2021年9月21日 (火)

長崎県展を見に~久しぶりの長崎市

1_20210921185201 3_20210921185201

体調と自律神経の調子が悪く、久しく来ませんでしたが2~3年振りの長崎市でした。

美女で、若くて、スタイルが良く(というと、男女差別と怒られますが)、話しが面白く、といういう方から「県展に入選したから、一緒に見に行って~(^_^)v」と誘われたので、断るわけにはいかないじゃ~ありませんか(^o^)。

美術館も久しぶりでした。玄関の所に何やらあったので、これも現代美術か?と思ったら、コロナ対策のサーキュレーターでした。

机の上に塗り絵が置いてあって、子どもさんが並んでいたのですが、塗り絵はボケ防止に良いと新聞に書いてあったので、4枚ともいただいてきました。


5_20210921185301 7_20210921185301

誰も見向かないパンフレット、チラシ置き場。家の家訓に”只のものは全部貰っておく”と言うのがあるので、ありがたく全部いただいてきました。意外と面白いのもあります。あとで一つだけ紹介を。

「オークション」と書いてあるので、なにかと思ったら、本県在住の作家による県展の活性化、人材育成のためのオークションだそうです。ネットオークションは得意なので後で寄ることに。


9_20210921185301 11_20210921185401

県展は書道、洋画、日本画、写真、デザイン、工芸の部門があります。大きい作品が多いのが洋画。

13_20210921185401 15_20210921185401

左はチューブから絵の具を押し出してキャンバスに押しつけたもの、多分。アイデア賞ですね。
スマホでゲームをしているらしい少女。なんとも愉快な絵で、知事賞をあげたいくらいです。

17_20210921185501 19_20210921185601

この絵で県展入選なら私も出しみるかと、なぜかホッとする絵でした。。
右は入賞の絵をまとめて置いてありましたが、入選と入賞。紙一重ですが、はやり違いがあります。

23 21

出品数で多いのが書道と写真。写真を見ている方、女性の方が多いです。いろんな所に行ってみると、カメラを持った女性の方が目に付きます。お話に耳を傾けていると”ここんとこ、もっと引っ張ればよかったとに(良いのに)”とか、鋭いご批評。

25 27

定番の子どもを並べた写真。ただ、子どもを並べるだけでは他の人と同じ写真になるので、一ひねりが難しい。

29 31

右がデザインの部。「混呂波(コロナ)出陣之圖」「混呂波VS和久鎮(ワクチン)」で、長崎県知事賞の作品でした。

帰りがけ、オークション会場を見てきました。玄関に飾ってちょうど良いような作品で、お値段もリーズナブル。用紙に金額を書いて投票し、後で連絡が来るような感じでした。10月3日が〆切です。


33-2 33

美術館で見たいものがあり、こんな所にありました。以前、立山に美術博物館があった頃は、駐車場左側の石垣の上にありました。サルバドール・ダリのNewton de Gala。ダリは好きで、福岡でダリの美術展があったときは2回ほど見に行きました。あの、エネルギーには圧倒されました。この彫像、もう少し目立つところに置いて欲しいのですが。

35 337

昔は博物館と美術館が一緒で「県立美術博物館」でした。県の直営で職員も県職員。事務方の総務課が7名、学芸員が6名程度。6名で美術館、博物館の仕事をおこなってきました。現在は美術館、歴史博物館に分かれ指定管理になり、良い企画が立てられています。皆さんも、たまにはお越しを。

さて、2時間ほど見て回りましたが疲れました。長崎市ではコロナも流行しており、うつるのがイヤなので、美女と二人、サッサと何事も無く戻ってきました。

忘れる所でした。只でいただいたチラシです。

Img_20210921214001

すごいでしょう「イグ・ノーベル賞の世界展」です。

「バッタが映画『スターウォーズ』を見ているときに興奮することに対して」
「ガスマスクに変形できるブラジャー」
「フンコロガシは糞の好みにうるさい?」
「ニワトリは美人を好む?」
「不貞行為を検出できるスプレー」
「キツツキは頭痛がしないのか」

なんとも魅力的な世界展ですが、会場が福岡市科学館。11月3日までです。昔なら、飛んでいったところなのですが😢。



2021年9月18日 (土)

千々石ミゲル墓所調査プロジェクト報告~2021.9.18

Ktn

台風の影響で状況報告の日程変更があったみたいですが、遺骨の状況が判るのが16日になるという事で、この日、NCC文化放送のニュースで流れたそうです。なお「時間が経過すると上記のリンクから動画や記事が見られなく場合があります。」とあるので、放送をスクショしたが画面が上の写真です。12日の長崎新聞の写真よりハッキリしています。頭蓋骨もはっきりと判ります。

詳しくはNCCさんは→こちらをクリック

発掘プロジェクトは→こちらをクリック

なお、発掘プロジェクトのホームページでは第一次調査から今回の調査まで通しで見られ、特に前回の調査と比べれば面白いと思います。


今日、18日にも報告会がありましたが、これは多分お世話になった地元の方を主にした報告であったみたいです。


私が用事で行かれなかったので、知人から聞いた話を簡単に書いてみます。


ここには大きな墓碑が建っていましたが、土砂で流されたりしていたのが、今回の調査で最初の位置が判ったそうです。本来の位置は二つの墓の頭の所、真ん中あたりだそうです。お棺が埋められていたところは、適当では無く、計画的で最初から埋める場所を決めていたのではないかということで、その間、1メートルぐらいだそうです。この墓を作るには時間がかかるとのことです。

