竹または木を結んで三脚にして立てたもの。・・・」、と後の説明が長いので、詳しく知りたい方は「山本健吉 基本季語五〇〇選」をお読みください。

朝起きてみたら、3,4か所煙が上がっていて、しめ縄を外し、いつもの所に、「一緒に良いですか?」と燃やしてもらいました。

昔は子供会が中心でしたが、昨年は1名。今年も少なかったのですが、段々と小さい子どもがやってきました。

いいですね。左が、かんぼこにウィンナーソーセージ、ソーセージは小さい子用。真ん中の鍋は多分、ぜんざい、右はお餅。お餅は、レンジでチンしたり、ガスで焼くより、熾火がいちばん。 

ここで、時間を見たら、9時30分。で、橘神社での、「七草がゆ」の振る舞いが10時からあり、食いっぱぐれてはと、一目散。

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いつものように見本がおいてあり、「せり、なずな、ごぎょう、はこべら、はとけのざ、すずな、すずしろ」、なんて言っても、若い方なかなか知りませんね。胡蝶蘭とか、スイトピーとか、シクラメンとか、ガーディニングにつかう花は良く知っているようですが・・・・こうして置いてあると、よく分かりますね。

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いつもの神社でとれた、無農薬、無肥料、減塩の梅干し。七草がゆにピッタリです。

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で、着いたのが9時40分。もう始まっていて、慌てて行列に並び、ありつきました。

おばさんが、お盆に4人分持っていって、連れはいないようなので、4人分食べるのかしらと思っていたら、タッパーを取り出して、その中に3人分入れ、あと一つは自分で食べていましたが、多分3人分は家族に持って行くのでしょう。女の方も歳をとると図太くなりますね。ウチのカミサンもですが・・・・

日曜日で人が多いかと思ったら、意外と10時過ぎても、ふるまいがあっていました。はやり、大鍋で作るのは、家の小鍋で作るのとは味が違いますね。アツアツをフーフーしながら、おいしゅうございました。で、ここでお参り、一社目。

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ここから、5分ほどで、産土神の「天満宮」があるので、行ってみたら、誰もいなく、まあ、とにかく、お参りをして、二社目。

次に町の氏神様「温泉神社」。
すっかりかたづけてありましたが、丸いのは「茅の輪くぐり」に使う芯の部分。竹の部分は、何となく可愛いデスね。と言うことで、ここでお参りして、三社目。

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今年も鬼火でしめ縄を燓いてもらい、七草粥を食べ、三社参りを無事終わりました。

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ウチのカミサンは、私と一緒に出かけるのが嫌いなので、帰りがけ、「七草セット」を買ってきました。JR佐賀のものですが、この優しい心遣い。
でも、神社の大鍋で作った、七草かゆがおいしかったな happy01

2018年1月 5日 (金)

愛野町「首塚」について~雲仙市愛野町

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         (「雲仙の文化財」の写真より)

愛野町(あいのまち、です。あいのちょう、ではありません)の首塚です。
コメントをいただき、前回書き忘れたことがあるので、少し書いてみます。

長い間、島原・天草の乱のとき、討ち取った首の3分の1をここに埋めたと言うことですが、埋めたのは天草の富岡、有馬、長崎の西坂(26聖人の処刑された所)あたりではないかと言われています。

だた、富岡ははっきりしていますが、有馬、長崎については、「じゃないか」と言うことで、はっきりした場所は特定できておりません。

このことについては→こちらをクリック に少し書いていますので、ご覧を。

宝永四年、島原藩松平忠雄公のとき、島原半島各村の石高、人数、お寺、神社、村内の鉄砲の数、村の様子などが書かれた「島原大概様子書」があり、その後たびたび書き直されたそうですが、「会津村(現雲仙市愛野町)」の所に次のように書いてあります。

「首塚壱ヶ所有馬一揆(注;島原・天草の乱)之節切支丹之首三千余埋めし塚と申伝ふ。」

これが後年までひびき、「長崎ネット」、「じゃらんnet」等々にも堂々と、島原の乱のおり云々と現在も書いてありますので、ご注意を。真っ赤なウソです。

ただ、どうして上のような話になったのかは、残念ながら、文書(もんじょ)としては残っていません。


2018年1月 3日 (水)

