2022年7月 6日 (水)

血糖が気になったので・・・

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十数年前、あわや糖尿病になりかかった事があります。医者曰く「もう一歩で立派な糖尿病です。」

努力の甲斐あって、なんとか正常になりましたが、最近また血糖が上がり気味になってきました。


主治医さんの所で、毎月一回血糖の検査をしても思わしくなく、ということで、日常的に血糖を図って対策がとれないか調べていたら、このような器具がありました。


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上のような器具を使って、下のようにセンサーを腕に貼り付けます。センサーの中には電池らしきものが入っていて、2週間貼りっぱなしで血糖が図れます。上の右の写真で分かるとおり、針らしきもの(フニャフニャしたもの)が付いています。これが、皮膚の中に少し入るので、少しビビりましたが2週間なんともありませんでした。

あとは、このセンサーにスマホ(無料のAPPを利用)を近づけると、血糖値が測れます。


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下のように、数値がやグラフやらで示されます。

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血を出して計るわけでは無いので、一日に何回でも計れます。

詳しくはYouTubeなどで実際に測った方が投稿をしていますが、個人個人の差があるのが分かります。


蕎麦を食べて血糖値がビックリするほど上がる方、そうでもない方、また、蕎麦だけを食べるより、天ぷら蕎麦など他の食材を食べた方が血糖値は上がらないそうです。


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ワタシの場合、平均的な感じで、食事前の血糖は低く、食事をした後は段々上がり、次の食事前まで段々と下がる。ただ、暑いので、アイスなどを食べた後はかなり上がりました。また、炭水化物を沢山食べたときは、血糖値は下がりにくい傾向でした。

ということで、大体の傾向は分かったので、後は対策を考え、実行するだけです。傾向と対策、受験参考書にもありましたが(^^ )。


さて、上の器具、有効だということが分かりましたが、残念な事に、高い。1個で7千円弱。Amazonだと1個売りはなく、2個売りばかり。


ただ、糖尿病、透析などの事を考えれば、人間ドック、脳ドッグと同じで、高額であっても予防”薬”と考えれば良いかと。なお、ワタシの場合はiPhoneで計測ができましたが、Android関係では不明です。計測の器具はありますが、5000円位です。


この2週間で大体の傾向が分かったので、現在、甘いもの、炭水化物などは注意をして生活をしています。器具がもう一つあるので、3ヶ月ばかりしてもう一度計り直し、効果があったのかを調べたいと思っています。


上の本は少し前に読んだ本で、今回の血糖値を考える上でも参考になりました。使った器具についてはYouTubeなどでも動画が流れています。使う前には必ず見て参考にされた方が良いかと思います。


以上はワタシの個人的な感想で、使用される場合は自己責任で。

忘れていました。この器具で測れるのは正確には「グルコース」だそうです。説明によると。

「血管を流れる血液中のグルコースの濃度が『血糖値』であり、血糖値と間質液中のグルコース値の間には、高い相関関係があることが証明されています。」という事です。

2022年7月 2日 (土)

衝撃のチラシ!!

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いつもは7月1日~9月末までが営業。コロナの影響で2年間の休業。
今年は各地のイベントも復活していたので期待していたのですが・・・嗚呼~衝撃のチラシでした( 。-_-。)

2022年7月 1日 (金)

雲仙「温泉神社二ノ鳥居」について②

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昨日、雲仙の温泉神社の二ノ鳥居について書きましたが、少し気になって「肥前國髙來郡温泉山の圖」を調べて見ました。

この図については、「しまばらふるさと再発見」で松平文庫長根井浄先生が「江戸時代の地獄は満妙寺一乗院が案内権を持っており、いろいろな説話が語れていました。」と語られ、確か先生の以前のお話しでは、その折り、この絵図で説明をしていたとのことでした。いわば、観光パンフレットですね。