前回のお棺は長持ちを転用したものですが、今回は木棺だそうですがほとんど朽ちています。お棺の大きさは140✕40㎝。横を向き、膝を正座しているくらいまで曲げているとのことです。なお、前回は、ガラス玉などキリシタンの遺物を思わせる副葬品が出土しましたが、今回は何も出土しなかったとの事です。

なお、時間がかかるとは思いますが、詳しいことについては報告書が手に入るので、その折りにでも。


調査期間は10月8日までになっているので、お骨の下の方を多少発掘し、埋め戻しをするのかと思います。今回が最後の調査になり、今後は発掘調査はおこなわれません。

今後、遺骨の調査をし、諌早市に寄託するとのことです。「千々石ミゲル」だから、こちらに寄託して欲しいのですが、施設、人材とも不足ですね。



2021年9月15日 (水)

”ものさし”と”プーさん・ピグレットさん”と”駅のある風景”

Photo_20210914192901
(各写真はクリックするとハッキリ見えます)

小さいときから、勉強もしないくせに文房具が好きでした。無駄にアレコレ集め今でもその癖が直っていません。


Amazonを見ていたら、面白そうな定規があったので、入手してみました。


一つが、「歴史を見る物差しー日本史略年表ー」。高校の時、西洋史を取っていたので日本の歴史、特に年号がでてくるとさっぱりです。ところが、ここ数年郷土史に興味を持ち、古文書研究会に入ったのですが「1580年に・・・・」と言われたら、この定規を見ると、大体江戸に入る頃か、と分かり重宝しています。


願わくば、古文書関係は江戸期が多いので、江戸時代に特化した定規を作っていただければありがたいのですが。ついでに、昭和の所ですね。ワタシの誕生日も少しばかり・・・


Photo_20210914192902

下の定規ただならぬ感じで「京都大学」などと恭しくも書いてあり、何だと思ったら「素数ものさし」だそうです。

で、私、文系で理系はまったくダメで、と言うより数字にはまったく弱く、以下に書いていることは、間違っているかも、なので信じないように。なお、この件に関する、疑問、質問は受け付けませんので、コメント欄になにか書いてあってもシカトします。


さて、素数は1より大きい正の約数が1か自分のみの数字であるもので、例えば、3を割る数字は1か3しかありません。5,7なども一緒ですね。


Photo_20210914193001

この定規には簡単な説明が付いていました。「不便益システム研究所」と「京都大学サマーデザインスクール2012」の共同企画だそうです。

「不便益」とは、「不便の益」のことで、不便で良かった事、不便じゃ無くちゃダメな事だそうで、ホームページに事例が書いてあって・・・



私が子どもの頃、遠足のおやつは300円以内でした。もし、自由に好きなだけおやつを持ってきても良かったとしたら、どうでしょう?遠足前日に半日をつぶしてスーパーをうろつき、自分ならではの組み合わせを考え抜いたのは、今思えば楽しい思い出です。



なお、この「不便益」の詳しいことについては、下のQRコードを読み取って下さい(写真をクリックしてハッキリさせて下さい)。


さて、素数物差しの使い方ですが「24以下の自然数は「素数ものさし」のどこかに隠れている(不便益予想)、らしいのですが、よくわかりません。


Photo_20210914193003

一応、普通のものさしと、素数ものさしを比べてみました。普通のものさしは普通に数字が刻んであります。素数ものさしは2,3,5・・と素数の数字の所だけ字が刻んであります。なお、下の目盛りは多分”㎜”だと思います。

Photo_20210914193101

次に以下のように書いてあります。

6㎝は、11㎝と5㎝の間以外の所に2ヶ所、よく見ると更に19ヶ所、隠れています。


文意から、まず6㎝は、5(素数)㎝と11(素数)㎝の間にあります。当たり前ですが。


それ以外に2ヵ所あるということで、


一ヵ所は、7㎝と13㎝の間。もう一ヵ所は17㎝と11㎝との間。とは思いますが、合っているかどうかは不明。要するに、13ー7=6、17ー11=6では無いかと安直に思ったわけですが・・・定規は適当に並べています。

(今、改めて考えてみると、間違っているようです。書き直すのが面倒なので、そのままにしておきます。)


で更に読むと「よく見ると更に19ヶ所、隠れています。」は「㎜」の所を使うみたいです。


以上はYouTubeを参考にしてみました。

→こちらをクリック
→こちらをクリック


Photo_20210914193201 Photo_20210914193102

少し続きがあって、「25㎜は、イッパツでは測れません。ゴールドバッハ予想にお任せです」ということで、「ゴールドバッハ」をネットで検索をしてよんでみましたが、まったくお手上げでした。

あとは興味ある方で、楽しんで下さい。いつもの通り、わけが分からない話になりましたm(_ _)m。


Photo_20210914193002

話変わって、左は「プー」さんと「ピグレット」さん。いつもの通り、「食べられるのイヤダ!」というのを聞きながら、美味しくいただきました、

右は諫早駅の中に出来たスタバ、出来たときは行列がができていたみたいですが、平日の朝から行くとお客さんが少なく、経営は大丈夫でしょうか?という感じでした。


この席がいいですね。駅が見えて。駅というとなんとなく哀愁があって。歌にも映画にもよく駅がでてきます。別れの場面が多いみたいです。ボンヤリと30分ほど座っていました。
40年程前の駅での別れを思い出しながら・・・

Photo_20210915204201 Photo_20210915204202

なお、この席に初老(?)の怪しげな色男(言い方が、古いナ)が座っていたら、それは私です。35歳以下の女性の方、お声を掛けて下さい。


2021年9月12日 (日)