「昭和天皇物語」~能條純一作画★半藤一利著★永福一成脚本★志波秀𡧃監修


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「昭和天皇物語」は、「ビッグコミックス」にも連載されていますが、週刊誌はリサイクルに出すので、とっておけません。

いつもの本屋さんで、ひょっと見ると単行本になっていたので、買ってきました。作画の能條純一さんは、「月をさすゆび」、「月下の棋士」あたりからファンになっていたのですが・・・

私、母から叱られながら、マンガを読んで、60数年。やはり、マンガの命は絵の線。といっても、分からない方にはわからないでしょうが・・・今のマンガの絵の線、どうにも好きになりません。

「昭和天皇物語」は、終戦後、マッカーサーに会うところから始まりますが、今のところ、まだ、少年時代の所です。これから、戦争に突入する寸前の所ですが、どう描かれるか楽しみです。

近年、戦争責任について、昭和天皇、政府を責める意見が多いようですが、政府の意見をそのまま、「大本営発表」として、垂れ流しに報道したのはのは誰でしょう。また、それをそのまま受け入れ、少しまじめな本を読んでいると、「赤」と非難し、憲兵に売ったのは誰でしょう。

私自体は、学生時代、フォークゲリラ、反安保、大学紛争時代で、ビラ配りもし、石も投げ、スクラムも組んで、催涙弾も撃ち込まれました。私の立場は、是は是、非は非です。

戦後、政府、官僚がどんなことをしたのかは、皆さんのご存じの通りです。今回の選挙にしても、その後の動きー医療費の値上げ、税金の値上げ、外国旅行者に対して1,000円徴収するって何でしょう。NHKのワンセグ視聴も料金を取られそうです。スマホ持っている、あなた!今すぐ、捨てなさい。NHKから請求書来ますよ。つねに、世の流れを見ていくこと、声を上げる事が必要だと思います。

さて、このブログも5年ばかり続きましたが、前にも書いたとおり、橘樹中佐の銅像を見て、「このおじさん、誰?」とか、地元の氏神様、「温泉神社」について、「温泉が湧いっとった」とか、今年は、「おじちゃん、有馬晴信って誰?」とか聞かれまして、絶望でした。北海道の方まで、知ってくれとは言いませんが・・・

聞いた子は、30半ばですが、頭は良く、長崎の某国立大学をトップで入学し、入学生代表で、「挨拶のことば」を読んだ子です。

歳を取った方と話をしても、意外と知らない人が多いんですね。若い人と話をしていると、興味を持っている方もあり、歴史講座なども少しばかり若い方の姿を見るようになりました。

で、私の知っていることを、1~2年かけて小冊子でも書ければと思います。やさしく、少し深くですが。ということで、今年はブログを書く回数が減るかと思いますが  o(_ _)oペコッ

さて、実は私は地元の人間でもなく、知らないことも多く、そこは、郷土史家の方、おじいちゃん、おばあちゃんにでも聞きながら、勉強をしながら、まとめてみようと思いますが、多分、間違いだらけになるでしょうから、冊子の題は、「知ったかぶり、ちぢわ」にしようかと思っているところです。体力と気力と記憶が心配ですが・・・・




2018年1月 1日 (月)

2018 「一日早いスーパームーン」


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スーパームーンですね。一日早いですけど。

今年は、はやばやと1月2日に見られるそうです。一番きれいに見えるのが、17時~18時頃ですが、まだ、少し明るいですね。11時24分に満月になるそうです。

スーパームーンについての定義は、はっきりしていないみたいですが、まあ、大きな月がきれいに見えるなら、良いでしょう。

で、明日の天気は晴天みたいですが、カミサンの気分と一緒で、いつ変わるのか分からないので、今日、キレイなうちに写真を撮りました。いつもの1万円のデジカメで撮りましたが、意外ときれいに撮れますね。

が、寒かった。ひとりで見るもんじゃないですね。

「今日、スーパームーンだけど、見に行かない。」と一緒に行きましょう。それで、寒いから肩に手でも回してですね・・・昔が懐かしい。



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