現在、数冊の本で印刷物が紹介をされています。比べてみて違いは見受けられますが、基本同じです。なお、本物は版木で摺ったものです。


下は「雲仙お山の情報館」所蔵のものですが、片面が「雲仙國立公園決定紀念祝賀 島原郷土史料展覽會」となっていて、絵図は版木の印刷ではなく、いずれかの絵図の模写だと思われます。


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  (雲仙お山の情報館所蔵)

下が温泉神社あたりを拡大したもの。


一番右が鎮守四面大明神。ご本尊様。その左が拝殿。


赤の矢印が鳥居。二つ鳥居があるのが分かります。右の鳥居は多分両部鳥居。両部鳥居は近くには無いので、ググってみると木製が多いようです。


さて、安政7年(1776)島原藩に提出された一乗院(満妙寺)の書上帳があり、これについて「嶽南風土記 有家町史談第4号・有家町史談会刊」に根井浄先生が「江戸時代の雲仙(温泉)・普賢岳・妙見山ー史料『温泉山起立書』の翻刻と紹介ー」という事で書かれています。


この中に、温泉神社の面積、寸法等が書かれていますが、鳥居について下記のようにかかれています。


⑤本社石壇下より石鳥居まで堅拾六間横九間 此反別四畝廿四歩

⑦木鳥居より石鳥居まで堅拾九間横貮間 この反別所壹畝九歩
⑩石壇木鳥居下
⑪石壇石鳥居下
⑫木鳥居 一 石鳥居

という事で、元来温泉神社には木の鳥居と石の鳥居があったことが分かります。


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前に書いたように、現在の二の鳥居についてまとめてみると下記のようになります。

一 1695年(元禄八年) 建立

二 1778年(安政七年) 温泉山起立書 木製と石製の二基の鳥居の記述
三 1792年(寛政四年) 雲仙岳大噴火により鳥居倒壊(あくまで推測です)
四 1851年(嘉永四年) 石鳥居のみ再建

この絵図については、1695年~1792年の雲仙の地獄の風景だといえると思います。
絵図に描いてある両部鳥居、これも現代再建できれば面白いと思うのですが。

2022年6月24日 (金)

雲仙「温泉神社二の鳥居」について①

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    (左はGoogleEarthより)

仙の温泉神社には三つの鳥居があります。

一ノ鳥居は明治33年、温泉神社1200年祭の時建立されたもの。


一つ飛んで、三ノ鳥居は昭和60年に建立。


問題の二ノ鳥居です。最後に「温泉山」と書いてあります。昔は雲仙を温泉山ともいっていました。


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左の柱、「元禄八乙亥年九月吉日」と書いてあります。元禄八年は1695年。

柱の横をヒョイとみると、文字が彫ってあるので見ると「嘉永四年辛亥八月再建」。嘉永四年は1851年。

「再建」とあるので、一度倒れて再び建てたと言うことになります。何故倒れたかですが、天正8年、有馬晴信により領内の寺社が破壊されています。ただ、天正8年というと1580年なので建立の1695年とは時代的に関係なし。

ということで考えると、雲仙の江戸時代には寛永4年の(1792)の大噴火がありました。

1695年建立→1792年倒壊→1851年再建と考えればピッタリな感じがします。あくまで私見ですが。


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二ノ鳥居には額がありません。ということで探してみたら、入口の所にありました。かなり破損しているので、多分、落ちたものだと思われます。

「四面社」(一般的には「四面宮」)と書いてあります。多少、自信がありません(^^ )。


温泉神社は最初「四面宮」、明治2年の神社改正により「筑紫國魂神社」、大正4年に「温泉神社」。


なお、一の鳥居が建立された元禄八年が気になったので、湯けむりの記憶(雲仙国立公園年表・雲仙国立センター運営協議会刊)を調べて見たら元禄六年(1693)の所に「島原藩主松平忠房・・・一乗院満妙寺、四面宮を改築し以後藩主松平家の親祭となる。」とあるので、多分この折り、二の鳥居が建立されたものだと思われます。


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下は雲仙の札の原バス停近くにある片足鳥居。こちらが昔の一の鳥居だと説明したものもありますが、柱には文政10年(1827)とあるので温泉神社の二ノ鳥居より新しいものです。額は「四面社」。「四」は異体字。