速報・千々石ミゲルの骨?~ネットニュースより&”Qookaiさん

Img_8575

千々石ミゲルの墓の発掘調査も段々と終わりに近づき、今日12日は発掘指導委員会の検討会と発表があったみたいで、その中で墓坑が見つかり、遺骨が発掘されたことが発表されたそうです。

夕方頃、ネットを調べると、速報という事で「47ニュース」の長崎版に記事が流れていました。→こちらをクリック


3次調査では右側を発掘し、遺骨と副葬品が発掘されましたが、今回は左側を調査していました。前回の遺骨は長持ちに入れられいましたが、今回は上の写真です。前回より簡素な気がします。副葬品は現在発掘されていないみたいですが、あと数日は調査をするようです。


とはいっても、これから骨の分析、副葬品が出土したらその分析、考察等もあり、まだまだ時間がかかりそうです。


なお、前回、遺構が発掘されたときちょうどワタシも見学をしていたのですが・・・→こちらをクリック


はやく、全貌が明らかになれば良いのですが。


コーヒーが切れたので、いつものnaiさんに行ったら、なんと人の多いこと。と思ったら、一番奥に”Qookai"というレストランを予定している方が何やら販売(テイクアウト)をしているみたいで「毎日営業ですか?」と尋ねたら「イベント的にやって」ます、との事でした。


多分、コロナの影響で開業のめどがたってないようでした。ローストビーフと枝豆・チーズのマリネを買ってきました。サンドイッチが美味しいとのことでしたが、蓮三さんからパンを買ってきたばかりなので、また、次回ですね。

”Qookai"は、多分「食うかい?」と「空海」を掛けた言葉だと思います。
しかし、諌早の皆様の情報の早いこと。


Img_3523 Img_3524


2021年9月 9日 (木)

コーヒーミル~楽しく挽こう

Photo_20210909195901

右はこの前紹介をした、カリタのミルで、ハンドルを外して下の棒状のものを付け替えると、電動式のミルになります。

左は、ポーレックス・Ⅱミニで、挽ける豆が大体20㌘程度。これ、歯の部分がセラミック。セラミックのものを使いたく、購入してみました。また、分解がしやすく、水で丸洗いできます。


もう一つ、コマンダンテというミルがあり、欲しいのですが、お値段が五万円弱。いつものnaiさんに行ったとき、「コマンダンテどう?」と聞いたら、「あれ、最高~。でも、五万円出すなら電動がマシですよ」とのお言葉でした。


さて、ミルを毎日挽いていると多少つらい。なんとか楽しくならないかと考えながら挽いていると、ラップらしき音楽がふと口をついてでてきました。「♬おいしい・コーヒー ♬ おいしい・コーヒー ♬おいしい・コーヒー・・・・・・」とやっているとなんとなく、気持ちよくなってきました。

これ、なんかのリズムに似ているなと考えたら、汽車の車輪のリズムでした。。「♬ガッタン・ゴットン ♬ガッタン・ゴットン  ♬おいしい・コーヒー ♬おいしい・コーヒー ♬ガッタン・ゴットン ♬ガッタン・ゴットン♬・・・」。

汽車に乗ったら、車輪のリズムで気持ちよく、眠くなります。この「♬おいしい・コーヒー  ♬おいしい・コーヒー・・・」とやってると、なぜか同じように気持ちがよくなってくるんです。

ワタシの場合、テンポが♩=80くらいですが、腕の力の強さ、ミルの種類、豆の挽目で適当に調整を。

で、これやっているとミルさんも「♬おいしい・コーヒー ♬おいしい・コーヒー ♬おいしい・コーヒー・・・」って始めるんです。

これを聞いてたお豆さんも、おいしくならなくっちゃ! と「♬おいしい・コーヒー ♬おいしい・コーヒー ♬おいしい・コーヒー」と始めて、本当に、おいしいコーヒー、になります。これを、挽き手、ミル、豆の「コーヒー三位一体」といいます。 

本当かって?ですか。古人曰く「信じる者には、おいしいコーヒ (^o^) を!

さて、皆さんも、ご一緒に「♬おいしい・コーヒー ♬おいしい・コーヒー ♬おいしい・コーヒー ♬おいしい・コーヒー ♬おいしい・コーヒー ♬おいしい・コーヒー・・・・・」


2021年9月 6日 (月)

稲荷鬼塚古墳発掘調査~雲仙市愛野町

P9041769 P9041771

9月3日の"朝日新聞デジタル”版に「有力豪族、海介して交流か 雲仙・稲荷鬼塚古墳の初調査」の記事が出ていました。→こちらをクリック 

この古墳については、2015年に私が紹介をしていました。→こちらをクリック 。で、偉そうにイロイロ書きましたが、今回の調査で本格的なところが分かってきたようです。

普通、発掘調査現地説明会は一般向けにもおこなわれるのですが、今回は8月12日に報道関係者のみを対象におこなわれています。

遺跡というと地味みたいですが、説明会には意外と多くの方が見えられます。多分、コロナの影響で密を避けるために報道関係者のみの説明会みたいですが・・・


さっそく出かけて見ましたが、掘った跡は見受けられず、裏に回ってみたら、こちらの方でした。まだ、埋め戻しはしてありません。かなりの長さで発掘をしています。


P9041756 P9041757

祠の下の石積みが玄室を塞いでいる「閉塞石」、手前の地面が「羨道」だそうです。この、祠の下に石室みたいなのが見えているのですが、どうなんでしょう?

P9041764 P9041776

なお、遺物は盗掘されたと思っていたら、勾玉、切子玉、耳環等々5593点が出土したそうです。

P9041782 P9041785

以前、私は祠の表が古墳の表だと思っていたら、石室の開口部は反対側で有明海を挟んで、大牟田市を向いているそうです。

なお、この古墳より少し離れた所に火箱遺跡が発掘をされています。→こちらをクリック


付近には一本松古墳、中島古墳、首塚(古墳)、国見町には筏遺跡、百花台遺跡、鬼の岩屋、吾妻町には守山大塚古墳等々、有明海沿いに多くの古墳があります。
これらの古墳、遺跡の関係が分かれば面白いとは思うのですが。なお、出土品は後日公開をされるそうです。


発掘と言えば「千々石ミゲルの墓」の発掘調査も進んでいます。→こちらをクリック  


2021年9月 3日 (金)

夏の終りをゴキ友と・付録付き

P8291664

最近は、くどい記事ばかりだったので、今日はあっさりと。

夏の終り、遠くから友達が遊びに来ました。8月最後の日だったので、海へ連れて行きました。コロナで自粛の日々。久しぶりに、外で楽しく遊びました。


皆、一昨日、北は北極、南は南極まで飛んで帰って行きました。また、自粛の暗い日々が続きそうです。


■附録です


いつものようにコンビニに行きました。暑かったので冷や奴でもと思い、見たら「チョコッと とうふ」が置いてありました。一丁だと多いので、これ、いいなと思って買ってきましたが、よく見たら「チョコっとうふ」で、なんとチョコレートの豆腐でした。

どうしようかとも思ったのですが、食べてみたら、間違いなくチョコと豆腐の味がしました。買うのがもったいないと思った方は、チョコと豆腐を同時に食べてみて下さい。冷や奴を肴にお酒を飲む方も「チョコっとうふ」でも如何?

パッケージに「罪悪感ちょこっとの チョコレートを使ったおとうふ」とありましたが、なんのコッチャ。

Img_3436 Img_3442

ゴキブリ、油虫。長崎弁では「あまめ」と言います。



2021年8月31日 (火)

著作権の事など~図書館における著作物のコピーについて、注意してね。

Img_20210831_0001

お盆の前、著作権につき多少疑問があったので、ここ半月ほど著作権につき勉強しています。面白い事例があるので、少し書いてみます。

図書館で本を一冊丸々コピー出来ないか依頼しても、もちろん断られます。どれくらい良いの?と聞くと、多分、半分くらいです。との返事をもらうかと思います。もちろん、著作者の権利の為です。


ところが、この「半分」は本の半分では無く、正確に言えば「著作物」の半分ということになります。


分かりやすく書くと、短編全集。赤川次郎さんとか宮部みゆきさんとか重松清さんとか伊坂幸太郎さんとか物部冬生さんとか、各々10ページ書いて、全部で50ページの本があったとしたら、各々の小説家が書いた作品の1/2ページ、5ページしかコピー出来ないという事です。赤川次郎さんの部分、5ページ分しかコピー出来ません。各々の作家も同様に5ページずつしかコピー出来ません。なお、”物部冬生”
さんは聞かない名前だと思います。私のペンネームで、まだ作品は書いておりません。いずれ本屋さんに並ぶので、その節はお買い求めを(^∧^)。

事典などにいたっては一項目が「著作物」に当たります。例えば「日本美男子事典」なるものがあったとして、土方歳三、織田信長、藤原業平、物部冬生の各項目が並んでいて”物部冬生”の項目をコピーして欲しいと思っても、物部冬生の項目の半分しかコピー出来ないということです。


これ、実際に裁判があり、図書館の利用者さんが、事典の一項目全部について複写を請求したところ、図書館から断られたので、図書館を相手取って裁判に訴えたそうです。

裁判の結果は、利用者が請求した部分は著作物の全部にあたるということで”その全部の複写を求めた原告(注:利用者)の申込みに対して承諾しなかった被告(注:図書館)の行為には違法性は無い”、ということで図書館の判断は正しいという裁判の結果になったそうです。



他に、図書館内でのデジカメ、スマホでの撮影、コピー代行業者、図書館内のコイン式コピー機、公民館図書室でのコピー、利用者が直接コピー機でコピーをして良いのか等々あります。


なお、著作権者の死後70年。無名、変名、団体名は公表70年経たものなどは著作権が切れるので全部コピーをしてもOKです。青空文庫も著作権の切れている作品です。


著作権は書物に限らず、建築、絵画、地図、映像、劇、舞踏等々にも及びます。音楽教室、カラオケの著作権をめぐってのトラブルは新聞、TVニュースにでたこともあります。


ということで、他人が考え発表した物を利用される方は一回チェックをされたほうが・・・

■私の素人の解釈もあるので、参考にしたのは・・・

・公益法人著作権情報センター~「ケーススタディ著作権3 図書館と著作権 黒澤節男著」

・同上 「図書館と著作権」
・骨董通り法律事務所~「図書館とコピーの(実は)複雑な関係~スマホで撮っちゃダメですか?~」というのも書いてあります。
・他、文化庁関係等々

 

2021年8月28日 (土)

橘神社の絵葉書~戦前の千々石最後の絵葉書?