現在、最初の鳥居が一ノ鳥居といっているので、一ノ鳥でかまわないか・・・・。

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下は千々石の温泉神社にある昔の額。左は最初の字が欠けていますが、普通に「四面宮」。右は同じですが、「四」の字が異体字で、雲仙の片足鳥居の字と一緒です。

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調べると、まだ面白い所があるのですが、また後日。


参考文献
「修験道とキリシタン」根井浄箸

「嶽南風土記 有家史談第4号」有家史談会
「山岳修験 第30号」日本山岳修験学会刊
「湯けむりの記憶 雲仙国立公園年表」雲仙公園ビジターセンター運営委員会
「おばま 史跡巡りガイド」小浜町・小浜町教育委員会



2022年6月18日 (土)

「走れメロス」の走る速度

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先日、YouTubeを見ていたら、安住アナが母校で特別授業をしていました。テーマは「メロスが走った速度」。

メロスの走った速度については、2014年理数教育研究所の「第1回 算数・数学の自由研究」で中学2年生が最最優秀賞を受賞し、報道がされた覚えがあります。

中学生の研究をザックリ書くと・・・・


メロスは10里約39㎞を走っているわけですが、小説から10時間で到着と推察。これから計算して時速3.9㎞と計算。途中の山賊との闘いがあるので、ラストスパートが5.3㎞と算出しています。


マラソンの場合は、一般男性が4時間30分。平均時速は9㎞。ということで、「最後は死力」で走ったけれど「速歩」程度だったと言うことです。「今回調べてみて、メロスはまったく全力で走っていないことが分かった」と結論づけられた、そうです。


感想として「『走れメロス』というタイトルは『走れよメロス』のほうがあっているなと思いました」だそうです。


なお、詳しくは→走れよメロス


さて、安住アナの場合は「柳田理科雄先生」の説を紹介しています。


柳田理科雄先生はメロスの走る速さを、ラストスパートの所「少しずつ沈んでゆく太陽の、十倍も早く走った。」を基礎に考えます。即ち、沈んでゆく太陽の十倍の早さはどれくらいか。


舞台のイタリアのシラクスは北緯37度。地面は時速1,300㎞で西から東へ動いています。この10倍の速さで走っているので、メロスの走る速度は時速1万3000㎞。気温15℃のとき音速は、秒速340m=時速1224㎞。で、メロスの走る速度はマッハ11。ライフルの玉の速度がマッハ3なので、メロスの方が早い。


安住アナはこれに引き続き、マッハ11の衝撃波は大きく、周囲2㎞のガラスは割れる。結論として「走るなよメロス」。

詳しくは→ 走るなメロス
安住アナ→こちらをクリック

 

2022年6月14日 (火)

「肥前國南高来郡三拾三箇村之図」~えんがわ・一畳のきまぐれ資料館

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ゆで野菜の「マルニ」さんの野菜加工場の母屋(名称:えんがわ)の一畳ばかりを借りて、何気に始めた資料館も今回で11回を迎えました。

今回は「肥前國南高来郡三拾三箇村之圖」の展示です。いつもと違って、今回は床の間をお借りしました。


島原藩の島原藩領は佐賀藩の神代、伊古、古部をのぞき、松平忠房公により、33の村に定められました。この時代の島原藩の絵図になります。詳しくは、チラシをクリックすると拡大するのでご覧下さい。


本物は旧家にありますが、展示品はこの複製になります。複製なので、字がボケて読みにくいのですが、当時の姿が楽しめるかと思います。


いつもの所には「肥前長崎之圖」を展示しています。


右はマルニさんで作っている「梅の甘露煮」。梅を一つ、氷を入れて無糖の炭酸を加えましたが、ほんのりとした甘さで夏にピッタリです。

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なお、大家さんのマルニさんが営業などで留守の時はご容赦をm(_ _)m。


2022年6月10日 (金)

昭和11年「名勝雲仙登山・案内解説」~雲仙小濱自動車株式會社発行③

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いよいよ、雲仙小濱自動車(株)の雲仙案内も最終回です。

各種案内書には旅館等の宣伝が載せてあります。雲仙、小浜については旅館の変遷が多いのですが、場所、開業していた時期など不明なところが多いといえます。


場所については、旅館のパンフレットには当時の略図がも載せてあり、これと照合すると旅館についての情報が得られます。ほとんど、マニアの世界になりますが(^_^)。


この案内について、非常に面白い所があるのですが、個々についてはいずれ紹介をします.