Img_0004 Img_0005_20210825202101

上の絵葉書は橘神社です。基本、今と同じ姿です。裏側の消印に「17.8.24」とあるので昭和17年8月2日に出された葉書です。なお、書面中「大東亜戦争は皇国の連続勝星・・・」と書いてあり、時代を感じさせます。

前にも書いたとおり絵葉書を集めていますが、島原半島で一番多いのが雲仙、次が小浜、次いで千々石と島原が同じくらい。ところが、橘神社が名所にもかかわらず、現在、これ一枚しか見つけられませんでした。


千々石には”千々石ホテル”という外人向けのホテルもありました。千々石に泊まり海岸で遊ぶ、千々石を拠点として小浜、雲仙に行ったようです。


絵葉書は訪れた所の記念として買っていきます。現在はスマホ、デジカメがあるので観光地の絵葉書はほとんど見受けられません。千々石の絵葉書は、ある時期から見受けられないようになったようです。これは、多分、雲仙鉄道と関係があるように思われます。


左は千々石の絵葉書で一番古い物。明治41年に使われています。右は雲仙鉄道の線路が見えません。カラー写真ということを考えれば、戦後のものです。

Photo_20210827190801 Photo_20210827190901

雲仙、千々石、雲仙鉄道に関し簡単にまとめてみました。

■1877年(明治10) 温泉(雲仙)、このころから九州各地より外国人の避暑、登山が増え始める。(湯けむりの記憶より)

■1883年(明治16) 小地獄に雲仙初の純洋式の「下田ホテル」を建てる。(他説あり・湯けむりの記憶より)
■1893年(明治26) 茂木~小浜間、不定期に蒸気船あり(?)。(ブログ・日記のようなものです)→こちらをクリック
■1899年(明治32) 茂木~小浜間、定期路線(?)(ブログ・日記のようなものです)
■1908年(明治41) 千々石千本松原の絵葉書。(上の絵葉書)
■1909年(明治42) 「雲仙案内」に”千々石ホテル”の宣伝掲載。(雲仙お山の情報館展示場に展示)→こちらをクリック
■1911年(明治44) 温泉(雲仙)、日本初の「県立温泉公園}。(湯けむりの記憶)
 乗合自動車、小浜~雲仙。
■1912年(大正元) 小浜村有志、自動車屋開業。小浜~雲仙、愛野、諌早、口之津。(湯けむりの記憶)
■1913年(大正2) 小浜~茂木に定期連絡船就航(湯けむりの記憶)。雲仙は避暑のロシア人が多く年間700名。        自動車屋「小浜自動車株式会社」へ。他に「温泉自動車株式会社」あり。
■1916年(大正5) 千々石~温泉(雲仙)間の自動車道路完成。 
■1923年(大正12) 温泉鉄道、愛野~千々石間開通。
■1927年(昭和2) 小浜鉄道、千々石~小浜間開通。
(雲仙鉄道が写り込んだ絵葉書が数点あり。)
■1934年(昭和9) 雲仙国立公園制定。 
■1983年(昭和13)  雲仙鉄道解散。
■1942年(昭和17)  橘神社の絵葉書。(上の絵葉書)

なお、岡山俊直氏の「雲仙温泉における明治期の歴史資料の特殊性とその活用」(→こちらをクリック)の中に1889年(明治22年)の長崎から雲仙に至る交通の事が書いてあります(North China Herard紙1889年9月28日号より紹介)。それによると・・・


1)長崎から千々石まで人力車、千々石から山道で雲仙

2)長崎から網場まで人力車、網場から船で千々石、船で小浜、小浜から山道で雲仙
3)長崎から網場まで陸路、網場から船で千々石、千々石から山道で雲仙

茂木~小浜への船便は時代、船会社に違いがあるようですが、以前にも紹介しましたが、千々石にも寄っていました。手前の矢印が福石様、向こうの船が茂木~小浜を結ぶ船。


Img_20171217_0005_2

ということを考えれば、千々石が雲仙、小浜へ至るポイントになっていることが分かります。

さて、どれほど外人客が多かったかというと、前にも書きましたが「島原鉄道100年史 」によれば「当時は夏ともなると、全国各地や中国の上海から避暑にやってくる外人客が多く、英語を話せなければ駅長がつとまらなかったというわけだ。同駅には当時の名残を示すように、朽ち果てた木製の洋式トイレがいまも残っている」(注:現在はありません)。


ところが、国鉄を利用する場合、諫早駅で島原鉄道に乗り換え、愛野駅で雲仙鉄道へ乗り換え、小浜駅(肥前小濱駅)は小浜の温泉街から2㎞程度離れていて、歩くか、自動車を雇うという不便さ。昭和2年~7年まで、諌早~小浜まで直通の時期はありましたが。


バスなら長崎から直通ということもあって、温泉鉄道は昭和13年をもって廃止。


ということで、雲仙、小浜に行く場合、千々石に寄る必要も無く、そのため千々石を写した絵葉書が少なくなったのでは無いかと思うのですが。なお、大正時代の絵葉書は他にも見受けられます。


雲仙鉄道廃線後の絵葉書を探しているのですが、現在、最初の橘神社の絵葉書以外は見つかっていません。なお、橘神社は昭和15年に建立、絵葉書は昭和17年に使われているので、この絵葉書は橘神社建立直後に撮ったものと思われます。

ということで、この橘神社の絵葉書が戦前の千々石における最後の絵葉書ではないかと思われるのですが。


:「湯けむりの記憶」~西暦2000年(平成12年)記念:雲仙公園ビジタセンター運営協議会発行



2021年8月24日 (火)

「π」と「パイン」と「辞表」な私

Img_3392Img_0003

「π」と「パイン」と「辞表」の関係は完全にありません。まして、「な私」は、ふと書いただけです。

最近、ボケました。以前は鍵をここへ置いたよ、と確認すれば覚えていたのですが、現在、確認しても、あれ?鍵どこ?なら良いのですが、なにを探しているのかも分からない状態。


で、考えました。要するに、頭を鍛えないからダメなのだ!TVで、90歳だったかのおばあちゃんが、ボディビルで体を鍛えているCMをやっていますが、無理にでも、鍛えるのが大切かと。


で、3.1415926333・・・???でも強制的覚えようかと右の「π」という本を買ってみました。これ、πが1,000,000桁まで載っています。デタラメかと思ったら、作者の方、ちゃんとプログラムまで組んだそうです。

本が届いて、見たら、字が小さい。オマケに50ページ超。近視に老眼に乱視ではチトきつい。


ということで、探していたらπを書いた、左のマグカップがあったので買ってきました。毎日コーヒーを3杯、3度の食事のお茶、と使かうので、毎日6回見て覚える事ができ、ここ数日、一生懸命眺めて覚えています。
もっとも、なんでも三日坊主でなので、いつまで続くやら。.

下は「台湾パイナップル」。


ご存じのように、昨年、中国がイヤガラセで台湾からのパイナップルの輸入を禁止しました。これに対し、日本からの輸入がドット増えたそうです。私もこのニュースを知ってから、台湾パイナップルをずっと買い続けています。おかげで体調すこぶる好調です(個人的感想です)


値段が税込みで537円になっていますが、この日は大売り出しで、もっと安くで買えました。


Img_3381

Twitterの話題です。

左のような辞職届けが紹介されているそうです。読んでみて、思わず吹き出しました。私も辞表は3回ほど書きましたが、早く知っていれば手本にして書いたものを。

真似して多くの方が書いているようです。右の方、随分教養があるみたいな感じです。


Img_8449 Img_8452

で、下のように本職のお坊様が、この退職届を読経されていて、良いお声で堂々と読んでいるので、よく聴いてないと本物のお経と間違えます。

興味ある方は、Twitterで「退職届 写経」と検索を。面白いですよ。

Img_8451



2021年8月21日 (土)

原城=春城の名称について

3img Img_3355

江戸時代の街道絵図に「原城」のことを「春城」と書いてあるのを見かけます。

左は「大日本道中細見・三河屋鉄五郎版」。残念ながら年代は分かりませんが、赤の四角の所「春城」と書いてあります。

右は「大日本早引細見絵図・天保13年改版 絵圖屋庄八版」(1847年)。同じく「春城」と書いてあります。

「春城」の左側に「古城」と書いてありますが、有家町にある地区の名前です。

Im3340Img_333

まったく書いてないのもあります。左は、大日本早引道中版 天保八酉11月再版(1837年)。

右は、鳥飼市兵衛版 寛保四年大増補日本道中行程(1743年)。こちらは「古城」とありますが、有家町の古城ではなく、「原城」のことです。下の方に「ソクノ コモリタル 所(「所」はくずし字にて表記)」(賊の籠もりたる所)とあります。

以前、原城の名前は「原之城」「有馬城」「志自岐原城」「春城」「日暮城」とあり、これについて調べると書きましたが、やはり詳しくは分かりませんでした。で、一応調べた分で、今回は主に”春城”に絞ります。

⚫長崎県大百科事典には「有明海に面して東南に突き出た「ハルの島」といわれた岬を利用して築かれた平山城。(長崎新聞社発行)

⚫北肥戦誌(九州治乱記)には「抑々(そもそも)肥前國髙來島志自岐原。城主有馬越前入道随意齋仙岩と申すは・・・」。北肥戦記(別名『九州治乱記』)は、佐賀藩士馬渡俊継が正徳年間(7711~1716)に編纂。(青潮社・1995年発行)

⚫新編藩翰譜には「原の城は有馬家の旧領なりき、それへ賊徒の立て籠りしなり。但し、原の字は、はると云ふべし。西国の方言なりと云う。」。藩翰譜は新井白石が慶応5年(1600)~延宝8年(1680)の諸家337家の由来・事跡を書いた本。完成が元禄15年(1702)。
(新人物往来社・昭和52年発行)。

⚫佐野彌七左衛門覚書には「・・・原の城の名古来所の者春の城と申候へとも上使御下次原の城と何れも申候故所の者も原の城と申候事」。佐
野彌七左衛門は当時の島原領主松倉氏の家臣で、物頭を勤め、禄四百石を食む・・・(島原半島史・林銑吉著より)。

なお、本によっては、一揆以前は城の名前は無かったと書いてあるのもあります。また「勝茂公(佐賀藩主)御年譜」によれば「有馬ノ古城原ノ城へ・・・」ともあります。長崎県事典では「ハル」」と書いてありますが、出典は不明。北肥戦記には「肥前國高來島志自岐原。城主・・・」とあるので、「志自岐原城」と考えられ無いこともない。

さて、島原半島に住んでいる方はお分かりですが、当地方では「原(はら)」のことを「はる」と発音するところもあります。「原」が一番最後につく時は「ばる」とも発音します「弘法原(こうぼうばる)」。「原」一字の小字がありますが、これは「はる」。千々石に「古賀原(こがばる)」がありますが、通称「原(はる)」。全部が「はる」ではなく、「はら」と読むのもあります、同じ小字でも「赤原(あかばる)」「塚原(つかはら)」。

ですから、藩翰譜には「西国の方言なり」とはありますが、一概に言えないのではないかと・・・PCで「はる」と打ち込んでも「原」ともでます。

神田千里氏の「島原の乱」には、「原城はもともと『はるのしろ』と呼ばれていたものが、島原の乱のために幕府の鎮圧軍がやってきた後、『はらのしろ』と呼ぶようになったと伝えてられる(『佐野弥七左衛門覚書』)」とあります。上に引用した内容と大体同じです。