略図は昭和13年当時のもの、雲仙案内は昭和11年で、ほぼ同じ時期になります。

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2022年6月 6日 (月)

昭和11年「名勝雲仙登山・案内解説」~雲仙小濱自動車株式會社発行②

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先日の昭和11年の雲仙案内の続きです。

バスガイドさんの案内の中で「すぐに真正面の上のルネッサンス式石造りの大建築は・・・長崎県庁で御座います。」の長崎県庁が上の写真です。原爆の被害に遭い作り替えられましたが、昔の方がご立派。残っていたなら国宝級。


下の左は愛野無線局の昔の風景で、確か鉄塔が建っていた記憶があります。愛野無線局が無くなった後「日本赤外線工業株式会社長崎事業所」になって、その後、敷地内に老人保健施設ができています。右の赤丸が門ですが、会社名の表札は会社の名前がそのままにしてあります。

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右の海が橘湾、向こうの山が釜山、遠くに霞んでいるのが雲仙岳。場所は愛野の展望所みたいなのです。バスは雲仙小浜自動車(株)。

右は一時「日本で一番で小さい」と言われた発電所。確か、バスガイドさんも説明をしていました。千々石の第3発電所。島原半島では千々石に一番初めての発電所ができました。お年寄りのなかには、あかりがついた電球にタバコを押しつけた、という笑い話も残っているそうです。


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左は駕籠立て場の展望所。駕籠立て場には無駄に広い駐車スペースがありますが、この場所は、お殿様が風景を楽しんだ、といわれる場所だと思うのですが、現在は立木で見えなくなっています。

右は「島原道」とあるので、島原からの道路です。昭和11年にはこのような道です。いまは立派な道ですが。


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2022年6月 3日 (金)

2022/06/03「大村公園花菖蒲」

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TVなどで大村公園の花菖蒲が満開ということで出かけてみました。

定番の場所での撮影。ここが、一番絵になります。

開花がネットでは満開、入口は7部咲きになっていましたが、部分満開、部分7部咲き、部分??咲き。

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この花菖蒲園には多種の花菖蒲が植えられています。花菖蒲の品種などが書いてありますが、江戸菖蒲、肥後菖蒲の違いなど知っていると、見方が違い面白いと思います。

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一番最初の写真の板敷櫓(ここの地名が板敷)の裏側というより、こちらが入口。石落としなどもあるのですが、コロナのために閉鎖。

お城は簡単には攻め落とせないように通路が入り組んでいて実感できます。

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他にもイロイロあるのですが、花菖蒲だけではなく、お城も楽しいんでもらいたいのです・・・

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石垣に鏨の跡がありました。石垣が新しく積み直されたものがあるとかで、多分新しいものだと思われます。

右は穴門で、ワタシが好きな場所なのですが、こんな所にトイレなど作るなよ!!!~バカヤロウ~ですね。

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お土産は、定番の「大村寿司」。創業延宝7年創業の「へこはずし」。お殿様があまりのおいしさに「へこ」が外れているのに気がつかなかったとの由来。

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忘れていました。このお城「大村城」ではなく「玖島城」です。


2022年5月30日 (月)

昭和11年「名勝雲仙登山・案内解説」~雲仙小濱自動車株式會社発行①

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この案内書の発行が昭和11年9月30日。雲仙が国立公園に指定されたのが昭和9年3月15日なので、この案内書は国立公園に指定された直後のものです。なお、案内書は元来バスガールの車内案内用の文なのですが、それを纏めて冊子にし、数十枚の写真を添えたものだそうです。

読んで見ると「皆さま、すぐに真正面の上に見えますルネッサンス式石造りの大建築は、・・・長崎県庁で御座います。」のように案内口調で書いてあります。写真が多いので2回くらいに分けて主なものを紹介をします。


雲仙小濱自動車會社は、明治45年6月25日に端を発したそうですが、下のように書いてあります。


明治45年の初夏、その頃珍しい自動車を以て雲仙に登山した外人が、車台に故障を生じ乗捨てたのを利用して、九州でも最初と言っても好い乗り合いバスの営業にかかったのが、我が雲仙小濱自動車ある。


なお、昭和11年頃に大型バス41台、タクシー15台というので、当時としてはかなり大きな会社。


左が小浜町の本社、右が雲仙出張所、良い建物です。


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左は小浜~雲仙の登山口。右は「深江供用林道起点」とあるので島原からの道路。どちらも未舗装。

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雲仙国立公園の入り口だと思いますが、場所は不明。

右は長崎市内、諏訪神社の入口。バスの左後方が鳥居。昭和11年頃の風景です。写っているバスも雲仙小濱自動車のものだと思うのですが。


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2022年5月26日 (木)

北大路魯山人の「納豆の茶漬け」

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料理が好きなので、ネットでイロイロと調べていたら「納豆の茶漬け」というのを見ました。ゲテモノかと思っていたら「魯山人の」という文字があったので、それなら試してみようかと。

魯山人の書いたものに「納豆の茶漬け」というのをあるので、それを参考に試作してみました。以下は「納豆の茶漬け」より要点だけを書きました。


納豆の拵え方、ねり方ですが、最初は何も加えず二本の箸でよく混ぜる。納豆の糸が多くなり、かたくて練りにくくなる。糸を出せば出すほど美味しくなる。極力ねりかえす。


次に、醤油を数滴落としてまた練る。醤油は最初からは入れない。これを繰り返す。


糸の姿が無くなり、ドロドロになった納豆に辛子を入れて良く攪拌。好みによって薬味(ねぎのみじん切り)を少々混和。


なお、何回練るかが問題なのですが、魯山人は何も書いていません。一説によると424回というのがありますが、実験した方によると400回くらいということですが、おもちゃのメーカーでも納豆を攪拌する道具を売っていて、Amazonでも買えますがレビューを読んで見ると、あとの始末が大変だそうです。


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後は茶碗に熱飯を少量盛った上へ、納豆の量は飯の四分の一程度。少な過ぎては味が悪く、多すぎては口の中でうるさいということだそうです。

なお、味が薄ければ醤油を加える。ということですが、最初から茶漬けにするなら、醤油を余計に混ぜておく。化学調味料は好ましくない。


丁度、静岡のお茶屋さんの娘さんから、いいお茶をもらっていたのですが、良いお茶過ぎて茶葉をケチりました。やはり、お茶の味を楽しむためには茶葉はケチらないように。


なお納豆の量は写真より多少多めが良いかと思います。味も納豆を混ぜるとき、多少濃いかなという方が良いかと思います。


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「納豆の茶漬け」の詳しい作り方は、青空文庫、Kindleでロハで読む事ができますが、下の本にも載っています。食通を自慢するなら一読の書です。

さて、皆さんが作ってみて「マズイ」と思われたなら、作り方が間違っているのです。なにせ、あの魯山人がマズイ物を紹介するわけが無いからです。


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2022年5月22日 (日)

雲仙の原生沼の名称について

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南高来郡長金井俊行氏の「温泉案内記」(明治26年)に「原生沼」について次のように書いてありました。