佐野彌七左衛門は島原天草一揆に実際に参加をしているので、これが一番正確なのではないかと思います。


地図を見て、面白い事に原城の本城の「日野江城」がありません。


地図は乱後100年のものです。また、島原から遠く離れた江戸に「”春”城」ということで伝わっていたという事は、興味深いと思います。軍記物に「春城」の名称があり、それを写したものかと思い2~3冊見たのですが、ありませんでした。

下の絵、左は天草四郎の絵。書いたのは”月岡芳年、天保10年(1839)~明治25年(1892)。右は”豊原国周”、天保6年(1835)~明治37年(1900)。右上に”天草四郎時貞・尾上菊五郎”、左上に”千々輪五郎左エ門・市川團十郎”。乱後200年以上の絵になります。絵自体は、何となく奇異な感じですが、地図と同じく江戸という土地に武将、忠臣蔵かと思われる姿で描かれているのも面白いと思います。この絵は、国会図書館デジタルコレクションに所蔵されています。

Scan003_20210819201001 Photo_20210819201001

いつものごとく、まとまらない話になりましたが、他にも、原城の名前について書いてある本もあるので、又改めて分かりやすく書いてみたいと思います。


2021年8月17日 (火)

昭和のテレビと僕~夢で逢いましょう

Img_20210817_0001

今月に入って、上の本を読んでいるとき、ジェリー尾藤さん、中嶋弘子さんと続けて訃報に接しました。

テレビが家に入ったのが、確か小学校4年生の時だったか。チャンネルは丸いガチャガチャと回すやつでした、もちろん白黒。長崎では、当時は長崎三菱造船の方が高給取りで、洗濯機、冷蔵庫、テレビと揃えるのは三菱造船の方でした。


三菱造船の方がテレビを買ったとき、近所中の人と見に行きました。私の友達の家だったので、夜遅くまでいて、今考えれば迷惑をかけました。


TVで、ざっと思えば、プロレス。ひょっこりひょうたん島。月光仮面~歌も口をついて出ます、どこの誰かは知らないけれど~。怪傑ハリマオ~まっかな太陽 燃えている ~、三橋美智也さんだったか?。ウルトラマンシリーズ。ディズニーのアニメは三菱ダイアモンド・アワーだったかな。ザ・ガードマン。ジェスチャー。私の秘密~髙橋圭三さんの”事実は小説より奇なりと申しまして・・・”、名調子でした。事件記者。太陽に吠えろ。名犬ラッシー。名犬リンチンチンというものありました。ローン・レンジャー~”ハイヨー・シルバー””白人嘘つき、インディアン嘘つかない”ですね。1964年の東京オリンピック。上皇上皇后陛下のご結婚のパレード、上皇后陛下、当時は”ミッチー”と言うニックネームで親しまれました。11PM。


と考えれば切りがありませんが、前に何回か書きましたが「夢であいましょう」は特に記憶に残る番組でした。夜10時頃の番組だったので、普通は両親から寝るように言われていましたが、この番組だけは一緒に見ました。当時は番組の録画などは無く、全部ブッツケ本番。


永六輔さん、渥美清さん、坂本スミ子さん、中村八大さん、田辺靖雄さん、EHエリックさん、九重祐三子さん、岡田眞澄さん、坂本九さん、当時ジャズが好きだったので、松本英彦さん、アイ・ジョージさん、谷幹一さん、相良直美さんと・・・。


この番組の中で”今月の歌”というのがありました。一番有名になったのが坂本九さんの”上を向いて歩こう”。NHK宛に返信用封筒を入れて送れば、楽譜がいただけました。もちろん、私もいただきました。作詞が永六輔さん、作曲が中村八大さん、歌が坂本九さんで、6+8=9、なんてやってました。ジェーリ尾藤さんの”遠くへ行きたい”、今も歌われています。


番組に出演した方が段々と、というよりほとんどの方が亡くなりました。今月に入り、ジェリー尾藤さん、中島弘子さんの訃報。坂本スミ子さんも今年の1月に亡くなられたようです。中島さんは「中島」「中嶋」と二通りあるようですが、結婚して「中嶋」離婚をして「中島」になったようです。

中島弘子さんの訃報の記事は、ジェリー尾藤さんの記事に比べれば、実にヒッソリしたものでした。

中島弘子さんは、私の女性の美の基準となるもので、私のカミサンも中嶋弘子さん似の美人です、と、一応書いておこう(^_^)v。


後年、東京で仕事をして、丸の内方面をウロウロしており、中島さんの洋装のお店も丸の内にあったので、よく覗きましたが残念ならお姿を拝見することはできませんでした。

上の本に書いてある名前の方、全部亡くなられました。知った方が段々少なくなってきて、アガサ・クリスティの「そして誰もいなくなった」という本の題が切実に感じられるようになってきました。


2021年8月14日 (土)

2021 橘神社「湯立祭」

0-p8100817

8月8日、橘神社で「湯立祭」が開催されました。去年に引き続きでしたが、この日は午後からの雨。雨に濡れながらの祭りでした。

ということで、当然火縄銃の演武はなかったのですが、寂しいので去年の写真を貼りました(一番上の写真です)。


本殿に向かって、神事。橘宮司さんは橘中佐のご子孫です。本物です。

1-p8081444 2-p8081424

肥前千々石鉄砲隊の皆さんですが、朝からは雨は降ってなかったので、山の中で練習をしたそうです。なにせ火縄銃なので本番では残念でした。

巫女さん、かなり若い方で、高校生かな?


3-p8081463 4-p8081475

橘神社の橘宮司さんの出番で、刀(多分、本物?)で邪気を払い(多分?)、火傷するくらいの熱湯(多分?)に手を入れ、見事、熱湯をはね上げました。

実は右の写真、私がボンヤリしていて撮り損ねたので、去年の写真デスm(_ _)m。


5-p8081484 6-p8100724

この祭、橘神社、御館山稲荷神社、小浜神社の三神社で開催しているようで、当日も3人の宮司さんが見えておられました。

そのうちの一人の宮司さんが、大釜の邪気払いのお湯を参拝者の皆さんに振りかけました。写真の白いのが、お湯です。すごい勢いでした。


7-p8081573 8-p8081590

神事が終わって、使った笹を小分けにして、”疫病退散”と書いた包みにくるんで全員に配布。私も、ありがたくいただき、玄関に飾りました。

9-081598 10-p8081615

コロナのせいであまり大々的に宣伝はしなかったのかな?とは思いますが、来年はコロナが終息して沢山の方に見ていただきたいと思います。


2021年8月 9日 (月)

原爆で死んだ、僕のじいちゃん

Img_e8270

上の写真は私の母の父で、僕のじいちゃんになります。名前が「好藏」さん。

最近、母の実家の姪から、いろいろと出てきたという事で、写真や好藏さん宛の手紙を送ってきました。上の写真はそのうちの一枚です。


少し脱線して。今、”姪"と書きましたが、実はいとこの子どもで、姪では無いんですね。あれ?いとこの子の呼び方はナンだっけ、と調べると・・・以下、「元市民課職員」さんのブログがあって、こちらを参考にしています。なお、図もこちらのブログから引用しています。詳しくは→こちらをクリック


男の子の場合は「従兄弟違(いとこちがい)」「従甥(いとこおい・じゅうせい)」で、女の子の場合は「従姉妹違(いとこちがい)」「従姪(いとこちがい・じゅうめい)」。なお、まとめて呼ぶときは「従甥姪(じゅうおいめい・じゅうせいてつ)」だそうです。

Photo_20210809190701

なお、結婚してフルメンバーになると下のようになるそうです。大変ですね(クリックするとハッキリと分かります)。

Itokonokodomozu

さて、話しを元に戻して、好藏さん、明治34年5月9日生。戸籍で見ると、生まれたのが現南島原市の西有家町。父親の”福島市太郎”さんの相続の所に”年月日不詳相続”となっており”母”の所は空欄。古い手書きの戸籍では”不詳”ということで、多分これ以上は追えないかと思います。

写真をいろいろと見ていると、母の時代まではなんとか分かる人物もいますが、全然分からないという人もいます。皆さんもスマホで写真を撮っているかと思いますが、孫あたりになると「これ、誰?」という状態になるかと思いますので、記録はちゃんとしておいた方が良いかと思います。


さて、好藏さん、後に長崎では有名な薬屋を創業しますが、少し面白い方で、いずれこれもブロブに載せたいと思います。


で、今日が実は好藏さんの命日です。以前にも書いたかと思いますが、友達が亡くなり、昼から葬式のところ、朝から手伝いにいったそうです。場所が原爆地付近。原爆に遭い亡くなりました。戸籍の一番最後に・・・



「昭和貮拾年八月九日午前拾壱時長崎市山里町百二十六」



と一行あるのみでした。多分、原爆で亡くなられた何万の方の戸籍も同様かと。


翌日、子どもたちで探しに行ったそうですが、長崎駅前で女性は停められ、男性2名で探しに行ったそうですが、まったく分からなかったそうです。


Img_20210809_0001

話変わって、上が父の父。名前が”留吉”さん。昔は子どもが多く、もうここらで”留め”にしようか、というので「留吉」。生まれが明治39年4月30日。鎌倉生まれです。で、どこで勉強したものやら、満州鉄道の技師として働き、かなりの給料を貰っていたそうです。私が生まれる前に亡くなっているので、写真でしか顔は知りません。

どういうわけか長崎に来て、酒屋とか宿屋をやっていたそうですが、生来の酒好き。只酒を振る舞い、財産をなくしたと父から聞いています。床の下には一升瓶がゴロゴロしていたそうです。帰りが遅いので、父が迎えに行ったら、ドブの中にハマっていたこともあるそうです。父が若いときに亡くなっています。


なお、父も酒が好きで、道に寝っ転がって友達と腕相撲もしていました。ということを見ているので、私は品良く、酒をいただいておりました。今はドクターストップで飲んでいませんが(-_-)。


現在、特に好藏さんの事を調べているので、戸籍謄本を読んでいますが、戸籍謄本なるものを初めて見たのが高校の時。私の生まれが「1月24日」、父と母の結婚届が同年の「1月3日」。どう考えても、おかしいでしょう。要するに私が生まれるので、慌てて婚姻届を出した、ということです。


この事を父と母に問い詰めると「昔は、ようあったことたい(昔は良くあったことだよ)」と誤魔化していましたが、なんとも杜撰な父と母でありました。私の杜撰な性格も父母譲りかと。

 

 

 

«「星落ちて、なお★澤田瞳子著」「牧野富太郎★(文)清水洋美・(絵)里見和彦」「あんなに あんなに★ヨシタケシンスケ」~本を3冊ばかり

フォト
2021年9月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30    

ブログランク参加中ポチしてね(^o^)

最近のトラックバック

amazon

無料ブログはココログ