釈迦堂前二杜若草ノ繁茂セル沼アリ深クシテ其底量ルへカラスト蓋シ往古噴火ノ跡ナルへシ其杜若草ハ葉短ク色濃ニシテ見事ナリ


「原生沼」の名称は書かれてなく、「釈迦堂」「杜若」というと「原生沼」しかないのですが・・・杉村廣太郞氏「温泉嶽を繞りて」(大正13年)には・・・

・・・そして其丘陵の外れに沼澤池があり、數百株の杜若が植ゑこまれてあって・・・


「杜若」「沼澤池」というと「原生沼」しかありません。上の絵葉書には「杜若満花ノ景」とあります。


原生沼の横にはテニスコートがあり、上の写真の赤丸の建物、下の写真のテニスコートの建物で、上の写真は「原生沼」に間違いはありません。


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下の写真に至り「原生沼」の名称が出てきます。スタンプに「国立公園」の文字が見え、国立公園に指定されたのは昭和9年なので、「14.10.29」は昭和14年のスタンプになります。

調べて見ると雲仙が国立公園に指定される前、昭和3年3月1日に原生沼は「原生沼沼野植物群落(げんせいぬましょうやしょくぶつぶんらく)」として「史跡名勝天然記念物」の国の指定を受けています。


ということを考えれば、国の指定を受ける前は原生沼の名称は無く、指定後に「原生沼」の名称になったのではないかと考えるのですが。


なお、金井郡長の「南高来郡町村要覧」(明治26年)には上記と同じような文章で「釈迦堂池」としてありましたが、「釈迦堂池」の名称は他の史料などには見当たらず詳細は不明です。



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2022年5月18日 (水)

旬のものをいただく

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旬のものを食べるということが大切だ、ということが最近にいたり実感として感じられるようになりました。

旬の物は体に良いとか、長生きできるとか言いますが、それより、来年は食べる事ができないかもしれないという事です。

歳をとるにつれ、御文書の「今日ともしらず明日ともしらず」という言葉が身に沁みるようになりました。

さて、枝豆と空豆の朝取が地場産の売り場にあったので買ってきました。馬鈴薯は親戚の農家から堀たてをいただきました。「アイマサリ」という品種です。父は「愛系158」、母は「アイユタカ」。2017年に出願公売で、新しい品種です。


枝豆は砂糖、醤油、みりんで味付け、最後にバターを少しばかり加えました。空豆は単純に塩味。


馬鈴薯はいただくときに、味は今までで一番旨いが傷むのが早いので、早めに食べてくれということでしたが、確かに食べてみて美味しかった。少し多めに作り、食べるとき新タマネギ、ピクルス、枝豆等々を入れながら食しています。

実はワタクシ、ジャガイモが好きで、3度のメシよりジャガイモが好き、食前食後ジャガイモという人間なのですが、オクサマがジャガイモが好みでは無く困っています。

本当の酒飲みは、肴を眺めながら酒を飲むそうですが、ワタシはドクターストップなので、酒を見ながら肴を楽しんでおります。後ろに写っているのは「レモンハートデメララ 75.5%」。古谷三敏さんのマンガ「BARレモン・ハート」のレモンハートです。



2022年5月13日 (金)

チャーカゴ~雲仙市

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上の写真は「小浜町80周年記念誌」より。

車が通っていない時代、小浜~雲仙に行くのには徒歩、普通のカゴ、そしてチャーカゴがありました。で、これ小浜~雲仙の独自のものだと思ったら、他の地方にもありました。


左の絵葉書は裏にスタンプが押してあり、「1906」とあるので、明治39年以前の絵葉書。


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左は「宮ノ下箱根富士屋ホテル庭」との説明。

右の写真には「(チャ)チェヤーの変化せし言葉 外人好みて用う・・・」とあります。


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雲仙の場合は「チャーカゴ」言いますが、椅子の「チェアー」が訛ったものと思われます。

真似たのか、誰かが作って販売していたのか等考えられますがどうなんでしょう?


下は小浜~雲仙の途中、駕籠立場の駐車場に置かれたレプリカですが、椅子を丸太に括り付けただけで、上の写真とは違います。国立公園なので、キチンとした物を設置したらどうかと思うのですが。


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«2022「雲仙仁田峠のツツジ」~雲仙市

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